「長浜城」といっても現在の正式名称は「長浜市 長浜城歴史博物館」。
城址に建つ城を模した博物館です。
よって観覧内容も定期的に入れ替えがあって今節のテーマが「秀吉に備えよ!!」なのでした。
長浜市内にはいたるところにそのポスターが掲げられています。
秀吉が作った城とその城に集まった商人たちが作った町、地元長浜でそのタイトルについては多少違和感があったのですが、よく見ればこのタイトルの後に「中国攻め」と記されてありましたから合点がいきました。
先日の小和田先生のブログの通り、資料館では秀吉の中国侵攻にかかわる相当数の資料を紹介していました。
秀吉は信長配下で「三木の干殺し」という生々しい城攻めをしていますが、その手の策、要は城を人海戦術で包囲し豊富な経済力で付近市場から米粒1粒まで徹底的に買い占めて城周辺から口にできるものを消滅させました。
勿論猫の子一匹這い出る隙を与えないような包囲網は勿論敷いていますので、これは「干殺し」の完成度をあげるための手法です。
秀吉はそののちも籠城方を「干殺し」にしたり、場合によっては堤を作って水攻めにするなどの手法を好んで使っています。
先日は冬のこちらの画像をアップしましたが、上記は先日拝観した時の物。天気が今一つで展望台からの景色はガスがかかって×。
③が展望台お馴染みの長浜城と琵琶湖を中心にしたパノラマ図。
北側から見たイメージです。④は1階で書籍を購入したときのパッケージで武将の花押をポイントとしています。
上から浅井長政・羽柴秀吉・石田三成とのこと。
そして昨夕の相良本通りの風景。たくさんの人たちで賑わっていました。勿論夕食はこちらで買いこんで自宅にてほうばりました。気持ちが悪くなるほど食べました。
最後の画像、小心者の私は正面に廻れず、連れの撮った画像です。例のJA女子3人組、頑張っていましたね。
①音響が貧弱で10mも離れれば何をやっているかもわかりませんでした。
②メインとしての「特設ステージ」が道路の上では可哀そう。
おカネをかけないこともいいことですが、簡単な台があってもよかったと思いますし、せめて何か敷物でもあればと思いました。
あくまでも「ストリート」にこだわったのでしょう。
活気ある街並みを見て、戦国期、楽市楽座に集まって通りを埋め尽くす人々の数に国を預かる武将は大いなる希望を抱いたということを感じました。
とにかく関係者の皆さん、御苦労さまでした。
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小山昭治 (月曜日, 05 8月 2013 19:07)
私は望ガールを見れませんでした。
いつもそうなんですが
何をやっているかほとんど見られません。
人が多かったことだけは確かです。
いつもは人がいないのに、どこに
こんな大勢な人がいるのでしょう。
楽市ではなくて苦労市です。
自分たちが楽しめないイベントは
考えなければいけない時期になりました。
今井一光 (月曜日, 05 8月 2013 21:09)
ありがとうございます。
関係者の皆さんも一緒に楽しめる体制ができればいいですね。一見したところ老若男女たくさんの人たちが、クジ引きに当たったり、ほろ酔いだったり、何かしら買い込んで楽しんでいました。
ただし用意と片付けがあってあの無茶苦茶に騒がしい場所に長時間従事するのは苦痛でしょうね。
少しでものんびりできる時間があれば別でしょうが。御立場上苦しいところでしょうね。
うまいこと皆さんで楽しめる場に改善できればいいですね。