以前、大沢の般若寺さまのご住職に連れられてかつて大沢地区の台地上にあった大澤寺と般若寺の位置について現地を歩いて調査したことがありました。伝承によれば二寺とも萩間川西岸の台地(大沢)にあって両寺とも火災により焼失したとも言われています。
大澤寺の名前の元(本樂院大澤寺)となった相良大沢地区ですが、大澤寺は家康の鷹狩陣場前(新町)に移転、般若寺さまは現地大沢の地に新しく寺領を確保しました。
大澤寺は「海に降りてきた」という解釈でいいのかその際、山号を「釘浦山」に変更しています。
「釘浦(ていほ)」は大井川以西の海の名前「釘ケ浦(くぎがうら)」 のことです。
推測される場所は現NTTの鉄塔の建つ辺りから西側で台地上の平地、今はお茶畑で見晴らしの良い場所です。
お茶畑の持ち主が開墾時黒く焼けた瓦を発見したことがあることを聞きました。
あの津波の映像以来、今私たちの気持ちは「海際の平地より丘陵地」と変化してまいりましたが当時の人々が何を見聞き伝承して丘の上にいたのか、「もしかするとそうだったのか」とも思えてしまいます。
そういえば田沼のお城も当初はこの丘陵に建つ予定だったのですね。
般若寺さまに連れられて伺ったのは大沢では丘陵側、丘陵のふもとの部分に代々住まわれるT氏宅でした。
まずそちらの御主人に「伝承される寺」の場所の概略を聴き、丘を上がりました。
大澤寺のあった場所は判然としません。「大沢」といっても(平地部分の現在地番上の「大沢」ではありません)相当広範囲で、相良在住でもピンと来ませんが地番でいう「須々木」との隣接区域も「大沢」と呼ぶ場所があります。そのあたりには戦後の農地改革にて無くなりましたが「たかばし」奥には広範囲に寺領がありましたので、丘陵のトップも想定できますが、案外鬼女新田に上がる道の西北側の谷あいなども推測しています。
画像は大沢に点在するT氏耕作地にここ数年夏季限定ですばらしい景観を提供してくれている場所です。聞けば雑草対策とのこと。
ヒマワリも夏の代表でこれだけ揃うとまさに壮観です。
この日もバイパスから見てわざわざやってきた車両がありました。
すばらしい景色をありがとうございます。
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