本来このブログタイトルからして甚だ不謹慎であり画像の掲載には多少の躊躇はいたしたものの今回は趣味の部分を離れた法務として訪れた場所、そちらでの私の日記のような類のものとしてお受け取りください。
12日夜から14日まで法要を兼ねた研修を東北方面にて行いました。
気仙沼まで東北道で下り、2日かけて女川・野蒜・松島・釜石・仙台と南下しました。
おかげ様で天気予報とは違って良いお天気。
無風で松島から釜石までの海上法要などまったく寒さを感じませんでした。
バスが吉田インターを降りてサッカー日本代表が勝ち越し点を入れた頃(オマーン戦)、最初の同行御寺院様降車の際、外気に触れたときは驚きました。
冷たい空っ風でハッキリ言って東北より体感温度は低いのでした。
その日の東北地方太平洋岸は温暖で心地よい御日和でしたので尚更です。
榛南仏教会の主催したツアーの目的は、実際にこの目で見て聞いてどう私たちが生かして、また生かされていくのか、そしてできることなら手を合わさせていただきたいという気持ちから今回のこの研修会となりました。
3名のボランティアの方の案内、と都合4回の法要をとりおこなわせていただきました。
今更あらためて画像の紹介は致しませんが、ボランティアの方々が共通して仰っていたことは「まさかあれだけ大きい津波が来るとは思っていなかった。油断があった。」ということでしょうか。
生と死の区別は偶然であるのですが、ただし生きるためにはただただ逃げるということ、念には念を入れるくらいの「臆病さ」が必要と認識しました。
どんなに勇猛果敢に対応できたとしてもあの激流に飲み込まれぬ者はいないということですね。
今は殆どの瓦礫が片付けられて一瞬「ただ何も無い場所」の様にしか受け止められない箇所がたくさんありますが、鉄で出来た建材も車も建物も、すべてが押し流されて何も残っていないという光景には、それはそれは不気味に感じざるを得ませんでした。おそろしいことです。
あの状況を見ていて「復興予算」を名目に群がる役人どもには呆れ果てるばかりですね。
それがまかり通るのならどんなに選挙をしてどこかの党が勝ったとしても、もうすでにこの国は「死んでいる」といってもいいのかとも思いました。
くだらない選挙ごっこに付き合うのはやめようかな。
どこがやっても同じでしょう。
コメントをお書きください
小山昭治 (木曜日, 15 11月 2012 08:54)
ご苦労様でした。
慰霊する気持ちがあれば亡くなった方への
慰めにはなると思います。
今の政治家は、官僚には、あきれてしまいますが
それでも日本の国を動かすには政治が必要です。
選挙を拒否してしまったら独裁国家や中国と同じです。
たとえ 白票でも投票すべきです。
投票の権利は、軽くても投票すべきです。
それでも納得しないならば自分で立候補するのがいいでしょう。
応援しますよ。一票入れますよ。
(とりあえずは市議会から)
今井一光 (木曜日, 15 11月 2012 11:18)
ありがとうございます。
またご推奨のこと、痛み入ります。
永田(野村)さんも投票してくれそうですのでこれで2票は確実ですね。
私はお寺の仕事にアップアップ、趣味の「お墓参り」に気持ちが取られ、あちらの世界(彼岸か・・・)は、傍観して、ただただ文句を並べているのが一番居心地よいところです。
「三途の河(政界)」へ渡るには元都知事の様に80過ぎた頃がいいのかも知れませんね。それまで何とか命を長らえていきたいと思っています。
投票は国民の義務でもありましたね。
そこのところ「しっかり きっちり」やっていかないとこちら(此岸)で文句を言う機会すら喪失してしまいますから。
12月のショータイム、チケット1枚買って拝見させていただきましょう。
ありがとうございました。