中学校で教わった語呂合わせ。
そもそも「幕府」を武家政権として呼称し、またその語彙の使い方は明治になってからのもので当時は武家の棟梁として源頼朝を「鎌倉殿」と呼んでいました。
語呂合わせは頼朝が「1192年」(いいくに)に征夷大将軍宣下があったことから「幕府開幕の年」として丸暗記したものです。
試験に際しても何度かその「年」を問われる問題に遭遇した覚えがあります。
鎌倉にやってきて渋滞中、停車中の車のナンバープレートをなんとなく眺めれば「11-92」ナンバーに複数お目にかかれるくらいです。
しかし最近の教科書では幕府成立という年代をその「いいくに」では無くて「1185年」の平家滅亡後、守護・地頭を配した年「いいはこ」としています。
頼朝が死してから鎌倉殿となった頼朝嫡子、源頼家は18歳。
まだ子供の頼家に「十三人の合議制」体制を創設させ頼家に政務を任せず中心御家人たる頼家の外戚、北条時政・義時父子は他の有力御家人を次々と排除してのし上がり、北条家はその後いわゆる執権政治から得宗専制政治、そして滅亡へと進んで行きます。
頼家そして弟の源実朝が謀殺されて源家の武家の棟梁時代はあっという間に終わってしまいました。
さて、今年の冬、2/11の白昼に頼朝のお墓(場所はココ)を壊した人がいましたね。
愉快犯なのか何なのか判りませんが、意味不明なことをしますね。
同境内地にある狛犬などもひっくり返したとのことです。
そのため物物しくボランティアの方々が周辺を警戒していました。
墓石や何も抵抗しない弱きものを痛めつけるのが流行りものになっている世に成り下がりましたね、この国は。
普段相手にしているものがゲームの中のキャラクターばかりで生身の人間との交わりや対話が無くなってしまったからですね。
墓標は引きずり落としても決して怒ることはありませんし狛犬が狂って食いつき返すことはありません。
画像は春に倒された源頼朝の墓標。
1779年に薩摩藩主島津重豪によるもので宝塔は比較的新しいものを感じます。
そして台風で倒れた大銀杏の切株(縄で囲まれた場所)と本体の一部。
実朝が公暁に斬り殺された石段(ほとんど作り話とか)の13段目から撮った図です。
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小山昭治 (水曜日, 19 9月 2012 16:37)
質問 お墓と言われる墓の下には、お骨があるのですか?
たとえば 頼朝の墓もそうですが、
小堤山公園の本田忠晴の墓の下とかは?
まして 周りにあるお墓は家来の墓ですか?
その下にはお骨があるのですか?
全員が自害でもしない限り一度にお墓が建つわけもないし
それとも お墓は記念物?
あちこちにある首塚も何ですか?
首が埋まっているのですか?
ばかばかしい質問で申し訳ありません。
今井一光 (水曜日, 19 9月 2012 16:52)
本日は法要ご参集ありがとうございました。
ご質問の件、とても意義あるもので有り難く存じます。
当ブログにて記させていただきます。
ありがとうございました。