今川方兵力500騎程度と決して多くはない中、どうしてあれだけ広い城が落とされるのか不思議になります。
勝間田城、横地城の兵力もやはり少なかったのでしょうね。
職業戦闘員-武士-同士の戦いだったからでしょうか。
勝間田、横地とも規模は大きく、武田の築城による、金谷の諏訪原城から比べても大きな縄張りです。
牧之原台地の台地上に山城状の城塞を築くのがこの地区の常ですが、当然の如く平地側からの攻略には強く台地側からの攻略にはとことん弱いという特徴があります。
よって本来の意味ではここいら辺りの城を純然たる「山城」とは呼べないかも知れません。
諏訪原城なども底部の大井川から見れば天井の城の様ですが台地上から侵攻すれば何のことは無い、タダの平城と変わりありませんね。(「山城」で売込んでいる諏訪原城ファンと金谷の皆さん、ケチつけてごめんなさい)
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