瀬田の唐橋での土用丑の日のうなぎは今井四郎兼平墓参のお斉(とき)。
寺のお務めは勿論、休日もどこかしらのどなたかのお墓に巡り合っては時として歓喜の声をあげる日々を送っていますが、その日のお斉を奮発したことは既報の通りです。 たかだか3000円ですが。
こういう質問をかつて檀家さんに投げかけたことがあります。
「一人の子供に二人の父母」という当たり前の構図(面倒なのですべて一人っ子として)が15代たつと、「御先祖様はさて何人?」というものです。父母(2名)にはそれぞれ2名ずつの父母がいて、その父母にもそれぞれ父母がいて・・・という当たり前の計算です。
それが私と同じ15代目だと・・・
2(父母)+4(祖父母)+8(曽祖父母)+16+32+64+128+256+512+1024+2048+4096+8192+16384
当山開祖、初代の今井権七まで「直系のみ」で32776名、次男が嫁を娶ってなお子供でも授かれば130000人強。
なんだかピンと来ませんしこの単純な計算がホントかどうか自信がありませんが、相当な数字になりそうだということはわかります。
今井権七が近江から信長の手から逃れて遠江にやってきたのが1570年代ですから450年前。
四郎兼平が没したのは1180年代ですからさらに400年を遡ります。
100年を3代~4代としてまた平均寿命を加味してさらにざっと15代を加えてこれまで15+15で30代経ったとします。
平安末期から30代というのがあったとしたら「そんなもの」かも知れません。
それでは計算式をもう15代分展開してみますと・・・
32776(16代)+65552+131104+262208+524416+1048832+2097664+4195328
+8390656+16781312+33562624+67125248+134250496+268500992
+537001984(30代)・・・・1、073、971、192名。
いい加減疲れますしこういう計算でいいのでしょうか。
直系のみの父母の父母の父母・・・を加えた計算です。
これらにそれぞれ兄弟たちが居てそれぞれが今井を名のったとしたらさらに膨大な数になり、当家も含めて「四郎の末裔」(代々口伝)と語ってもまんざら「眉に唾」でも無さそうですね。
それにしてもそのうちの誰か一人でも欠けていたら今の自分は絶対に居ないのですから今この命あることの偶然性を改めて感じる次第です。
墓所は京阪石山駅スグ、古来より粟津と呼ばれた場所で今は工場と住宅街に挟まれています。
膳所藩、本多俊次の手で移動改修されたものです。
勿論そこから瀬田の唐橋も近くです。
地図はコレ。
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