島田宿大井川川越遺跡を大井川の堤を背にして進み、今来た道を振り返ると①のような景色となります。
画像中央奥の横断歩道の前が大井川東岸の堤を走る道路です。
スグ手前の石積みの堤①②が徳川家光時代の堤の跡。
よって現在の大井川の川幅は当時より相当コンパクトに灌漑されていることが判ります。200~300mは広かったのでしょう。
その堤防跡の脇に大井川渡しの川会所(場所はここ)の資料館があります。③~⑦
時代の変遷とともに街道筋は整備されていきますが大井川には江戸防御上、橋が架けられることはありませんでした。
川渡しという単純な「渡し」人足もシステムだった制度として確立していき、その人足数となると、島田、金谷でそれぞれ350人と決められていましたが、幕末には650人を超えていたそうです。
資料館は無料で気軽に立ち寄れます。
数種類の川渡しの方法や渡しの金額、付属する道具等が展示されています。
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