大切にしたい松の大木

松の大木、老木の立ち枯れの話は最近よく聞きますね。

どんどん松が少なくなっているような気がします。

老木でなくても相良の海岸の松、まっ茶っ茶のボロボロで今や見る影もない状況ですが。

この夏、3月8日のブログで紹介させていただきました「根上がりの松」の処理が終わったようです。

とにかくこの松ができるだけ永くこの地に建ち続けることを願うばかりです。牧之原市ご担当者御苦労さまでした。

 

 「根上がりの松」は県の天然記念物で相良福岡の住宅街にあります。

場所は「乃庄」さんの西隣。ココです

私はこの松の前を通る道は旧海岸線の松並木が連なっていたと想像しています。

よって現在は200mほど陸が増えている感覚ですので国道150号が波打ち際あたりだったでしょうか。

 

ここから東に陣台山が連なって相良幼稚園辺りがあの高坂弾正の屋敷が「あったのかなぁ」と推測しています。

 

 この松たちが文化財に指定されたのは1954年、同じように根のもちあがった松は全部で5本ありましたが、1959年の伊勢湾台風で3本が倒れてしまいました。

この松の異様な形について以前は宝永四年1707年の大津波で根本の砂が流されて・・・というのが定説でしたが、実は藩主本多忠如(ただゆき 三代藩主)が1717年に町を風害砂害塩害から守るために植樹したという話が残っており、それがコレなら話が矛盾してしまいますね。

 

 また本通り、新町の現在の相良のメインストリートよりも海に近いこの松の前の通りの方が幾分標高が高いということから浸食と人為的な開墾工事により根が上がったようになったと解釈するのが最近の考え方です。

 

 

 昨今、松枯れはどこの自治体でも相当の悩みでしょう。

私の生まれた小田原市の城址公園にはたくさんの松の高木がありますが以前は内緒で夜間スミチオンという薬剤を松の最上部まで伸ばしたスプリンクラーを稼働して噴霧していたといいます。

松食い虫の駆除には一定の成果はあったようですがそれが原因かどうかわかりませんが市内南町本町城山界隈では白血病その他不可思議な病に罹患するという噂がありました。私も少なからず4件の事案について承知しています(10年以上前)のでまんざらデタラメとは言い難いものがあります。

現状はどうなっているのかはわかりませんが。

 

 遠州地区はヘリコプターで散布といいますが告知と風向きについて配慮願いたいですね。相良小学校にもたくさんの松が残っていますが松食い虫対策、子供たちと近隣住民の安全との兼ね合い、難しいですね。

私もその辺のところどうなっているのかまったく知りません。

 

下の画像はこれも以前紹介させていただいた小田原市南町の平成輔墓所です。このモノクロ画像は私が小6の時の夏の宿題のスクラップブックの一コマですが墓の左側に樹齢500年以上といわれる松の大木が建っていました。

ところが最近訪問して気がついてみると切株が残るのみでした。

 

当家墓地裏にもそれと同じ様な大きさの松がありましたが1980年代に枯れました。

7年前に私が入寺した時はその切株がありましたが今はその痕跡すらありません。

非常に寂しいことです。