これは異なこと  服部小平太の墓

歴史というものはあれこれ推測することも面白いですが史実から離れてしまっては荒唐無稽、流行りの戦国ゲームの様になってしまいます。

「史実」とは信憑性のある文書(できれば複数)の記述から矛盾をできるだけ排除して成立するものですね。

 

 姫街道を細江・気賀方面に向かって三方原台地を降りると右手に浜名湖に繋がる都田川の水田地帯が目の前に広がってきます。

この都田川と井伊谷川が交わる天然の要害に張り出した小山が刑部(おさかべ)城。

今川義元亡きあと地元今川方家臣によって築かれた城です。

その日この城を訪れようと当地に辿りついたのがお昼をとうに過ぎた頃、とりあえず登城前に食事をとることとしました。

丘を下れば右手に静岡ならではのレストラン「さわやか」が(場所はここ)。

炭火焼ハンバーグがメインメニューで静岡県在住でこの名を知らない子供はいないくらいです。

此の地にて大御所家康が桶狭間後の遠州今川領切り取りの際、決して「さわやか」とは言えない我武者羅で歴史上禍根を残す暴挙を行っていることはあまり知られていませんね。

その辺りの所は後日記させていただくこととして・・・、レストラン「さわやか」にて食事後、ドア開けて道路越しの向かいの山の斜面に自然と目をやれば、緑の中の墓地の一画に目が留まります。

 

 この斜面に佇む墓地に「服部小平太の墓」があります。

服部小平太といえば「松阪に入った横須賀衆」についてブログにて触れましたが、桶狭間で今川義元に一番槍を突っかけたといわれる服部一忠に重なりますね。

 服部は豊臣秀次事件(1595)に連座して上杉家預かりの上、腹を斬らされていることからここに墓があることは大いに矛盾します。

 

 服部家は伊賀忍者を纏めて、本能寺後の家康の逃避行、伊賀越えで徳川家初期の功労のある家です。

時代劇やアニメなどでもその名は耳にしています。

 皇居の半蔵門や地下鉄半蔵門線などもその服部家代々の名乗り「半蔵」から来ていることは周知のこと。

 どこでどうなってこうなったのか判りませんがお墓の脇の看板にもしっかりと桶狭間の雄姿が記されていました。

地元の大切な遺物に誇大に注釈をつける事はよくあることですが「今川義元を討取った功労者」とあります。

私の知っている桶狭間は厳密に言えば服部小平太が槍で突っかけたものの義元の反撃を足に食らって負傷、2番手の毛利新助義勝が今川義元の首級をあげたということですから・・・。まぁ細かいことはどうでもいいとして。

 しかし服部家は、いや服部家に限ったことではありませんが、名のりもたくさんあって、また似かよった名も多く、混同することもあるでしょうし、出自にしろそれぞれが未だにコレだという確証はそうありませんね。

ここの小平太さんは中保次(なかやすつぐ)という名がありますのでこれも腑に落ちないところです。

 看板にある、徳川治世の後の領主としてこの地を治めた服部小平太は旧来の今川恩顧の地であった地元民からの恨みでこの山の上で暗殺されたという文言は思わず「なるほど」と思わせますが、没年にも矛盾がありますし、もしかすると服部を名乗るがうえに当初より人違いで斬り殺されてしまったという推測も成り立ちますね。

因果なのか今もって不思議な事です。単純な記述違い、後世の錯誤であったのならまだいいのですが。

 

画像⑥は墓地から望む「さわやか」と当所田園風景。

⑦は付近の草むらと墓碑。味がありますね。

⑧が墓地直下の地域防災センターに掲げられていた住居図。

星印が刑部城です。

車両は「さわやか」にそのままと思いましたが防災センターに置かせていただきました。 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (木曜日, 23 5月 2013 08:48)

    歴史は歴史であって現実にその場にいたわけではないのですから
    いや 仮にその場にいても人間の行動は不可思議なことが多くあります。
    少しくらい違ってもいいんじゃあありませんか。
    それぞれの立場でそれぞれ考えればおもしろいけどね。
    私はオーパーツが好きです。
    いろいろ想像できるから。
    UFOもいいじゃありませんか。
    史実も、もしかしたら違っているかも。

    今の私は今日のこの時間をどうするか。
    立ち止まりたいけど仕事をします。

  • #2

    今井一光 (木曜日, 23 5月 2013 18:06)

    ありがとうございます。
    歴史はその登場人物の生き方が千差万別で面白いのです。
    また、人間のやらかすことはその時々によって微妙な差が(しかしそれが生死を分かつ差異となったり)出現しますがつまるところ殆ど同様な行動をとります。
    よって大概、結果も同じ、所謂「同じ間違いを繰り返す」動物であることがわかります。
    そのことから歴史を俯瞰すれば将来の生き方の示唆を享受できるという様な考え方もアリかとも思います。
    人間あっての歴史ですがそれらを取り巻く環境も人間ですのでまたこれも多様な解釈がありましょう。