「輪廻(りんね)」とはグルグル廻る車輪の様態をいいますが
勿論仏教用語でしょう。
高校時代に、ある教師が教科書中のこの言葉を「りんかい」と
読んだためそれ以来その教師をこっそり「りんかい」と呼んではニヤニヤしていました。
横浜の友人とは今でもその状況を思い出しては昔話に花を咲かせています。もちろんその教師の名前などは憶えていませんが、この読み違いについては相当のインパクトだったことは確かですね。
「六道」、これは「ろくどう」とか「りくどう」と呼びますが
人間が赴くグルグル迷界(冥界?)のことで仏教界の正数?「七」にどうしても満たない中途半端な世界を表します。
「輪廻転生」は大抵の宗教にあわせ持っている共通の概念で
何らかの形での「死→生」の繰り返し、またはキリスト教的、「復活」のイメージでしょうか。
昨日のブログの通り六道を記せば
①地獄道②餓鬼道③畜生道④修羅道⑤人間道⑥天道
この各道を車輪の如く転回し迷い生きるのが我等人間世界に生息する者たちの宿命であって、その迷いの世界から脱して(解脱)あるいは成仏しなくてはならないという教えが仏教であると言ってもいいかも知れません。
①~⑥の羅列はあたかも①→⑥の並びの順でだんだんとランクが「マシ」になっているようにも見えますね。
問題は人間道の上の天道の解釈ですが、この六世界に居る限りはどこかで下位ランクに転落する可能性のあるものです。
そもそもこの六道の思想は「死んでから行く場所」のことを表したものではありませんね。
昔、子供の頃、地獄は死んでから行くものだと良く言い聞かされたものでしたが・・・
よって考え方としては・・・
六道輪廻は
①今生きている私にかかわることで死したあとではない
②行く場所では無く心の在り方
③煩悩を持ち合わせている故に陥る世界
④それら「道」の回転の時間はまちまちで一日のスパンで
あったり一週間、一か月、一年から一生までまさに様々です。
たとえば短い一日のスパンで言えば
①働くだけの嫌な会社の嫌いな上司の命令で嫌々仕事をする地獄
②腹立ちながらも腹減って「メシ、メシ」と家族を怒鳴り
散らし八つ当たりして貪り喰って
③親切な人の助言を聞かずに浅ましく喧々と振る舞って
④結局にどう仕様も憎くなって喧嘩して
⑤少しは気が収まって酒でも飲んでイイ気分。
懸想の人に褒められて
⑥飛び上がるほど嬉しくなって天をも舞う気分
一夜明けるとまた同じ
・・・・繰り返し、繰り返し
そして比較的長い時間の六道輪廻について真宗的にご説明するに私はいつも「ホリエモン」を引き合いにだします。
①地獄のような試験勉強勝ち抜いて
②人より得点重ねてエリートコースをがむしゃらゲットして
③己のためにのみの成功をひたすら夢見つつ
④他人を蹴落として起業して
⑤カネの亡者でいけいけドンドン拡大路線
⑥大成功を謳歌して天下を見渡す六本木ヒルズの住処に
フェラーリ乗って・・・天にも昇るやりたい放題
一夜明けると監獄ご飯の被告人(また地獄行き) 。繰り返し・・・
ペットのことを「畜生」と言う人がいましたが、畜生の心の代表はむしろ人間の方。よほど嫌らしい面がありますね。
しかし彼らネコどもの「我欲」と雖もこれには癒されます。
私ごときはあばら骨の浮き出るようなお釈迦様の如くの生き方は決して出来ませんが・・・。
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