島左近とスーパー満月  三成の背中

久しぶりに日没の画像と午前0時快晴の南天に上るスーパー満月の図。お月さんの方は露出長めです。

地球と楕円軌道の月との距離が1年間で最も短くなる時に「満月」という条件が重なるのが5/5~6の深夜でした。最近になって誰が言い出したか「スーパームーン」と呼び天変地異の前兆と煽る話まで。

その天変地異の話は公式には否定されているようですがそれにしてもこの日の急激な天候の変化には驚かされました。

 

ここ相良でも午後2時前に急に視界が悪くなり空全体がグレー同色に。すぐに強風、雷、気温低下、雨。そのあと何事もなかった様に夕方から晴れました。

 

さて、佐和山城址、三成の銅像のある井伊家菩提寺、龍潭寺のお隣さんの清凉寺は島清興(島左近)屋敷跡に建てられたお寺です。

島は三成の軍師で家康暗殺未遂の首謀者でもあります。

このお寺には「清凉寺七不思議」なる怪奇現象の伝承があって、その中に「壁の月」という現象があるそうです。

何度塗り替えても月が浮き出るというお話です。

真偽は別として寺の名「清涼」が「清涼金剛」を縁とするならばそれこそこの名は薬師如来の脇を固める「月光菩薩」の別名ですので月に関わる因縁は後世に出た面白話にしろOKなのかもしれません。

 

関ヶ原での島の狂気的奮戦を見せつけられた東軍側がその恐怖におののいたという話も伝わっており、各種「怪談」に結びついたのでしょう。

その遺骸・首は大谷吉継と同様に発見されておらず(大谷吉継の墓は関ヶ原にあります)各地に色々な伝承が残ってその墓はそれぞれご縁の語られる場所にある様です。

それは関ヶ原から落ち延びて生涯を全うしたというような話だったりですね。

清凉寺、裏山が佐和山城 山門前の石柱の

「不許葷酒入門内」が光っています。 

 

私は彦根城は外観と堀の壮観さを楽しむのみとし

「治部少(三成)にすぎたるもの二つあり 島の左近に佐和山の城」

とうたわれた佐和山に向かうが肝要と。

「ひこにゃん」もいいけど人多すぎでしょ。

お城なんて行列と思われ。先日も雨で最悪の佐和山、キツかったですが何とかそこからの彦根城の姿を「観光」させていただきました。

雨中にけむる彦根城       三成の背中