梟雄~きょうゆう~とは一種独特の「ワル」のイメージが漂います。
何処の馬の骨やも知れぬ不詳の者、それも破天荒なキレ者のことで、よく日本三大梟雄だとか戦国三梟雄といった言葉でその名を聞きます。
今でも北条早雲をそのうちに入れて語られる方がいらっしゃいます。
しかし現在、伊勢新九郎の出自はほぼ「確定」し(今川家に匹敵する名門、政所執事の家系伊勢氏)その言葉の範疇からは目出度く脱しておりますね。
07年放映の大河、「風林火山」37回(この回は特に好きな場面があります)では市川左團次演ずる関東管領上杉憲政が北条家のことを「元をただせば伊勢新九郎なる流れ者にすぎぬ・・・」と罵しる場面がありました。
脚本演出当時早雲が名門伊勢氏の出自であることはまだまだ知れ渡っていないことではありましたから詮無きこと。
多くのあきらかになっていないことがあって、これからも色々な説が覆っていくのでしょう。 歴史考証の妙ですね。
上洛した今川義忠が在京中に早雲の妹か姉である北川殿と婚姻を決めていますが、幕府中枢に深く入り込んでいる関係者でなくては短期に正室として決まることなどは無理ですね(当初の早雲「流れ者説」の時は北川殿は側室扱いでした) 。
その今川義忠が遠州塩買坂で討死し、その嫡子今川氏親が家督を継ぎましたが殆ど早雲の力添えといってもいいでしょう。
7000人の僧侶が出席したという稀有なる盛大葬儀の割にはカワイイ五輪塔ですね。山頂の祠の中に納められています。
早雲の甥っ子、氏親の時代から今川家最盛期を迎えます。
さて先日のブログで「桜の森・・・」の坂口安吾について触れましたが、安吾の歴史小説の一つにまさにその「梟雄」という短編があります。
斉藤道三のおはなしですが、「バカ」「バカ」と人を嘲る言葉が結構愉快です。
短編ですのでスグ読み切れてしまいますよ。
梟雄とは松永弾正や宇喜多直家などもその名があがりますがいずれもそれぞれ短慮がすぎるといったきらいはあります。しかし想像を超えたスケールで各人の生涯は面白すぎます。
最近政治屋さんの商いの世界(政治はすでに政-まつりごと-では無く御身大切儲け主義ですから)で、つまらない城主交代劇がありましたね。
新城主は「梟雄」などという言葉とはまったく別、ただの「不義」でしょう。我々庶民からするとあの役どころはどう考えても謀反人として誅伐されるであろうと推察されます。それが歴史です。
「大将によらず 諸侍とも 義を専らに守るべし
義に違いては たとい一国二国 切り取りたりというとも
後代の恥辱いかがか
天運つきはて 滅亡を致すとも 義理違えまじきと心得なば
末世にうしろ指ささるる恥辱は あるまじく候
従昔(昔より) 天下をしろしめす上とても
一度者(は)滅亡の期あり
人の命はわずかの間なれば むさき(いやしい)心底
努々(ゆめゆめ)有べからず
古き物語を聞きても
義を守りての滅亡と 義を捨てての栄華とは 天地格別にて候
大将の心底慥(たし)かに かくのごとくあれば
諸侍義理を思わん
その上 無道の働きにて 利を得たる者
天罰 終(つい)に遁(のが)れ難し」
北条氏綱公御書置
青字が37回「風林火山」にて北条氏康が新九郎(氏政)に諭した言葉です。
稲葉山城(岐阜城)はロープウェーが通っておりますが邪道と思い私は徒歩(かち)にて登城。勿論下山も。
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