ご当地冬季限定「遠州のからっ風」は体感温度を数度は下げるであろう冷たくて、特に当家の様な「ぼろ家」の住人には毎節の事とはいえ、ほとほとこたえます。
ぼやけばキリがありませんが、築100年以上は絶対に経っている(これは記録が無いので推定)庫裏は各所傾き、すきま風「ひゅーひゅー」。沖縄方言に「ミーニシ」という北西の風がありますが、其の地に居ればそれで「寒さ」を感じました。しかしこの「遠州のからっ風」の嫌らしさは半端ではありません。
我家は本堂の日陰になり、勿論暖房器具を使用していますが、床下には保温材など気が利いた新建材など入っていませんので、何しろ足元が冷えるのです。
このボヤキは暖房と言えば火鉢くらいしか無かった御先祖様が聞いたら呆れかえるとは思いますが、お許しください体が夏仕様になっていますので。
さて、「きんりー」は遠州の方言で「切干芋」のこと。
当地在住経験のある方なら誰でも食したことのある「おやつ」です。
この辺りでは年末からこの芋の加工が始まって商品化したり、多少は保存が効くため家庭用に作りおきされています。
勿論あの忌まわしい「からっ風」を利用したここならではの食べ物なのです。
あの乾燥しきった強風が切干づくりに最適なのでした。
この辺でこの頃の「やっちゃった」事件として聞くことに屋外乾燥中の芋切干が思わぬにわか雨に晒されたということがあります。
それは芋が台無しになって「家用」が増えることを言います。
それほど此の地の風は乾燥しきったもので滅多に雨は降らず、また芋は湿気を嫌うことがよくわかります。
中国から沖縄経由で薩摩に入ったサツマイモの遠州での歴史は御前崎の大澤権右衛門からですね。
明和三年(1766)、御前崎沖で薩摩藩の船「豊徳丸」が座礁し、その船員24名を大澤権右衛門(1694~1778年)親子が主になって助けました。
権右衛門は薩摩藩からの謝礼としてサツマイモと栽培方法を伝授されたとのこと。
そして芋切干は、1800年代半ばに御前崎白羽村の栗林庄蔵が考案し、遠州の名物となりました。
「大澤姓」は御前崎地区に見られる姓で「栗林姓」もしかり。
また菊川平尾地区にも見られますね。まず高天神崩れの家系と推察されます。
①の宝篋印塔が大澤権右衛門の墓でこの地区では彼のことを
「芋爺さん」と呼んでいます。
②が栗林庄蔵の碑です。①②はともに私の友人の「奥の墓道」、実家近くの海福寺(場所はここ)にあります。
③が海福寺前の坂から見た駿河湾。
④が坂を降り切った海岸道路との交差点、保安庁の船と富士山が見えます。
最近は色々な種類が出回っています。
私はきんりーは乾燥が効いた硬く薄く切ったものが好みです。
オーソドックスなヤツですね。火鉢であぶるのも一手。
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