必ずその時が来ることは判っていますがてっきりそれは「その日」だと思いました。両親健在の中、母親の方です。
すべてを「受け入れるのみ」ですので「その時」に関しては日々迫り来て、あとは「時間的猶予」のみであると心得てはいます。
6月に原因不明の卒倒をして丁度半年後の13日夕刻、デイサービスからの車より降りてすぐ、またも昏倒して大きないびきをかきだしました。可哀そうだったのはデイサービスの付添の方で相当狼狽えていましたね。私も母のその症状は初めて見ましたので驚きましたが。
私は以前、神奈川県内の道路公団の関連会社で1年ほど御世話になっていたことがありますが交通事故後の意識不明者の「大いびき」についてはその緊急性について理解していました。今回の母を見て脳の損傷、出血を連想したからです。
よって母親の姿を見て「もはやこれまで」と即、救急車を手配させてもらいました。
ところが御前崎救急3名のテキパキした対応によりみるみる意識は回復しました。「声掛け、呼びかけ」は案外効果がありますね。あの手の症状に回復は無いものと思っていましたのでそれは本当に驚きました。
しかし救急車の中で私の事を「誰だ?」と聞けば既に亡くなっている母の弟たち(私の叔父たち)の名を呼んで私のことは判別不可。
ああこれは吉本新喜劇のネタではないですが、「三途の河やぁ」と彼岸に渡る所を声を掛けて止めたのだなと変に納得。
数時間待合で待機することになりましたがこちら(救急)に自力で診察に訪れる人たちは「絶対にインフルエンザだろ」という症状を告げる人ばかりでこれは「感染しなければイイな」と戦々恐々でいましたね。季節がらその手の人たちが多いのには閉口します。
MRI診断の最中、この病院には脳外科が無いので転院になるのかそのままこちらに入院になるか、はたまた葬儀は、と色々考えさせられましたが診断結果は仰天の「何でもありません」でした。
まるでキツネにつままれた様。
いったい何が起こったのか医師は結論を出しませんでしたが念のため明日診たいということで再来院の予約ののち本日無罪放免。
またも如来さんにたすけられたなと感服している次第です。不可思議なこともあるものです。
私の母親の命が永らえたことはそれはそれでいいことであると受け止めていますが、何よりも日頃「近ごろの若い者ときたら」などと妙にオヤジ臭い言葉に耳を傾けてはフムフムと頷いている身を恥じながら感心したことは、世の中のサラリーマン諸兄が忘年会等で一杯やっている頃、私ども親子が接してきた「現場」の各各担当者たちは皆20代30代。
プロ意識に燃え、各担った役をこなして、忙しく動き回っていました。救急搬送・看護師・医師たちです。
若さあふれんばかりの人たちの活力はすばらしく、また美しいものです。
我らは口だけで何もできない身であると、そう思わざるを得ませんでした。彼らの姿を拝ませていただいたことに本日一番の有り難さを感じました。
20時30分前に「退院」させていただきましたが最後に「あと10分で到着」のアナウンスを聞きました。救急車の到着予定です。
看護師さんは「本日20件超えました」とのこと。
苦笑いしながら淡々と次の受入れの用意に取り掛かっていました。
こんな平和で穏やかな時代にここは戦争状態の様。
久し振りにあの方々のお仕事拝見させていただきました。
いたく満足して帰宅いたしましたよ。ありがとうございました。
年配者は寒さの変化が急で体の方の対応ができないそうです。
散歩や運動も推奨すべきですが温かいところから突然寒風に身をさらすのは危険です。
一昨日には近所の母の知人の訃報を聞いたばかりでした。
ちなみにその方の御次男はその翌日に本通りで交通事故に遭われたとのこと。一方当事者も面識ある方でこの師走になっての双方の御苦難、痛切に感じます。
難しいですね。健康のまま歳を重ねることは。
というわけで19時開催の相良地区津波防災説明会には参加できませんでした。
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小山昭治 (金曜日, 14 12月 2012 09:52)
大変でございました。でも 確かに
これからいろいろ起きることでしょう。
これも順番です。
とはいうものの 当家は母の子供孝行で
あっという間の出来事で終わり
今更ながら感謝しております。
まだまだ大変なことが起きるでしょうが
お付き合いしてやってください。
今朝 みかんをいただきました。
早速仏壇にあげ、今晩 味を見るつもりです。
骨身にしみるほど酸っぱそうですが。
今井一光 (金曜日, 14 12月 2012 10:04)
ありがとうございます。
そしてみかんも。
私も飛び上がるほど酸っぱいのだろうと騙されたと思って
食しましたが案外イケました。
風邪予防に召し上がってください。