11月17日(土)18(日)に「全国お茶まつり」が掛川市にて催されることはお知らせの通りです。
牧之原市民が関西方面にJRを利用して向かうとすればまずここ掛川駅を使います。
駅南の駐車場に車を停めて新幹線に乗り込むというパターンです。
そしてなお、あの高天神城(土方)があるのもこの市で私どもにとってご近所の親しみの深い地でもありますね。
NHK大河ドラマに一番古い時代(平安時代中期)を扱って未だ更新されていない「風と雲と虹と」(1976)があります。
当流では「薩摩のかくれ門徒」の話でも著名な海音寺潮五郎の原作です。
主演は平将門の加藤剛に吉永小百合、当時一世を風靡した二人でした。
その加藤剛は御前崎白羽出身ながら牧之原市の旧郵便局の植田家や現牧之原市長とも親戚関係で、かつて当山で催された法要に御参列いただいた時の姿が想い起こされます。
さて坂東の田舎武者平将門をテーマとしたこの作品は将門(まさかど)のイメージを一新させたことでも効果のあった作品です。
それまでの将門ときたら「東国の新皇」と天皇を名のって独立を標榜し(承平天慶の乱- 瀬戸内海の藤原純友の乱とともに)朝敵となって討ち取られ、この人が平清盛より以前の「武士」の大元で粗野な成上り、そして死したあとは崇りと天変地異の元凶として畏れられた人でした。
今も各地に将門の首伝説が伝わっています。
銭形平次でお馴染み勝負の神、将門を祀る神田明神は戦国時代から崇敬を集めた神社です。
神田の読み「かんだ」とは首を斬られ将門の胴体=「からだ」が変化したものという説があるくらいで江戸幕府では城の「鬼門」を守る聖地として重んじられました。
その掛川に「十九首町」という意味深な地名が今も残ります。
そこに東光寺という曹洞宗のお寺があります(場所はここ)。
将門を討ち取ることができた藤原秀郷は将門をはじめ一門の家臣共、計十九人の首を持って京に上ることになりました。
首の配達の一行はこの辺りまでやってきましたが、京ではそんなヤバイ奴らの首を京に入れれば「絶対祟られて悪いことが起きるのは決まっている」という意見が大勢で、逆に首実験の勅使が派遣されてきました。
双方が掛川のこの地で遭遇したのです。
そして塩漬けにした将門等の首をこの血洗(東光寺南側小川)で洗って、橋の欄干に十九人の首を懸けて確認を行ったとのこと。
そのあとにこの川の脇に埋葬したというのがこの町の名の発祥です。
また「掛川」という地名はその首を「懸けた川」と墓地から発展した町であったという伝承がありますね。
この地は住宅地の中にあって車も停めにくい場所です。
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