夢見ケ崎 太田道灌

私の最後のサラリーマンとしてお世話になったNHKニッパツ~本社横浜工場(2005年のごみ拾いウォークに参加した時の家内と次男の姿があります)には関連会社にジー・エル・ジーというゴルフ練習場があります(リンクス新川崎)。

一昔前、三菱自動車の川崎工場の隣にあった工場跡地に建てられた施設です。

 

その関係で隣接地に本社管理の独身寮もありましたのでゴルフ場施設(樹木)と入寮者の寮費管理(給与天引き)、寮内施設補修更新等の仕事があったため頻繁に当地へ赴きました。

 

昼食はリンクスの支配人に併設されたレストランでご馳走になったこともありましたが一番の楽しみはリンクス正門のすぐ南の丘でのお弁当です。

その小山の名を加瀬山、「夢見ケ崎」と呼びます。

古墳群と動物園もあって休みの日に家族と遊びに来たこともありました。

 

室町中期、動乱の相模、武蔵等関東を縦横に駆け巡り江戸城築城でも有名な太田道灌が鎌倉街道を抑えるに、多摩川、鶴見川の大きな河川に挟まれた平山城を想定してこの地に宿営したところ「白鷺が道灌の兜を持って南西へ飛び去った」という夢を見て、「これは不吉」と築城をあきらめたという場所です。当時の人々は「夢と占い」は物事の判断材料に欠かせないアイテムですのでまぁそういうこともあるかと。しかしこの「夢見ケ崎から南西」の方角こそ道灌が風呂上がりの騙し討ちにあって殺された伊勢原ですから正夢だったのかも知れません。

 

風呂場の騙し討ちといえば尾張野間の野間大坊

平治の乱で敗走した源義朝も非業の最期は風呂場。

癒されくつろぎの場で裏切りの刃(やいば)を受けるのは何とも無常。どの時代も同じことを考えるのですね。やはり義に反する裏切りの末路も同じ「滅亡」であることは違いありません。