くじ将軍

「花の御所」 Wikipediaより
「花の御所」 Wikipediaより

籤引き将軍」六代足利義教についてつづきです。

義教のみが「くじ好き」だったワケでは無く、その兄の四代義持などもクジを使っています。

クジは「神慮」との考えがあって将来の予言的意味も含めて重宝されました。生活、政治、刑罰の指針となりました。

 

足利義教は天台座主という宗教界のトップから征夷大将軍の名(将軍)を冠する地位に石清水八幡宮でのくじびきで勝って就任しました。

トップを決めるに「じゃんけん大会」なるものがあるとも聞きます昨今ですが政(まつりごと)の頂点がその手のイベントで決まりました。

 

まぁ今の政治ショーもその辺りとそう変わりがありませんがね。(当時、貨幣経済の発達に伴い急速に発達した「土倉-どそう」と呼ばれるような新興の貨幣貯蓄マニアの類とほとんど変わり無いような気がします)

 

当初は当人もその気になれずに辞退をほのめかしたり、周囲の実力者からも「前代未聞」とクレームが入ったり、同調者はせめて時間をかけて(坊さんだったので「無官」であったため) ステップアップしていくことを勧めました。

よって空白時間が長く発生して鎌倉公方、足利持氏台頭という結果を招きました。

 

その後、仏の道を歩んでその将来を有望視されたほどの足利義教が「第六天魔王」と呼ばれるほどの恐怖政治をとって恐れられた将軍になり果てます。権力の集中と欲望が極まった場合、人間というものがどのように変化するのか私たちにとって歴史は示唆的です。

 

「第六天魔王」は織田信長のみに与えられた(ルイス・フロイス)ものではありません。我が国には天(仏道)を顧みず我が物顔で強権政治をとる支配者をそう呼んできた経緯がありました。

 

自身が選択した家臣による非公式な評定に自身が結審させるといった形で公的なものから土地に関する訴訟まで「御前沙汰 」という形を重んじ、管領の権限を抑さえる施策をとりました。要は「人に任せず自分でやる」というところでしょうか。

 

比叡山を主とする宗教界に弾圧の手を入れたことも信長と同じです。

そして最期もお決まりの家臣赤松満祐の謀(はかりごと)による宴席で討ち取られます。これも殆ど信長の最期と変わりありませんね。

 

仏道に反する魔王道の道は滅亡、コレ我が国では決まったことなのです。

勿論今の政治屋の主、形は「民の生活」等の美辞により着飾っていますが仏道に反することは国民、既に承知のこと。

プルトニウムの語源はプルート、「魔王(冥界の王)」と訳します・・・