金山城から城下へ下ってT字路の左右に真宗大谷派の西念寺さんと常照寺さんがございます。
森家菩提寺の可成寺さんは臨済宗ですが、森可成の妻妙向尼が実家林家の宗旨、真宗に厚く帰依していたためのことと。常照寺さんの「常照」もやはり妙向尼の父、林通安(新右衛門)の法名からとった寺号です。
林家はもともと斉藤家の家臣で織田家とのかかわりは濃姫の輿入れに尾張へ追従したときから始まったと。
常照寺さんも可成寺さんも目と鼻の先ですが、夫婦・親子としてではなく家ごとの菩提寺に葬られたようです。南無阿弥陀仏の蘭丸の兜の前立ては母の書からと言いますが、信長は宿敵本願寺の「名号」をいかに考えたのでしょうか。まぁそんなことは「どうでもいい」と深く考えない本能的な行動がウリであるのが彼の性分でしょうから。
子宝に恵まれながらも悉くわが身よりも先に子供たちは早世していき、劇的な時勢の真っただ中に翻弄された人生で、やはり「戦国の母」のイメージです。彼女の創建である津山の妙願寺さんにもより詳しいお話はありますのでどうぞ。
とにもかくにも本願寺顕如と信長の和睦に尽力した人として後世当流では感謝の回忌法要が執り行われたほど。
墓石の裏の文字は
「元亀元庚午 九月十九日 森三左衛門尉 可成公」
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