私の遠方地での散策にスマホのナビ機能や検索機能もありますが欠かせないというか楽しみにしている事が通行人にやたらと声をかけて場所を尋ねることです。
大体の目的地の情報は掴んでから実地に向かいますが、欲深く「あそこもここも」と時間の無いなか、候補地をピックアップはしつつもロクな下調べをせずに「とりあえず行ってみる」という散策が多いため無駄な歩きも多いことは仕方ないところですね。
大阪というとどうもそこの人たちのパワーに押され、かつ灰汁のつよい人間性を思い浮かべ道など聞いたら下手をすれば
ドヤされでもしないものかと思っていたほどです。
しかしこれはてっきり小生の思い込みで大きな誤りでした。
大阪歴史博物館を出たあと当初バス集合場所の千日通りよりは少しばかり歩きますが、四天王寺まで足を伸ばそうかと思っていました。
しかし何故か突然、真田信繁(幸村)の冬の陣の出丸-「真田丸」にもここからは近いはずと思い付近をうろちょろ。
「真田丸」という場所はもはや無いはずですが大阪城南側で聞けば何とかなるだろうという安直な考えからでした。
雨中「真田丸って知ってますか?」。
しかし都合10人以上の人に聞きましたがまったくわからない。
あとになって判りました聞いていた場所は「南」ではなく「西」でした・・・
この10人以上という数字は新記録です(先日行った四日市の家康「思案橋」については10人目にして適格な案内をいただき無事到達できましたので)。
そのうち2人が「真田山」ならという人がいましたが今一つ違うのかなと。~まったくその「真田山」でよかったのですがね~
「それは船の名か?」といいつつもカバンの中から案内書や地図の類を出してくれそうになった方もいました。
どちらの方も親身になって私の「ワケわからん」難題を解決しようとしてくれたのです。それも雨が降っているにもかかわらず。
結局方向すらもわからず仕舞い。最後に役所らしき建物がありましたので受付の御嬢さんに聞いてみました。
そこからの対応がまた凄かったです。
「隣の棟の合同庁舎の1階に情報センターがありますのでそちらへどうぞ」でした。
てっきり観光案内所の類と思い、それではと赴いてみればいきなり警備員が2人立っている受付とその先に入館証読み取り式のゲートがありました。
どうにでもなれと「真田丸」を聞くと住所氏名を記入する用紙を渡され記名後入館。(時間がないのに成り行きで・・・)
まさかこれほどの大袈裟な事になるとは思いもしませんでした。
受付後丁寧に先ほど聞いた部署へ案内されて20分ほど調べていただき(要は担当者殿、ご存知無かった)何とかその場所に行く方法を聞き出すことができました。
「この道をずっと行って「森宮駅」からJR環状線「玉造駅」より徒歩10分。そのへんで聞いてください。」でした。色々資料をコピーしていただきましたよ。
案外タクシーは走っていず「玉造駅」を通行人に適宜連呼して徒歩で向かいました。
「心眼寺」(場所はここ)は門前にそのことを表す石標が建つのみ(門扉には六文銭が・・・)で案内の掲示も無く拍子抜けしましたが、一応は目標達成して四天王寺へ向いました。
どう考えても「真田丸」は現在の大阪城からは相当離れて孤立した場所の様に感じます。大阪城が今以上の巨大な縄張りであったことなのでしょうか。
帰りは裏通りで昼食中のタクシーが停車しているのをつかまえました。心眼寺から四天王寺、料金1200円。
それにしても摂津の国は近江と同様みなさん優しかった。
まったく考え方、変わりましたね。
尾張・伊勢で職人系、店主系の方に道を聞くとこうでしたから。
「知らん」「そんなん知らんわ」「知らんわ はよ行け」などおっ払わんとするばかり。
たまたまでしょうか、もっとも私が聞く「その場所」は地元でもかなりマイナーな場所が多いのかも知れません。
しかし尾張コワい・・・。
総括すると、大阪人は厚い。ただし大阪の人に道を聞いた場合、意思の疎通が悪いのか、その身振りの方向の感覚が違うため全部で3回、90度方向違いの街路を歩くハメになって無茶苦茶遠回りしました。
自宅に帰ってそれぞれの方がどういう案内をしたか検証すると凄い案内をされたのだなと思いました。
何より土地勘ゼロの場所に行く時は下調べが肝心です。
上記の合同庁舎は大阪県庁だったのです。指示されたJRの「森宮駅」まで行って電車を利用することは不効率と思い徒歩で向かったことは正解です。
もっとも最初から向かう方向が違っていましたので永久に「森宮駅」には着きませんでしたがね。
「この道をまっすぐ」とか「あっちの道を下る」「そっちの通り」という表現がポイントですね。
また大抵が「よりわかり易い道を」ということで大きい道を案内してくれることもあるでしょうが。
こういう角度から地道に統計をとっていけばお国柄がわかって面白いのですがね。
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