抜刀会忘年会で見た1本

前相良町長の御子息中村氏は神主兼日本刀の研ぎ師。

お兄さんが相良史跡研究会の副会長でやはり神主。

元榛原高校の教師です。

御当家は相良の方ならよく知られた家ですが聞くところによると鎌倉期~室町初期に中央より萩間黒子地区に居を構えた当地でも最古参の部類に入る根っからの相良住民です。

大澤寺が1500年代後半に近江より移住してきていますがさらに大先輩ですね。

 

 あのダリウス・グレニジと初めて会った場所が中村氏に連れられて来たこの会の、いつの日か催された新年会でした。

私のみ熱いお茶を特別に入れてもらって乾杯です。

会費が安いためか一同あっという間に酔っ払い。

どうしても時期的に方向が政治談議になって少々疲れますが、この会への私の出席の目的はやはり歴史のお勉強ですね。

 

 会の主催者は県教育委員会に刀剣類の鑑定を委託されている方ですが、そのコレクションには度肝を抜かされます。

 

江戸中期のものでしたが火薬と弾さえ装填すればスグにでも発射できるという火縄銃のその華美に走らない機能面の美しさ。

この手の「品物」には垂涎の方々が周囲に群がって値決めのオークションシミュレーション。結局オーナーの返事は出ませんでしたが。

 

また刀は「特設会場」に6本ほど並べられていましたが、すべて未使用品に近いもので「重要刀剣」クラス。

信長お抱え刀工ともなった大和は當麻寺の「当麻」(たいま)の系統となる名品や元大名所持品等がズラリと並んでいて実際に手に取ってみることができました。

 

 画像③が無銘ですが鎌倉期「当麻」といわれる脇差。

当麻寺に属していた刀工です。

当時の大和の寺は貴族的というか政治に大いに介入する傾向にあったため強烈に自己主張しました。

よってお抱えの鍛冶師、大和鍛冶を育成し、僧兵を統率し武装化しました。

 

各寺院は独自のお抱え工を持ち刀工は寺と共に栄えていったのです。

歴史と共に寺院勢力が衰退し武家が大いに台頭する室町期にはその姿を消しています。

 

人殺しの武器が美術品としてその美しさを今も残している日本刀のコレクターが世界に広がっている理由が判るような気がします。