「さあ、嫌な出来事はさっさと忘れて・・・」という叱咤激励、前向きな声掛けとその心構えは大抵はうまく作用することの方が多いのだとは思いますが、ことさらあの地震と津波と原発の被災に関しては生きてゆく者たちの課題としてそれらへの対応策への思考は常に思い続けなくてはならないことでしょう。
3.11と同様の区域を襲ったマグニチュード8.3以上と推定される貞観地震の「末の松山」の発生は869年のことです。
「1000年に1度」と云われる「その」地震です(しかし大津波は東日本沿岸でいえば3500年間に7回以上と云われています) 。
それから901年に成立した『日本三代実録』という文献にその地震について触れられていますが、ブログでも紹介しているように「末の松山」は以降「あたりまえ」の代名詞にまで人々に広がっていったわけですね。しかしある程度の期間限定だったのです。
では次は、「1000年後だ」という楽観的意見もありましょうが統計学では「数年後にも起こりうる」のですからその数字のマジックを信じてはいけません。
数字というものに振り回されるのは嫌ですね。
福島には「除染が進んで数年後には・・・」という言葉が当初踊っていたかと思いますが最近になってメルトダウンした燃料の取り出しは40年経っても無理ではないかという意見が大勢です。40年といえばもはや一生涯終焉を迎えてしまいます。
復興が遅々として進まないといいますがやっかいですね。しかし慌てて前回同様に今一度戻ることはやはり危険だと思います。
たまたまあと1000年間、巨大地震が発生しなかったらそれで良しではないでしょうか。私たちはもっともっと臆病になっていいと思いますが・・・。
3.11から満2年です。過去の教訓(貞観地震)を生かしていくのなら、せめて「貞観地震のその後」について知っていかなくてはならないと思います。
要は「大地震の後には続いて天変地異が連動する」ということです。3.11以降も太平洋岸は海洋に引っ張られ続け富士川糸魚川線から平行した関東西部から日本海までの区域は隆起が続いているそうです。プレートの沈み込みにより太平洋岸が海洋方面に引っ張られてその分「低圧化」したプレートの内方向、中部関東がプレート内部からの圧力によって上昇するというメカニズムだそうです。
これは「ゴムパッチン」と同様、どこかでゴムが切れるか外れるかの状況ですね。現在どのくらいまで引っ張られて、そのゴムの耐力はどうなっている?
当地区で著名な安政大地震でも単発ではなくあの地震の前後に夥しい群発地震と巨大地震が連動していました。
地震もやっかいですが貞観地震の5年前には富士山の大噴火があったのです。大地震と火山の噴火も因果関係があるのでしょうか、富士山はこの地区特有のリスクですね。
いつ爆発しても不思議ではなさそうです。
3.11から2年、あの大地震1回で終わるなどと考えてはいけません。連動する巨大地震が「必ずある」と心しておくべきでしょう。
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小山昭治 (火曜日, 12 3月 2013 09:16)
そうか 残念。
私はお金があれば地震の後の土地を買いあさり
数百年後には土地成金で儲けようと思ってました。
(思っただけで先立つものは無し)
地震後 もうしばらくは、また地震は起きないと思ってました。
どうせ数世代後には、また海岸端の便利な土地に戻ってくる。
人間は忘れる動物です。
数百年後まで危険を思い、海岸へは家を建てないでしょうか。
避難路さえしっかりしていれば・・・
何て思い、きっと戻ってくるのではないでしょうか。
東海地震が起きると言われている当地でも
じゃあ 家を高台に移しますか。
町を移転しますか。
現実には地震、津波は起こらないと思っているか、
起きてほしくないとの思いで壁を作っています。
人がいるから町ができ、仕事もあり、食べていける。
人のいないところへは移転はできません。
高台移転を進めても現実に人が集まり町ができなければ
利便性を求めてまた海岸へ戻るかも知れません。
私は現実主義です。
高台移転は希望者が勝手にやればいい、
今の土地に家を建てたい人は立てればいい、
避難路は確保しつつね。
今井一光 (火曜日, 12 3月 2013 20:32)
ありがとうございます。
私たちは歴史上無数に存在した惨劇を書物や
耳で聞いて知ることができました。
しかしロシアの隕石映像も衝撃的でしたが
映像としてのその「残像」は強烈なインパクトです。
3.11についてはあれだけの無数の映像が残り
日本全体が「忘れてはならない」キャンペーンを
張って行こうという方向性にありますので
「忘れることが人間の性」と雖もそこのところは
徐々に時間をかけて、より良い方向へ自然のうちに
進んで行くのではないかと思います。
同時に人は知性ある生き物なのですから。
なにより東南海地震の発生が杞憂であってほしいですね。