「正義」ブームということを聞いたことがあります。
正義(セイギ)は当家先達の成瀬藤蔵正義(マサヨシ)と文字が同じため
しばしばその言葉を目にすると「そうあるべきと」背筋が矯正させられるのであります。背筋を伸ばされるのは普段が曲がっているからであり後ろめたい気持ちがあるからですね 。
当家ではとうの昔から「正義」についてこだわって生きたいとその立ち位置がどうあるべきか伝わっております。やはり次男の筆箱にもその言葉が大きく記されて、語句そのものへの脳内指向は出来上がっているようですが。
この語が語られるのは、勿論、私の深層心同様に、世が「正しい義に欠ける」風潮であるからこそそれを矯正させようとの意から出てきたものでしょう。だいたい「正」とはいったい何かもハッキリわからない時代です。とにかく形は大事です。そのことを漠然とでも心の隅に置くかどうかによって必ずどこかで何かが発揮できるのかと思っています。
※ダリウス グレニジ氏 講演 in 浜松
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小山昭治 (木曜日, 15 3月 2012 18:58)
「正義」というと
以前Eテレで見た番組が思い出されます。
ケンブリッジだかオックスフォードの教授の
講義でした。
こんな講義を受けていれば
生徒も一生懸命になるのに・・・と思いました。
「正義」の定義は人によって違う。
何が正義か難しかったのを思い出しました。
今井一光 (木曜日, 15 3月 2012 21:58)
ありがとうございます。
その人はハーバート大学の
マイケル・サンデル教授だと思います。
ポケットに手を突っ込んだ
独特の問題提起はわかり易くまた情熱を
感じさせられました。
日本にもあのように易しく哲学的な内容を
ディスカッションする授業があるのでしょうか。
面白いですね。あの場に居合わせられたら・・・
日本人は大人しくて自分の考えをあまり表現
しようとしないため議事が燃え上がらな
いかも知れません。