番場の蓮華寺は近江の三大山城の一つ鎌刃城の麓にある寺で城主の土肥三郎元頼の墓もあります。近江国人領主、近隣箕浦の「今井」の名もそこそこ文献には出てくるようで少なからず親近感が湧く場所でもあります。
鎌刃城は立地的にも中山道、北国街道近くの要衝であるうえ南近江六角氏と北近江の京極、浅井との中間点、毎度いざこざの絶えない場所だったようで城の造りは防御に力を入れたであろう土塁、石垣の工作物遺構が窺えます。
急峻な山に谷を備え、鎌刃という城の名の元なのか長く伸びた尾根づたいに曲輪を各所に備えた造りです。小谷城ほどではありませんが主郭を隔てる大きな堀切に石垣はなかなかの見物です。
しかしここで出くわした鹿の親子3頭には肝を冷やしました。
あまりに双方慌ててこちらもカメラを向けることすら忘れていましたよ。
小谷城・観音寺城ならともかくこの城に単独で登る観光客は滅多に居ないでしょう。
鎌刃城は、名神高速をくぐって登城するのですが、最短で登城するには蓮華寺からの道よりも少し番場の町並みを行ってあぜ道状の細い道を高速脇の広場に車を停めて行った方がいいとアドバイスを受けました。
もう少し先に車両でも、ある程度まで行けそうな道がありましたがこれは殆ど「勝負!」みたいな林道で、後のリスクを考えてここは遠慮いたしました。
我らが登城した道は民家が近く、そのため高速下のトンネル入り口には獣避けのネットが張られていたのは驚きました。
このネットを潜れば獣の世界であることを予知させるものでもありました。
わたしがこの城の主郭に立ちたかったのは以前から撮影してみたかったポイントがあるからです。
以前、佐和山城から撮った彦根城を当ブログにてアップしましたが、この鎌刃城からは佐和山城、彦根城が一コマに撮れる場所があります。
地図でいうとこんな感じですね。(☆印が鎌刃城)
しかし当日は靄がかかっていて、登城前は「双眼鏡を」と思っていたのですが(車には載せていました)すっかり忘れてしまい、見当はついても確証は無し。
そこでスマホの登場です。
GPS機能と地図ソフトを駆使して方角を探査開始、と意気込んでみたものの、私はこの機械の決定的欠点により一時はあまりのイラつきに谷底に投げてやろうと思ったくらいです。(少し極端ですね)
何しろ夏の強い日差しに液晶は役立たず、何やら映し出してはいるものの、まったく見えないしわからないのです。
世の中の人々からあまりクレームが出ていないのは殆どの人が暗がりでスマホいじりしているからなのでしょうか。そもそも私がスマホにいやいやながらも飛びついたのはこの地図ソフトとGPS機能であったといっても過言ではありませんね。いつも見知らぬところばかりうろついていますのでその手のものは必需品なのです。
まだまだボヤケば先日自宅に電話をかけて切った後、切り方が甘かったのかずっと接続が継続されていて車内の会話が聞こえていたとのこと。
これってシチュエーション違ったら相当ヤバいことになりますね。
先日の別の城歩きでは友人がスマホを落として液晶を割っていました。
2年シバリで修理費も高額で面倒とのこと、違約金払っても新機種にしようと秋の新機種発売まで割れたままの液晶で頑張ると泣いていました。
割れた液晶、見ましたが相当画面見にくいですね。
絶対落とさないようにしましょう。
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Tom-J (日曜日, 26 1月 2014 12:13)
私はスポーツサイクル自転車で旧中山道を走ったことが有ります。番場宿跡は名神高速の近くの山中に有り、探すのに往生しました。そこは草ぼうぼうで埤が建っているだけのさびしい所でした。
鎌刃城は高い山の尾根に有り、水を竹筒を繋いで送っていたと聞いたことが有ります。その竹水道を破壊されると一種の籠城詰めに成ると言うことで、竹筒水道を分かりにくく自然に隠すと言うことに大変な苦労もした山城だったとも聞きました。
今井一光 (日曜日, 26 1月 2014 19:32)
ありがとうございます。
旧中山道の自転車行脚、楽しそうですね。
車と違い、多くの発見がありそうです。
ツーリングでクタクタになったところにあの鎌刃を攻める
状況は私には想像することはできません。恐れ入ります。
数か所ある登り口は地元の人に聞いて登ったことを思い出しましたが、登山口を間違えれば酷いことになりそうでした。
蓮華寺からも登城できたそうですが、今考えればチャレンジしなくて正解でした。
鎌刃城の水の手の話は興味深いですね。大抵は城に井戸曲輪の様な施設が付属しますが、その手の物を補足するための二次的な設備があったのかも知れません。
水源が遠くで高低差があれば比較的遠距離であっても有効な手法ですね。
またご教授ください。