1969年の大河ドラマ、「天と地と」などと言いだすと年が判るってものです。
この間の勘介主演で武田側から描いたものが「風林火山」でしたが上杉謙信の側からその時代を描いたのが「天と地と」です。1990年にはあの渡辺謙が謙信役で出演の予定でしたが白血病の発症で降板したという同名の映画もありました(私は見ていませんが)。
1988年の大河は「武田信玄」でしたのでNHKは「川中島」をやれば視聴率が稼げるという意図があったかも知れません。今とは比較になりませんが当時40%近い視聴率があったといいます。(大河ドラマはあと数年戦国時代を離れておそらく低視聴率に悩んで、3年後でしょうかNHKは次の一手に「北条五代」あたりを焦点としたものを制作すると勝手に予測しているのですが・・・・)
「天と地と」は海音寺潮五郎の原作となります。
大河では山本勘介は一切出ていませんが映画の方には登場するそうです。
それは海音寺潮五郎の執筆した段階ではあの有名な「勘介」であろうと歴史的検証が未確定でしたのでその作には登場させなかったようです。
しかし海音寺潮五郎が亡くなったあとに勘介が実在の人物であったことがわかり急きょシナリオに入れ登場させました。とはいえ勘介が大河「風林火山」のように活躍したかと言えば相当疑わしいものがあります。
「天」は度々当ブログで触れていますが、私は「仏道」あるいは「浄土」と解釈していることを記しました。当ブログでも紹介しておりますが 北条氏綱公御書置(「義を守りての滅亡と 義を捨てての栄華とは 天地格別にて候 」)や大河ドラマタイトル「天地人」の如く「天」という概念への意思表明は戦国期の武将もそうですがその物語内でも強く印象付けて語られるものがあるかと思います。
その様な中、私にとって「天と地」は単純に「天国と地獄」です。
私の真宗的思考でいうと「極楽浄土と地獄世界」と解釈します。
ここで誤解をされてしまうと困りますので付け加えれば「極楽」の「楽」とはラクとは読みますが意味は「平等」と解釈していただければいいのかと。
近江六角氏発祥と呼ばれる「楽市楽座」も既得権、規制を廃してだれもかれも平等に商いができるという意味で多くの商人と人の流れを具現しました。そのように、私は「楽=平等=浄土」とも捉えます。
当流勤行の閉めに読誦される回向(えこう)で
「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」とありますが、まさにその意を謳ったものです。特筆すべきは「平等」の理念がここに掲げられているということですね。
本多忠勝の名の「勝」も「勝=浄土」と記しましたが「楽勝!!」なんて軽い言葉も浄土を重ねた言葉と考えればまた違った意味になりますね。 そういえば2007年の大晦日に89歳で亡くなった勝太郎さん(戦時下の歴戦の勇士)の法名は「釋樂勝」でした。色々なことを教えていただきました。晩年は本堂で「できなかった事ごと」の「反省」の気持ちを吐露していました。
以前からある言葉について坊さんのボヤキをよく耳にします。
先代の私の父もそうでしたし、他の御寺院様からもよく聞いたことがあります。
私と長男の幼稚園は家が近かったせいもあってともに同じキリスト教系の運営でした。よって教会の讃美歌と日曜学校は付きものでしたので始終耳にしていた言葉でもあります。
私もやはり「仏式には合わないかも・・・」と思っていた時期がありました。
それは葬儀式中に読み上げられる弔辞に、ほとんど例外なく記される「天国」という言葉です。故人がこれから向かう場所、生活の場というものがあるのならその場所の概念です。(本当は場所という感覚では無いのですがとかく現実社会からいきなり「死」という「縁」を迎えるにそう考えるのは致し方ないこと)
一時、斎場の式進行役が弔辞にその文言の有無を予めチェックしようかという話もあったほどです。
天国というと近世になって入ってきたキリスト教的な「神の国」風概念が強く焼き付けられたせいでどうしても違和感がありますが、そもそも天国とは言わないまでも「天」とは仏教世界にも通ずる言葉であり本堂御本尊を中心とした「須弥壇」→「須弥山」の通り「天」はまさに古来より「仏の居場所」なのです。だから広い心で見まもる気持ちで解釈すれば決して間違っていない言葉かと。
よって世のお坊様方々、葬儀の弔辞や挨拶で亡き人の居場所を「天国」と表現したからと怒らないでください。そもそも仏式なのだから「仏の国」と解釈すればそれでいいだけ。
我らが怒る時は「バッジ」を付けて「責任」をひけらかす輩に対してだけですよ。
さて次男は最近流行りのアイポッドでダウンロードした曲をこれ見よがしに私に聞かせるようになりました。以前、CDで和製ポップスを聞いていたことがありましたので「ちなみにオレはこうだった」と言わんばかりに「一流のライブ」を見せようとE・クラプトンのチケットを買って一緒に東京へ行ったことがありました。そういうこともあって最近は私好みに趣向が変わってきたのか私への懐柔策なのかわかりませんが思わずニヤっとして怒っているときなど思わずトーンがダウンしてしまいます。
どれもこの時代の子供達が聞かないだろう曲だからついここに記したくなりました。バラバラですが
CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)の「Fortunate Son」
レッド・ツェッペリンの「Stairway to Heaven」(「天国への階段」)
クラプトンの「Tears In Heaven」
そしてボブ・ディランの「One More Cup of Coffee」等です。
タイトルの「 Heaven」が目立ちますね。
お暇でしたらYouTubeでどうぞ。
私といつもの城・墓友達のHと鷺坂の3人は高校時代いつもつるんでいました。私とHは大学に進学、鷺坂は代々木の調理師学校を経て家業を継ぎましたが「ある事件」に遭遇して亡くなりました。死ぬ必要のない死でした。
ミュージシャン指向で高校の学園祭ではステージ上でジミー・ヘンドリクスばりにギターを叩き壊したことは今なお鮮烈に覚えています。
本日は朝から雨が降りそうで覚悟はしていました。しかし午後から晴れて、とても得をした気分です。憂鬱で一番大嫌いな6月ですが気合いをいれていきたいと思います。
それでは1曲だけYouTubeを貼り付けます。興味の無い人はパスしてください。
ボブ・ディランのオリジナル曲ですがこの連中がやるとキレキレになってより一層気分が高揚します。
やはり「 Heaven」がテーマです。
鷺坂MITSUとYOUSUKEに捧げます。
Guns N' Roses 「Knockin' On Heaven's Door」
http://www.youtube.com/watch?v=eVQIQRs4DMQ
「このバッジを外してよ・・・」です。
画像は久能山の勘介井戸。「だったらいいなぁ」が知らないうちに「そうだった」になった例でしょうか。
勘介が掘ったなどということはまず無いでしょう。
コメントをお書きください