凄いの一言、日本海側の雪。
果たして温暖化に暖冬という言葉、どちらへいってしまったのでしょうか。太平洋側も寒波と乾燥状態でインフルが蔓延。ヤル気が失せますね。
何より書生さん大変です。受験シーズンに向かって健康管理から〆ていかなくては・・・。境内の花ガラの処理は週末なのにノーケアで大丈夫。
墓参の方々も少なめでした。
さて大澤寺初代今井権七の出身地近江安土の武佐の寺、広済寺(本願寺派)
についてまとめてみました。広済寺もそこから派生した金沢の広済寺と同様に代々住職の法名に「祐」の字が使用されていることに驚きました。
当山も小生を除いて12人/14代に「祐」が入ります。「祐」は「たすける
かばい助ける、神仏の助け」の意。
広済寺は「広く済(たす)ける」から。肝に銘ぜねばなりませんね。
まず自分がたすからないと他者はたすけられないという思想は「アリ」としても、流行り言葉ですが「身を削る」以上の自己犠牲は必要ですね。
特に為政者は。仏の究極の教えですが「自分を殺し」「他を生かす」・・・この姿を見せさえすれば人は納得するのですがね。
法隆寺玉虫厨子の側面に描かれている「捨身飼虎図」
「大いなる発菩薩心により他者をたすけんと思うなら、衆生のため 我が身命を捨てることなど難しいことではない」
お腹が減ってる虎の親子を憐れんで釈迦の前世薩タ王子が身を捨てて「たすける図」です。
この気持ちだけは忘れてはいけませんね。
実際に「虎の餌になれ」などと誰も言ってませんので・・・
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小山昭治 (土曜日, 28 1月 2012 08:56)
そこまで気負わなくてもいいのではないでしょうか。
「それなりに」も大切です。
自分自身が、そのように甘えて
このようになったのですがね。(笑)
今井一光 (土曜日, 28 1月 2012 17:45)
ありがとうございます。
勿論当然にそのように生かされて、このありさまで
どうにも仕方ない・・・。
それが「それなり」ということで・・・
お許しをいただいているわけですね。