火剣山、諏訪原城、小夜の中山上記を地図上で確認しますと
こんな感じです。A火剣山 B諏訪原城 C小夜中山久延寺
今は火剣山(ひつるぎさん)と言えばこの地区では山頂から北西の尾根づたいに小夜中山、旧東海道へ辿れるハイキングコース、整備の行き届いたキャンプ場があります。
売りは勿論「自然との触れあい」でキャンプ場のHPを見れば「もしかするとカモシカに遭えるかも」とも記されていいるほどです。
地図B「火剣山」は当大澤寺HPの「遠州歴史散歩」を参考いただければと思いますが、この山には諏訪原城対策の付城、火剣山砦が築かれていました。
天正元年に武田勝頼が高天神攻略の足場として諏訪原城を築城しますが、徳川方は諏訪原城の鼻っ先にあるこの山頂に諏訪原城対策として砦を築きました。
天然の要害の感、この山は上記尾根以外は谷に囲まれた独立した山で、敵陣の諏訪原城は一望、罵声まで届かせられるほどの距離にして主城高天神城から遠州灘、駿河湾まで一望にできるほどです。
尾根伝いには遺構が確認できるということですが、私はあいにく未だそのルートはチャレンジしていません。
火剣山は三郡(みごおり)山と云われ、榛原郡、佐野郡、城飼郡の三郡の接点にあたる場所にあります。
小規模の砦が比較的大規模な諏訪原城の目と鼻の先に簡単に作られて維持できたのはその立地です。
前述しました様に、両城の間には菊川が削った急峻な谷がありました。
その谷を「神谷城かみやしろ」地区と呼びますが地名を聞くだけで何か意味深な歴史を感じます。
静岡県のHPにこの「神谷城」についての記述がありましたので
抜粋してみますと。
「向こう三件両隣り、人情あふれるお茶の里」を表題に
★地域の中央部を流れる菊川を囲むように点在する170戸の
静かな集落
★昔から地滑りが起きやすい地域近年、イノシシ・シカ等
鳥獣被害に苦慮しています
金谷と日坂・掛川方面を行き来するのみでは判りにくい場所です。
画像③は駿河湾焼津方面④は相良―空港線のバイパスの橋梁を望む図です。高天神城方面もかつては窺えたはずですが今は木々が茂って確認できませんでした。
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にゃろこ (日曜日, 04 7月 2021 18:58)
その神谷城に移住して3年。
温かい人達と静かでほわっとした土地柄。終いの住みかにと惚れ込んで決めました。
山里ですが決して不便ではなく、駐在所もあり安心安全な一面、時々キジが舞い降りたり裏山でほととぎすがしきりに鳴いたり、カモシカが庭を横断したり(笑)自然が一杯!
猪には困ったなーと思うこともありますが、いろいろ楽しんでいます。
今井一光 (日曜日, 04 7月 2021 22:03)
ありがとうございます。
静岡県内、旧東海道に1国バイパス近くにあってあの地ほど「隔絶された」を思う場所はありませんね。
やはり谷合の自然溢れる地であって社会の喧噪など通過してしまうといったところでしょう。思うに冬場の日没近くからの冷え込みなど勝手な心配をしてしまいますが末永く楽しんでください。
人以外の生物の棲息繁盛はその少ない人たちにとっては最高のご褒美ですね。
私も久々あの地を覗いてみたくなりました。旧道から見下ろすばかりでなく。
にゃろこ (土曜日, 10 7月 2021 22:55)
先週は、近いうちに歩いてみたい火剣山の下見にキャンプ場に立ち寄り、その夕に大澤寺様のブログに出逢いました。神谷城移住前は実は初倉に永く住んでいましたので、よく耳にした人名や種月院などについての文章に惹かれました。そして学んだ中学~短大の学校がまた偶然浄土真宗でしたので、親鸞上人についても思い起こすこと多く再び学ばせて頂きました。いつまでも人間学ぶこと大切ですね。日々自然との共生を楽しみながら、まだまだ成長出来ればと思います。
今井一光 (月曜日, 12 7月 2021 00:48)
ありがとうございます。
そうでしたか南無阿弥陀仏を通したご縁もあったのですね。
初倉といえば神谷城以上によく通過させていただいています。橋が開通してから特に。
そして成長の件、同感です。
「もうこれでいい」なんてことはありませんからね。
私も見て聞いて体感して学んでいきたいと思います。