二日の午後になって今年初めて思い立って外へ飛び出しました。
久野城や今川了俊の菩提寺から北の方向に「森ノ石松」で有名な遠州森、一ノ宮という場所があります。
こちらにはかつて戦国時代、この辺り一帯を領した武藤氏の一ノ宮城(真田山城)の遺構が良く保存されていると聞きます。
三が日ということで一抹の不安はよぎりましたが帰省中の「奥の墓道」の友人とそちらへ向かうことにしました。
袋井から森町までは難なく進みました。
ところが仰天、目的の一ノ宮城方向に向かって伸びる田舎道がビッシリとまさに微動だにしない大渋滞。
呆気にとられてよく考えればこの城は一ノ宮城というくらいで「小国神社」と一体の砦です。
どうやらこれは「小国神社」への初詣客の隊列の様と気づいたときは既に遅しでした。
「此の車列には絶対入れてやらないぞ」と言わんばかりに渋滞に辟易として目を血走らせながら車間を詰める女性ドライバーの嫌悪溢れる顔を尻目に車の向きをクールに変えて目前の極楽寺への道に入りました(場所はここ)。
三が日にのこのこやって来た我らが阿呆なのですが、ここは臨機応変、瞬時に新コースを選択。
一ノ宮城はまたの機会に。散策の目的は「とりあえず」ですので・・・
それにしても参詣に向かうにあのあさましい姿、振舞にも呆気にとられました。あ~怖っ。
さて極楽寺も十分に城跡です。この地は「米倉」(こめぐら)と呼ばれる地名でこの極楽寺、別名あじさい寺の背後に控える山が米倉城と呼ばれています。参拝者殆どゼロで最高です。
この城は二俣近江守昌長という人の築城と言われますがその名の通り、「二俣」の出で当地に参ったそうです。
二俣氏は菊川内田氏、横地、勝間田氏と同族、横地・勝間田の滅亡により斯波氏から今川氏に移りました。何故ここに来たのかは不明です。
極楽寺はあじさいのシーズンですと境内に入るにはその観覧におカネがかかりますが今の時節は無料です。
境内に入ってスグ左側の祠の前には結構古そうな宝篋印塔が一基。②
その周辺には小さ目な宝篋印塔やら五輪塔の残材が転がっていました。③
墓地最上段④には 歴代和尚の墓地群があってその中心にも燈籠付の宝篋印塔が。
今年最初の墓巡り、目的変更も、ちゃんといい出会いが用意されていました。
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