司馬遼太郎氏の「華麗な落日に浄土を想う」にあったように
阿弥陀如来のおわします浄土を想念しようとする試み、
「日想観」は浄土三部経の「観無量寿経」に記されています。
時折各所の日没の画像を紹介していましたが、本年1月の信貴山からの日没の方向にこのお寺があります。
摂津難波の荒陵(あらはか)四天王寺は聖徳太子の創建と伝わる二つの寺院の一つです。
勿論あとの一つは法隆寺ですね。
法隆寺と違いこちらはやたらと戦場になった地であり天正の石山合戦、慶長の大坂の陣で焼失、その度ごとに再建はされますが近年も落雷、台風、空襲と定期的に何かしらの被災がありました。
塔内にも立ち入りできますが鉄筋コンクリートでしたね。
最後の回廊の画像は拾ってきたもので失礼。訪問時は雨天でした。
⑤の石碑は義経が鎧を掛けたといわれる松。義経失意の敗走の参詣があったのでしょう。
さて、この四天王寺は特に宗旨は有りません。
聖徳太子の寺ということで各宗派開宗の高僧が滞留しています。
わが真宗開祖の親鸞聖人の銅像に六字の名号、そして聖人ご縁のお堂、「西方浄土を想う寺」たる由縁でしょう。
久し振りに善導六時礼讃「日没無常偈」を記します。
勿論これは「偈」ですので節があります。
言ってみれば「唱・・うた」ですね。
私はカラオケは絶対に歌いませんが、コレをリクエストいただければ気持ちよくご披露させていただきますよ。
諸衆等聴説 日没無常偈
しょうしゅうとうちょうせぇ にちもつむじょうげ
人間怱怱営衆務 不覚年命日夜去
にんげんそうそうようしゅうむ ふかくねんみょうにちやこ
如灯風中滅難期 忙忙六道無定趣
にょうとうふうちうめっなんご もうもうろくどうむじょうしゅ
未得解脱出苦海 云何安然不驚懼
みいとくげだしゅくかい うんなんあんねんふきょうく
各聞強健有力時 自策自励求常住
かくもんごうごんうりいきじ じしゃくじれいぐじょうしゅ
意味
みなさまがたおききください 日没の無常の偈を
人間は、日常生活のさまざまな仕事にあわただしく
走り回り時間を追われ、我が寿命は知らないうちに
あっという間に少なくなってしまっている。
それは、あたかも蝋燭の炎が風の中に立ち今にも
消え去ろうとしている姿と変わらない。
慌ただしく人間界必定の苦しみの世界を漂い、また
走り続け、今だもって落ち着く場所は見つけられずに
いる。
過酷な苦難がまだまだ訪れんとしているかもしれな
いのに、いかがして、ぼんやりとのんびりしたままに
いて漫然とし、恐れおののかないでいられるのだろうか。
さあ後生の一大事に備え、今こそ心を強く持って、努め
励み、永遠の真理(涅槃・浄土)へ導かれよう。
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