戦国期を生きた「勝ち組」グループの400回忌という区切りについて最近よく耳にしますね。
関ヶ原の1600年+400年ですから西暦2000年の前年が関ヶ原、400年。当然に西軍系の敗者、刑死者の400回忌でした。
大坂の陣の400年もそろそろですが、ちょうどこれから江戸安定期に入って関ヶ原東軍系の人々のその区切りの法縁の会がお勤めされることでしょう。
当流に於いては教如上人の400回忌が今年にあたります。
さて、大御所家康は元和二年(1616)4月17日に駿府城にて七十五歳でその生涯を閉じています。当静岡ではその400回忌(2015)にあわせて大河ドラマ放映をNHKにプッシュしていることは以前お伝えしていますが、大御所の当初の御廟でもある久能山東照宮は、先の「国宝昇格」以来色々な形で張り切っていることはニュース番組等で耳目にする通りで、神格化された東照大権現家康を祀る神社になりますので正式には「御鎮座四百年祭」という祭典となります。
武田時代の久能山城の追手門、いわゆる駿河湾に面した根古屋集落(場所はここ)から廟所に登る山下参道と呼ばれる道、登り出してスグ右側です。
108歳の長寿を全うした謎の坊さん天海(智楽院、慈眼大師)が建立したと言われる徳音院があって、そちらから下る瓦積塀に目が行きます。そちらのお寺の本尊は勿論「家康=東照大権現=薬師如来」の関係から薬師如来です(→波さんのごじぶつさま)。
30m程度ですが現在修復作業進行中。
この工事が400年祭の記念事業だそうです。
折角の改修工事、恐縮ですが新しく積み上げられたピカピカの築地塀に比べて自然崩壊した元のぶっ壊れた塀の何と味わいのあるものでしょうか。
何故か映画「羅生門」を想い起こします。
決してこのままでいいワケでは無いのですが、何と無く勿体無いような。
「古くて壊れて用を為さない」といわれてもこの塀には醸し出す何かがあります。
私たちもこの塀の様な毅然とした生き方をしたいものです。
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