昨日も記した通り、臨済寺は今川家の菩提寺として、また家康との関わりの深さから幕府からの保護を受けてきたお寺ですが元々は義元のお兄さん、今川氏輝の菩提寺でした。
よって氏輝の墓はこちらの境内墓地最上段の特別な空間にあります。
居並ぶ五輪塔群の中央に拵えられた小さな祠の中に鎮座し、静岡市街南方に向かって睨みを効かせています(画像①②③④)。
当然の如くメインとなる人の墓地ですので「当初からの墓石」であることが推測される古さと風化、なかなかの味があります。
風輪の部分が長くて大き目の作り、あまりバランスは良くないとは思いますが・・・。
その他、どのような経緯でそれらが追加されたかは不明ですが、今川家お馴染みの方々の新しめの五輪塔が氏輝の墓石を囲んでいます。
⑤今川義元夫人⑥駿河今川四代範政⑦五代範忠⑧六代義忠の銘がありました。
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小山昭治 (土曜日, 13 4月 2013 08:40)
どれがどれだかわかりません。
墓好きにはわかるんでしょうが
お墓に供えられた花の形が違うことは
かろうじてわかります。
でもお墓とはいっても「骨」は
ないんでしょ。
ある種の記念碑と理解すればいいのでしょうか。
今井一光 (土曜日, 13 4月 2013 09:08)
ありがとうございます。
あのお墓は墓好きでもわかりません。
墓石に彫られている銘を見て羅列しているだけです。
氏輝さん以外の石を見て判ることは(甚だ失礼ですが)、
造った人が(発注元と石工)同じということですね。
よってそれらは「寺の格」とその当初の趣旨からいって
「あるべき」と判断されて建てられたものでしょう。
勿論遺骨等遺品の類の埋葬が本意では無く、あくまでも
「故人(御礼)のための石碑」としての墓標という捉え方です。
「ある種の記念碑」と理解されて、かまわないと思います。
極端なことを言えば、まったく関係が無くとも、強引に後講釈を付けるなどして、どなたか有名人の墓碑を建てることも
あったのかと思います。各地に首を傾げるような人の墓が不詳の場に突然建っていることなどザラですね。