お城のカテゴリーでいえば松江城(島根県松江)、高島城(長野県諏訪市)と並ぶ三大水城の一つ。大津の膳所城です。
地図はコレです。
「膳所」と書いて「ぜぜ」。地元関西以外の方には読みにくい地名(膳所崎)で、変な読み方をしてしまう方も多々いらっしゃるかと。
家康か関ヶ原後、古来から要所と言われる「瀬田の唐橋」を守る重要拠点として藤堂高虎に縄張りさせた城です。
初代は戸田一西(とだ かずあき)という三河出身、家康恩顧の家臣で廃城の大津城からのスライド3万石の転封・入封でした。
その後もこの城は重要度が高い場所と認識されていたのか代々徳川家譜代の家臣が城主となっています。
今は 膳所城跡公園として整備されていて、いつもの山城の登城と違って拍子抜けです。
また殆ど「後付け」で城跡としての遺構は殆ど確認できませんでした。
それにしても、毎度の事ですがため息が出ますね。
明治3年の政府の「ブチ壊し令」(太政官布告)、壊されていなければ勿論、国宝クラス。四重四階の天守が湖面にその美しい姿を映しだしたことでしょう。
維持費の出費は当然にあったでしょうが今あれば相当の観光資源になっていたはずです。「たられば」のボヤキをまたも記してしまいましたね。
申し訳ありません。
しかし思うに今俄かに「維新」ブームですが、あの時政権が変わって思想方針が変わると、これまでの文化や遺産を「ブチ壊す」。
あってはならないことというか恥ずべきことでした。
明治政府の諸策はタリバーンのバーミヤン爆破と所詮、発想の原点は同じでした。廃仏毀釈もしかり。
今は散策、ジョギング、釣りなど大津市民の憩いの場といったところでしょうか。西側に近江大橋が見えますがちょうどこの辺りに天守がそびえていたかと思います。
今井兼平・木曽義仲両名の墓参のセット訪問でした。
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