金寿城 きんすじょう (横地城) 横地  佐々木

佐々木さん 近江沙沙貴神社
佐々木さん 近江沙沙貴神社

金寿城は横地城の正式名ですが現在では「ヨコチ」が地区の名称。

日本全国「横地姓」の発祥の地といわれていて時折一族が集まる会が催されている様です。時代は12世紀初頭から16世紀初頭まで、横地家とともにあった城です。この城は高低差は無いものの曲輪等台地上に広がって果てしなく広く、谷はあって要害の感はありますが殆どが主郭とフラットであるといった気がします。これだけ広いと台地上から攻められれば限りある守備勢力ではキツイと思います。「よこち」姓はあいにくと私の周辺には見当たりません。しかし高校生の頃だったかここ地元TVのCMではその名を連呼するものがかつてはありましたが・・・

画像は「 鷦鷯巣於深林、不過一枝」(みそさざいを引き合いに出して人間には謙虚さが大事であることを説いたものです)の項で記しました、佐々木氏発祥の地の標識。上部には佐々木系六角氏、京極氏お馴染みの目結紋(めゆいもん)と「佐佐木大明神」の名が右辺にうかがえます。

ここでもまた近江出自の「佐々木姓」が集合するイベントがあります。

さて金寿城内中域にある斯波武衛の館の跡です。武衛(ぶえい)とは律令制下の官職の「唐名」で「つはもののとねりのつかさ」=兵衛府。要は天皇家の護衛、禁裏の守衛の名です。

その武衛という官職は斯波氏の世襲で代々家柄としてその名を継ぎました。

足利名門の斯波氏は三管領の筆頭として栄えましたが世襲していた遠江国を駿河守護今川氏に、越前国を守護代朝倉氏に奪われ、尾張国では守護代の織田氏に担がれて細々と存続するほどに没落しました。「守護代」やりたい放題で戦国大名化する(下剋上)ベースを作ってしまったのが斯波氏ですね。斯波氏の館がここ遠州菊川の地にあって「斯波」という名にお目に掛かれることは感慨深いことです。