「三国同盟」と耳にすれば  善得(徳)寺会盟

民意不在、戦争遂行のナショナリズム、いわゆる「ファッショ」を連想してしまいますが、この「三国同盟」の三国とは「相甲駿」、相模北条氏康―甲斐武田信玄―駿河今川義元のことです。

大局的に見て戦国期の有力大名のくっついたり離れたりの中での一時的の事象ですが、少しでも自国有利に立ち回り未来永劫、力強く生き抜いて家督を残すというそれぞれの思惑が交錯した時々の試行錯誤の結果です。 

 最終的にその三国とも滅亡の憂き目にあっていますので、時世の空しさをも感じてしまいますが・・・。  

 現在の富士市にあった善得寺(場所は現在の善得寺公園)にその三名主は揃いました(場所はこの辺り)。

 1554年、善得寺の住持で今川義元の軍師でもあった太原雪斎が主導、武田信玄と北条氏康を招いて「三国同盟」を成立させたといいますが1569年の武田侵攻によって善得寺は焼滅しています。

 

大河ドラマ「風林火山」にて「三国共通の富士を借景」という台詞と劇中での会盟の血判状を火桶で燃やし、その灰を濁酒の中に混ぜて三者が飲み干すシーンが印象的でした。

 

画像は善得寺公園の門柱と内部。宝珠護國禅師大和尚=太原雪斎の墓と善得寺歴代の墓地。

住宅地で道は狭いので徒歩行が肝心。