×××でやりたい放題・・・憲法どうする気?

私の卒業した学校の学部は真宗学・仏教学でも歴史学でも何でもありません。4年間の在籍学部は法学部法律学科。

 

ではどのようにして僧籍を取得したかといえば昼間に大学に行きつつ真宗学や法務遂行のためのお勉強は夜学で修得したこと、これは以前どこかで記していますね。

それこそ両立などとんでも無く、いっぱいいっぱいで過ごしていましたので殆どカスカスの頭しか持ち合わせていない現状がその理由かも知れません。

 

「法学部法律学科」と聞こえはいいですが昨日のブログの通り便所のフタほどの役にも立たない代物であることは自他共に頷くところ。

 

ゼミは憲法。

就職に良くないから「憲法はタブー」と言われていましたがハナっから就職の事など気にも留めていませんので何の気なしにその教室に入りました。

 

研究課題はシドニー・ルメット監督、ヘンリー・フォンダ主演の「十二人の怒れる男」でしたね。

アメリカ陪審員制度による法廷ドラマです。その原作本を題材に一人の少年の「人権」を通して法の精神を学びました。

 

そのドラマ中での「立件」は勿論刑法や刑事訴訟法に基づいてその法令違反について「人を裁くこと」なのですが、まず裁く前に「人権」たるもの何ぞやというところまで踏み込んで思量させることで憲法の一番の主眼である「基本的人権の尊重」を肌で感じることがテーマだったと思います。

 

さてハッキリさせましょう。これたけは基本ですよ。

憲法を曲がりなりにも学んだことがありかつ、曲がりなりにも僧籍にある私にも語らせてください。

 

刑法・民法・民事訴訟法・商法などの各法律は

「国(統治権者)が国民を縛る」ものですね。いわゆる統治権でこのことはだれでも了解しています。

 

憲法は

「国民が統治権(国・政治家)を縛る」ものです。

上記の各法とは真逆の働きをしています。

 

よって色々な飾りの言葉があってはぐらかされていますが要は政治家諸兄の皆さんがひとまずは96条という全体をいじくりやすくするための・・・大坂の陣で言えば外堀を埋めるが如く・・・憲法改正条項を緩くしたいという国民に対する「おねだり」なのですよ。

 

この条項をひとまず触って変更が容易になるとどうなるか・・・以降極論ですが、「やりたい放題」の状況が惹起してきます。

 

東急ハンズ、町田店時代、販売促進課にてチラシ作成の仕事をしていましたが、当時掲載する乳幼児玩具に「お風呂でやりたい放題」という商品が上がってきて爆笑した思い出があります。そのあとからそれを真似た商品が出ていましたね。

また、そのフレーズは各シチュエーションで使い分けられて「会社でやりたい放題」等、場所を変えて面白おかしく主に横暴な他者の陰口として使われていたことを思い出します。

 

そうですね、憲法96条の変更は結果酷いことになるやも知れませんよ。

「統制者-政治家等のやりたい放題」のお膳立てすることになりますね。

 

最終的には「9条」を一番いじくりたいところなのでしょうが、自衛隊を「軍」に昇格しつつ「20歳以上は軍に○年以上入隊しなくてはならない」とかの徴兵制も、自衛権=先制パンチOK、軍事費予算倍増OKとかも追記条文やりたい放題になるということです。

要は「戦争放棄」→「一戦交えよう」の変更可能にしてしまいます。

 

 軍備の増強をすればどこか予算を削らなければなりませんね。

そうなれば25条をいじくります。福祉ですよ。どなたかが「年寄りは早く死ね」みたいな事を賜っておりました。

 

25条

 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む

 権利を有する。

 国は、すべての生活部面について、

 社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に

 努めなければならない。

 

この条文は、国家や為政者の怠慢や横暴からしっかり国民を守るためにありますが、こちらの条文もいじりたいところでしょうね。微妙に9条とリンクしているのです。

 

要は国民を守る責任を緩和して「自己による責任において」を銘記し予算を軍備増強に振りたいところでしょう。

 

その国民を守って国を縛っている法律を、縛られている為政者がその「シバリを解いて欲しい」ということなのですがそのような大切な法律を彼らのために国民が自身の手で簡単に緩めていいのでしょうか。これぞ自虐行為。

 

緩めた途端に暴走しだすのが縛られていたものの常ですね。

今一度記しますが国家の暴走をシバっているのが憲法ですよ。

 

 ところで50代~60代の改憲論が多いそうですね。

「みんなで戦争に行こう」という国策があったらその世代の子やの代が悲惨な目に遇うことになるのですがね。

平和憲法は大切です。そしてあくまでも国民が決めるものであって国会議員が「変えさせろ」と声を大にしていうことがそもそも怪しいのですよ。

 

もうこの齢になると「どうにでもなれ」と。

政治には相変わらずクサクサしているところなので諦めムードが漂っていますが・・・

 

画像は日坂宿の高札場。

日坂宿と掛川宿の境界近く(画像②)に建っています。

幕府(日坂宿は幕府領)や藩の定めた法令や禁令を板札に墨書したものを高札といいそれを掲げた場所を高札場といいました。

 

封建国家の規律は一方的な、「民を縛る法」が主でした。

「日本国憲法」は「官僚と政治を縛る法」です。

その「民を守る法」を政官のために民が変えてしまうことほどの愚はありません。

ひょっとすると「政治家個人や政権・政策を批判することは日本国民の義務に反する」などという無茶な条文であっても何でもアリにしてしまいます。 

 

そうなればこの様なブログを記すことは刑法犯の構成要件となることは明白でしょう(表現の自由を強く規制すること)。激しい国民統制の時代はいつか来た道。

そうなれば戦前に逆戻り、歴史は繰り返します。