全国に散見する「根古屋」「根小屋」という地名については当ブログでも何度か触れていますが(鳴海城、小谷城)この語の背後にはかつてそこにあった「城」について示唆していると言っても過言では無いでしょう。
「根」は「城(山)の麓」の意で城主始め家族、家臣団そしてそれらを囲む城下町の中心を意味しました。城郭が地区の政治権威の象徴であったのに対してその裾野に広がる「根古屋」は生活と経済活動の中心的場所であったと思われます。よって地区住民の生活に根ざした場所という関わりの深さからそれら旧い地名が今も残っているのでしょう。
現在の「沼津市根古屋大城」という地名(場所はここ)はかつてここにあった興国寺城を表しています。この地図の矢印の東側に遺構は残ります。まず根古屋のT字路を見つけてください。
小和田哲男先生がそのブログにて興国寺城継続発掘調査の中で得た考証と進捗について本日アップされていました。
そこで興国寺城での画像を掲示させていただくことにしました。季節は秋でした。
この城は御存知北条早雲がデビュー後間もなく城持ち大名となって伊豆→相模→関東と「国盗り物語」を展開するその最初の足掛かりとなった城です。
コンパクト乍ら今も残る遺構は戦国の城の様相を残し、沼津市の発掘調査や遺跡保存努力によりこれからいよいよ静岡の名城として知名度を上げるのではないでしょうか。
お隣の三島市も山中城の整備に力を入れていますが競い合って歴史的遺物を整備していく姿は真に喜ばしい限りでありまた、羨ましいところでもあります。
この場所はまさに駿州相州甲州のせめぎ合いの場であり、今川北条武田の時節勢力下に編入されたあとも豊臣、徳川の支配下に目まぐるしく移り変わりました。
興国寺城についての詳細は小和田先生のブログ他、各各御調査いただくこととして・・・地形は駿河湾を見下ろすなだらかな富士山南向きの斜面です。
以前、ボストン美術館ツアーの帰りに紹介した画像がありますがまさにここの真下辺りでしょうか。
こんもりと茂った森の中です。(→ボストン美術館展)
そのまた南西方面の湿地帯が駿州相州甲州で締結されたと言われる「三国同盟」直前に北條氏康が攻め込んだ浮島原があります。
現在は城の南面は住宅地となって大きな遺構は残りません。
また主郭付近と北側の城塞背後は丘陵地帯で新幹線軌道があるくらいです。
これからの発掘調査が期待できますね。
上記画像はJR原駅、こちらから北に延びる道路が「興国寺通り」、そのまま国道1号バイパスを越して行けば「根古屋」T字路に。
下①図。周囲に残る土塁、堀切り、空堀等も素晴らしい保存状態ですがやはりかわいらしい名も無き五輪塔に心を惹かれてしまいます。
下②は現地の興国寺城代々城主を記した看板です。
コメントをお書きください