標記、「哲学の道」、西田幾太郎の碑より。
8/2~3の夜間は月が真ん丸。
「月を愛でる」という言葉があるように、古来よりこの月の神秘的魅力に惹かれて人々はこの月を見るためにその労力を惜しみませんでした。
東山という絶好の月の出現を待つ場所に慈照寺銀閣を建立した足利義政などはその最たる人でしょう。銀閣寺の顔、いわゆる「銀閣」と呼ばれる観音堂は完成前に義政は亡くなってしまいますので義政は先に完成した書斎、同仁斎のある東求堂に籠っていました。
東求堂は「東方の人、念仏して西方に生ずるを求む」という意です。
応仁・文明の戦乱で荒廃した洛中と財政逼迫をもしり目にその「風流」に力を注ぎ、吾が道を進んだのでした。
月が見られる場所に別荘を建てることを生涯の夢とし、その下界から離れた山荘の庭に水をひいて、その池に映った月を見ながら一夜を過ごす。
そこに彼の重大価値観があったと思いますが、これはわれら生物全般の遺伝子に刻み込まれた「何か」がそうさせるのではないでしょうか。
さて現在、須々木はじめ遠州灘にかけての砂浜はこんな光景が見られることでしょう。
本当は懐中電灯、御法度なんです。
余計な光があると海の方角がわからなくなってしまうからです。
砂から這い出たあと目の前が海でも波打ち際まで数時間かかる個体もあります。
波打ち際に辿りついてからがまた大変。
波の力で戻されてしまうのです。
何度も何度も何度も・・・戻されて、また進んで、戻される。母なる海は一番最初から厳しさを教えます。小さくて健気な命は一所懸命。
数年前までこの海岸には四駆やサンドバギーが乗り入れて走り回っていました。
もうそんな無茶、やってはいけませんね。
バーベキューやキャンプのゴミも持ち戻らなくては・・・。
それらが散乱していると彼らがそれを乗り越えるに相当の労力となってしまいます。かわいそうです。
御前崎の向こうの遠州灘では巨大な防潮堤を作っています。
突出した知能を享受したと豪語し、生物の頂点に立ったと錯誤している「人間」の愚かしさは他の生物の「懸命さ」をも阻害しています。 早く気が付かなくてはなりません。
彼らの、生まれてスグの試練を克服しようとする、涙ぐましい生への努力とそれを切に感じさせる後姿は感動を誘います。
彼らは成長しながら(生きながらえたものは)アメリカ西海岸まで行き、また生まれたこの地に戻ります。
下の画像は境内で今節、昼間大音量で喚きまくっている奴と夜間本堂を飛び回っている輩です。
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もろはのつるぎ (水曜日, 14 10月 2020 02:42)
≪…「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行なり」…≫と
安曇野市の高家公園の石碑の、
【無事於心無心於事物となって考へ物となって行ふ 西田幾多郎書.】 とで
【 吾 】と【 物 】を[融合]し[数の言葉(自然数)]に思いを寄せると
⦅自然数⦆が、絵本 「もろはのつるぎ」 に生る。
2020年は、西田幾多郎 生誕150年 没後75年 にあたり
「善の研究」の
【我は数理を知ると共にこれを愛しつつあるのである。】の文脈に捧げる。
今井一光 (水曜日, 14 10月 2020 08:28)
ありがとうございます。
西田幾多郎の生誕150年が今年にあたるのですね。