小生一時期、「盛夏依存症」の様な生活をしていたため(春~秋は沖縄滞在、冬は気もうつろでひたすら耐えてグァム、サイパンへの逃避実現を画策)
朝夕のちょっとした季節変化も焦燥感―これは小学生からの夏季宿題の期限の迫るプレッシャーと重なります―に変わり、これからの重い思いをゆっくりと受け入れていかなくてはならない季節に入ったことを感じ取っています。
今年の夏はイイ夏でしたが(何と言っても沖縄に行かなくとも沖縄に近い好天と体感温度で本家沖縄の方はというと台風通過が多くて決してベストな夏とはいえないのですから・・・)少しばかり法務雑務忙殺の感、私なりの「のんびり至福の時間」をいただく余裕はありませんでしたね。
私にとっての最上の`至福の時間`とは南方系ビーチサイドのバスタオルを敷いたデッキチェアーの上で居眠りしたり本を読んだりして過ごすことですがここ数年、生憎成就出来ていません。
また、今年は今のところ一度も水の中に入っていませんよ。
高校に入った次男がまったく遊んでくれなくなったこともありますが
友人たちもガッツが無くなったのでしょう。
さて、そういう時間制約の中、遠方での法事は案外有り難いですね。
一日前にのりこんで周辺の名跡、墓苑、寺巡りを無理やりセットにして楽しんでいます。まぁこれも海以外の楽しみの一つです。
先日は、昔からの「リゾート地」と言われるお伊勢さんの玄関口、四日市のお檀家さんの初盆法要にお邪魔させていただきました。
四日市と言えば伊勢湾、知多半島内海のお向かいにあたります。
本能寺変後、家康が堺から京都を当然の如く避けて伊賀路超えを成功させて、さぁこれから「舟にて渡ろう」とした場所です。
落武者狩りの土民による襲撃や追手を振り切ってようやく難儀した陸路も終えてこの後は海路船頭に任せるか、はたまたこのまま陸路を取るのか、とにかく「ほっと」息をついた場所が四日市「思案橋」です。
これからの自分の身の振り方についていよいよ現実的に差し迫った課題を脳裏に描いた場所だったかも知れません。
場所はここです。
洋食屋さんの前の四日市港に向かう通行の激しい道路が橋の跡となります。
今は干拓と埋め立ての為、まったくといってその面影はありませんが、四日市湊、州浜への入り口で当時長さ14間(約25m)の土橋がかかり橋下には舟も通ったとのこと。
思案の挙句、家康は夕刻に伊勢湾に向けて此の地を離れたそうです。
その後無事に尾張知多常滑に渡り、浜松城に帰ったことは御承知の通り。
今は水っけ無しのただのコンクリートの欄干様の構造物がお印程度に・・・6枚目の画像は橋の上(道路の端)から海方向を撮影した図です。
当時は眼前に伊勢の砂浜(内海で見た海のような)が広がっていたのでしょう。
今年、ひょっとして1度も行けないかもしれない、私の下手の横好きのお遊びをアップします。
一人で遊べないのが痛烈な欠点ですね。
以前は御前崎にドイツ製の異様な機械が海を回っていたのですが・・・相当の赤字が出たでしょう、損失どこが被ったのか不思議です。
噂にもなっていないことから「そっと」してほしいことかも知れません。
画像は昨年の浜名湖での次男と小生の図です。
実際浜名湖は今一つ遠いし結構昼間は波があってあまり好きではありません。
よほど相良の地頭方あたりの方がベタ凪タイムがあって最高のコンディションなのですよ。
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