遠江・駿河守護、今川貞世(了俊)が編纂したという説がある徒然草の三十八段は「名利」について大いに語っています。
徒然草は兼好法師による随筆集で時代は動乱の鎌倉幕府滅亡前夜、遁世僧らしく仏教的示唆に富み、上記の次の三十九段はごく短いながらも法然上人とその阿弥陀浄土の教えを端的に言い表しています。
三十八段の「名利」について「そこまで言うか」と思えるほどまた、有り得ないような罵り、唾棄すべきものの如く書き綴っています。
しかしその内容は現代を生きる我々への投げかけと言っても過言ではないかも知れません。
徒然草第三十八段
名利に使はれて、閑(しず)かなる暇(いとま)なく、
一生を苦しむるこそ、愚かなれ。
財多ければ、身を守るにまどし(悩む)。
害を賈(か)ひ、累(わざわい)を招く媒(なかだち)なり。
身の後(死後)には、金をして北斗をささふとも、
人のためにぞわづらはるべき。
愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみまたあぢきなし。
大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、
心あらん人は、うたて、愚かなりとぞ見るべき。
金は山に棄て、玉は淵に投ぐべし。
利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。~
「身の後~北斗について」の部分はこうです。
「その人の死後に、天井の北斗七星を支えるくらい積みあがるほどの遺産があってもあとに残った人々にとっては案外厄介なことになってしまう。」
経済至上主義を超えた拝金主義的傾向の現代の人たちへ贈られた「名利出世」の痛烈な批判に感じます。
三十八段は上記、「一番愚かしいこと」に続き、②「出世」を求める愚かさ、③知恵才覚を求める愚かさと続きます。
それら三つの愚かさはすべて自我煩悩のなせる業、思い悩む元凶であると兼好さんは言っているのでしょう。
それにしても痛烈です。700年以上前にこんなことを皮肉たっぷりに言ってくれる方がいたのは驚きです。
思わず口元が緩んでしまった節は「大きなる車」「金は山に棄て、玉は淵に投ぐべし」です。
「大きな車」はステータス、現代人の誰もが望むところですし「金は山に捨て玉(ぎょく-宝物)はドブに投げろ」ですからね。
画像は兼好法師も滞在したと云われる横浜市金沢区。
当時はこの山の崖下まで海岸線が迫っていたと思います。
赤丸は私が横浜に居た頃の借家。
画像上部に職場のニッパツ横浜本社工場と横浜市大病院が見えます。
その向こうは東京湾。
画面右上が日産追浜工場テストコース辺りでしょうか。
お話は飛びますが家の目の前に市大病院の看護婦寮があって夜な夜な不審者が出没していました。(今は「看護婦」という呼び方はしませんね)
私も二度ほど会社の帰りに職質にあいましたよ。
「家がスグそこです」と言っても信用されず自宅までお巡りさんに送ってもらいました。勿論私の虚言と判断しての確認作業であることは言うまでもありません。
空き巣もこの界隈で頻繁にありましたので「やれやれ」と思いつつも肩を並べて一緒に歩いたものです。
私の友人(例の似非サッカー協会)も、この周辺に連なる「グリーンベルト」(遊歩道付き緑地帯)のベンチで酔っぱらって寝込み、身ぐるみ剥がされたこともありました。
彼は盗られた愛用の自転車をその「グリーンベルト」内を数日かけて探索し金品を抜かれたバックとともに「回収」していましたね・・・
また家の前には小さな公園があり、そこではよくテレビや映画の撮影をしていました。
やはり会社の帰りがけに当時一世を風靡していたモーニング娘のなんとかちゃんというのがロケバスで乗り付け、まさに撮影本番中に私と友人がその前を通りかかったことがあります。
すると警備担当なのかそれらを仕切っている人らしき者が私たちに向かって怖い顔をして人差指を口に、「しっ!」と言いながら通行を制止してきた事を思い出します。
場の雰囲気からいたたまれなくなり、また呆気にとられて家に入りましたが、少しばかり経ってから「なんだってあいつに怒られなくてはならないのだ」「だいたい撮影の許可をとっているのだろうか」と些か狭量ではありますが疑問と怒りがこみ上げて「一言言ってやろう」と外に飛び出したものです。
そのときは既に皆立ち去ったあとでしたね。
全ての人間が芸能人の娘にちやほやするであろうと振る舞う失敬で高慢、協力するのが当然!と思いあがった態度に無性に腹が立ってしまいました。
色々なことが思い浮かぶ懐かしい写真です。
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