当ブログ毎度ご紹介の夢見ケ崎の段にても触れましたが私が大澤寺に入る直前までお世話になっていたNHKニッパツ。
会社にとって収益については殆ど考慮にいれていないボランティアのような仕事がありました。
誰もが一度は行ったことのあるデートスポット、横浜港を一望にできる「港の見える丘公園」近くの、「外国人墓地」内の緑化管理の仕事です。晴れた日の公園とランドマークの目の前の高台での外(そと)仕事は最高の気分でした。
私はかなりの頻度でこちらのお山にお邪魔していましたので入り組んだ墓地内の道筋は今でも庭のように歩き回れると思いますし「馴染みの墓」もございます。(今だから白状しますが仕事は放ったらかしで墓ばかり眺めていました)
墓地管理財団の会長さんも副会長さんも江戸末期に来日した方々の子孫で、毎年クリスマスともなると横浜山手の歴史の古い(開国当初)外国人専用スポーツ施設(YC&AC)で催されるパーティに招待を受けました。
ライティングを落とした異国情緒溢れるホールでのバイキング形式の料理をおいしくいただき実に楽しい時間を過ごしたものです。
こちらの墓地にはイギリス系をはじめフランス系、アメリカ系、ロシア系、中国系等々(比較的まとまっています)様々な国々からやって来てこの異国の地で没した方々のお墓があります。
最近では日本人のお墓もポツポツと建つようになったそうですが、そのような理由から殆どが無縁墓地のようなもので、経年の風雨によって荒れて朽ちた墓もかなり見受けられました。
結構急な丘の北西斜面に並びますので、暴風雨ともなれば倒木等あいまって墓の崩落などが起こり2001年頃は「コレ人間の大腿骨だろ?」なんて冗談みたいなことがありました。
ここのお墓は勿論殆んどが石棺ですので火葬では無く「そのまま」だからです。
その状況に心を痛めた小澤征爾氏が2002年に外国人墓地救済チャリティ・コンサートを横浜で催され山の北側(元町側)の参道が整備されました。
このゲート入ってスグ、向かって右側からの一般道、散策コースからも目にすることがでる「リチャードソン」の墓地があります。
画像は上も下も同じ「リチャードソン」の墓地ですが2000年頃のものと2007年頃改装後のものです。 墓地の管理や改葬費用の出所は横浜近隣有志の方々と思いますがこれは本来、事件を惹起した薩摩藩がとらなくてはならないお仕事なのでは・・・。
「リチャードソン」は文久二年1862、生麦事件で薩摩藩島津久光の手の者によって斬り殺されたイギリス人です。
数人の薩摩藩士により内臓が出るほどに斬られ、執拗に追われてとどめをさされています。
彼のほか、居留民の夭逝した子供たちの墓碑銘を見ると心が痛みますが、丘のトップ部分に並ぶ黎明期日本の産業開花に力を尽くした方々には敬意を表します。
今の我ら日本の栄華は(もうピークアウトしてますが)彼らのおかげであるといっても過言でありません。
世話になった彼らの墓地の整備にもっとお金を出してあげてもいいのでしょうがね。
経済界政界主導するエライ方々・・・。
え?儲からないことはしないって?
報恩感謝の心を忘れたら畜生道といいますよ。
その心では日本の復活なんて絵空事・・・。
(そういう意味でも「ニッパツ」は素晴らしい会社でした)
※外国人墓地内は一般には開放されていません。
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