大徳寺住持  一休

大河ドラマ、年間視聴率最下位の「花の乱」でしたがその汚名の更新は今年の「平清盛」にとってかわられるとのこと。

清盛の方は主人公が喚いているばかりのようで保元・平治の乱のみはチャンネルを合わせましたがやはり私には継続することはできませんでした。

劇ですので省略・加筆の演出はつきものですがウェイトをかけるべきところが私のイメージと違ってしまうからです。

趣味の違いですね。

どうしても「貴族化して滅んだ愚の骨頂」というイメージがつきまとい、またお歯黒の貴族趣味には付いていけません。

時々放映される源氏物語の類もそうですが、宮廷内の薄暗くおどろおどろしい感覚はどうもダメですね。

 はたから見れば同等にみえるかも知れませんが「花の乱」については全編観劇いたしました。

この手の番組を視覚的にイメージしてしまうと中には史実と違って大胆な演出がなされている場合がありますので間違った歴史を植え付けられかねませんが、あくまでもドラマとして楽しむつもりであれば十分OKなシリーズです。

その中で昨日も記しましたように一休宗純が重要な番組進行のキーポイントになっているという点も私の好みに合っているところでもあります。

 

その中で私が一番好きなシーンについて記させてください。

番組制作担当者のエピソード挿入の演出ですが、番組構成上、少しく違和感があるのですが、見ている者に「ハッと」させるところで私などは特別に心に残る場面です。

DVDを借りてきて再度確認してみました。

 

 80歳を過ぎ庶民から大坂商人等富裕層にまで慕われて賛同者が多かった一休は応仁・文明の乱で焼失した大徳寺の住持に担ぎ上げられます。勿論、焼け野原で「寺の跡」でした。

 無事、名刹大徳寺の再建をたくさんの寄進によって成し遂げた一休はますます世間からの評価が上がって大徳寺の和尚として確固たる地位におさまるかに見えました。

しかし一休は再建成就したあと再び風狂の人に戻って行きます。 

そのあたりの一休を端的にあらわしたストーリー挿入について記します。

 

 洛中を森侍者と歩く目前に座り込む乞食がおりました。

一休は

「乞食(こつじき)、さても不憫の者じゃ」と云いながら今自身がまとっている、以前に出てきた彼の着物(乞食坊主)とは違う真っ白の衣と紫色の着物(大徳寺住持としての)を次々に脱いで乞食に与えます。

ところが着物を与えられた乞食の彼は一言の礼を言うでも無く立ち去ろうとしました。

 

私が気に入っているのはここでの問答です。

ここで一休は声をかけます。

「乞丐人(こつがいにん)!、礼の一言も言うたらどうじゃ」

それに対して乞食は

「なぜ礼をいわねばならぬ」との返答。

一休は諭します。

「一文でもめぐんでもろうたらありがたやと伏して礼をいう習いだろう。うれしくないのか?」

私は一休らしくない台詞だなと思っていましたが続けます。 

乞食の者は反論します。

「哀れなる乞食に施して、そちの方も満足であろう。ならばわしの方に礼を言え 」と。

 

しばらく唖然とした一休ははっとして自分の誤りに気づきます。

「まことにその言うとおりじゃ」といって逆にお礼をいいました。

 

我等坊さんに限らずちょっとした親切心で人に対した時、その礼が無かたことに怒ったりしませんか?「アリガトウも言わない」って・・・。

お礼の一言は大事ですがそれを口に出すか出さないかは当人の資質。

そういうとき「自分の場合は」礼をすればよいだけ。

見返りを期待するボランイテアや条件付きの同調であっては本当の奉仕では無いのですね。 まぁ究極の奉仕は身を捨てることなのでしょうが。→ 「捨身飼虎図」

 

施した相手に礼を強要するのは高慢ちきな人間に陥ったということでしょう。

それを「ただ者では無い乞食」(一休の談)に正されて気づき、自己の陥った失敗を修正していこうという姿勢を貫く一休の生き方の素晴らしさを演出した製作担当者、敬意を表します。

私も大いに気づかさせていただきました。

 

 

その後一休は「綿入れの小袖に身を包み安閑としている 」と自身を省みてそれを脱ぎ捨て、それらの環境から再び抜け出たのでした。