風狂子 一休さんのつづき。
また一つ歳を重ねて一休に因む。
「世の中は食うて、糞して
寝て起きて、さて、その後は
死ぬるばかりよ」
一休宗純のかわいいとんち噺はいかにも作り話で、その手の番組には興味がありませんでしたが、あまり見かけることは無い一休を描いたもので、一休の半生について番組のアクセントとなっていた大河ドラマ「花の乱」の一休については好印象です。
一休の辞世の句といわれるものは他にあるようですが、劇中で一休が
森侍者(しんじしゃ)の笛の音を聞きながら命こと切れる前に口ずさんだ句でした。勿論演出でしょう。一休役の奥田瑛二の死際の語りも森侍者への思いが込められて私としては感動的でしたね。
この句はどうしても前半の少しお下劣な語彙に目が行きがちになりますが、やはりこの句のテーマは最後の「死ぬるばかりよ」です。
数ある一休さんの句はどれも奇をてらったものと感じてしまうことが多いのですが、「ほんとうの事」「真実」をハッキリと我らに知らしめているばかりと思います。
蓮如さんの「白骨の御文」もそうですが「結局は死んでいく身」である―これは誰もが知っていることですが日頃、我らはその手の事をあまり思うことはありません。
また敢えてそれに目を向けることは「禁忌」でありメジャー志向が大手を振って闊歩する時代にそのことを考えること自体ネガティブに見え他者からすると笑止の沙汰なのでしょう。
しかしそれら真実の指摘を嘲笑い、今の安寧を貪る者であってもすべての生きとし生けるものの道は、行きつく所「死んでいく身」なのです。
劇中には見えませんでしたが一休さんの「目出度き書」のエピソードも面白いです。
一休は、ある人から何か目出度い言葉を書に記してほしいと依頼されます。一休は心よく引き受けて以下の言葉を記しました。
「親死 子死 孫死」
そうです、一休は「順番通り、自然にすごす有り難さ」について記したのでした。
無常の世にあってその順番をいただけることこそが「有ることが難しい」
のだということを知らしめるために。
「死」なんて言葉を入れられて縁起でもないと怒った依頼者はその逆、
「孫死 子死 親死」だったらどうよ?
と一休に切り返されてその意、納得したそうです。
私たちはたくさんの前後逆転の現実を突きつけられていますね。
身分を問わず誰にでも接した庶民的な一休さん、近世思いついたように
宮内庁管理になって廟内立ち入り禁止を掲げられ、これはお気の毒。
一休さんもきっと本意ではないでしょうね。
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小山昭治 (水曜日, 25 7月 2012 08:36)
死んでしまえば何もなし。
どこの管理でも関係なし。
静かに寝れるのが一番、一番。
一休さん 好きになります。
機会があったら読んでみたいです。
でも 無理してまで読まない。
読む機会があったら。
(と 思って何もしない。笑)
今井一光 (水曜日, 25 7月 2012 20:45)
「狂雲集」ですね。
漢詩ですから訳文があるとありがたいですね。
やりたいことをやって(破戒と揶揄されましたが)
本当に幸せな人生を歩んだ人と思います。