丁度世間はあれこれと「あの件」で喧しいですね。
話がややこしくなることを知ってか知らぬか相変わらず波風たてて勇ましい方たちがが突っ張っているように見えます。
特に狭量な意地の張りあいを見ている様です。
そもそも「戦没者に敬意を表し静かに手を合わせること」は当然のことであって今更唾を飛ばしてさもその心を強調するが如く胸を張って論じるのは嫌らしく感じてしまいます。
ちゃちゃを入れられたからの反論なのでしょうが上記のような心から感謝と懺悔(さんげ)の合掌をするのは私たちは仏前においてなされます。
ところが問題となっている神社が「そうである対象」であるという理由は最近(明治以降)になっての講釈であって、真摯な戦没者への謝罪の気持ちの表明とあの神社への参詣とはそもそも意味が違うのです。
皆さん人気取り(遺族会という票田)からか、そんなことは百も承知でありましょう。
しかし本論意図をワープさせてそのことのみを論じることは「国民みんなバカ?」とでも思われているのでしょうか。
確か最高裁の判決があったかと思いますが・・・。
政教分離の立場からアレは「宗教では無い」からセーフなのだと。
よって、かつてあの施設がイケイケ侵略戦争の旗振り役となったという理由からお怒りになられているアジアの国々の立場も理解できますが実はそれほどに怒ることでも無いのかとも思えます。
国レベルで円滑にやっていくためにあそこに行くことはある職種以上の在職中の参詣はタブーだったのですが、そのタブーを破ってそこに行ってただでさえゴチャゴチャしつつある国家間の関係をこじらせたということが「わかっちゃいない」ということなのですね。
まぁ個人的にはどうでもいいことの部類で各人信教のことですからご自由にされればよろしいのですが、本来信仰というものはあまり表立たずに我が心を制する意味でも波風など立てるまでもなく静かに合掌していただきたいものです。
さて、我が国における仏教の絶対的基盤を造ったのは厩戸皇子(うまやどのおうじ)―聖徳太子であることは既定事実でしょうか。
その記された「十七条憲法」の内容は正に仏教理念に基づいたものでした。
特に第二条の「篤く三法を敬え」の三法とは仏・法・僧のことですね。
画像は先ごろ古い表装を新装した聖徳太子像。
延享四年(1747)、東本願寺第十八代法主、釋従如の裏書があります。将軍は9代家重の頃です。
それでは「三帰依文」を記します。
教務所発行のオレンジ色の冊子「同朋奉讃」、正信偈の前のページに記されています。
人身受け難し、いますでに受く。
仏法聞き難し、いますでに聞く。
この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん。
大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。
自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、
大道を体解して、無上意を発さん。
自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、
深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならん。
自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、
大衆を統理して、一切無碍ならん。
無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇うこと難し。
我いま見聞し受持することを得たり。
願わくは如来の真実義を解したてまつらん。
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小山昭治 (木曜日, 25 4月 2013)
靖国には戦犯(連合国が決めた)が合祀されていることが
問題だと思います。
それならば戦犯は分祀すればいいんじゃないかと思います。
私が知った話では戦犯が合祀されてからは天皇陛下も
参拝していないとか。
戦犯の方々もそれなりに日本の国を思い戦ったとは思いますが
やはり別物です。
戦犯を分祀しておおっぴらに参拝した方が彼の国の方にもわかってもらえるのではないでしょうか。
それと靖国だけではなく仏教やキリスト教関係の慰霊碑にも
参拝すべきだと思います。
靖国は、国が勝手に英霊を祀ったものとは言っても
手を合わせるのが人情です。
人間、悪人でも死ねば仏の精神は海外の人たちには
わかりにくいことだと思います。
今井一光 (木曜日, 25 4月 2013 19:45)
ありがとうございます。
仰る通りですね。
日本を戦争に導いて自国他国の多くの人々に苦難を強いた
方々と一緒にしてしまうことは疑問ですね。
ごちゃ混ぜにして「わからなくする」手法は昔ながらでいかにも
現代には通用しません。
そのうえ、お参りしたい方は行けばよろしいのかと。
また「千鳥ヶ淵」と合葬にして、いっその事無宗教の日本人すべての「懺悔と礼拝」の場とできればいいのですが。