小生、テレビは嫌いじゃないですが、できるだけCMも含めて五月蝿いチャンネルは回避します。
しかし毎週何故かチャンネルを合わせてしまうのが月曜日BSのTBS、酒場放浪記です。
ジャジーなBGMと酔っぱらいの吉田類氏の独特の雰囲気に各地の案内と料理の数々、癖になっています。
小生において酒は一切ダメですしその楽しみ方に関して何も語ることはございませんが、ただただ類氏の地方地元の未知の人々(ご常連といいます)との交流が新鮮であり楽しく拝見させていただいております。
酒というものを通じて色々な出会いと交流があってそのうえで名店を探訪していくという番組ですね。
さて小生の楽しみは勿論「墓場」歩きです。
墓地はほとんど「繁華街」では無くどちらかといえば静寂の中にあります。しかし小生には「いらっしゃい、よく来てくれました」そして、おいとまする時に「また来てね、お待ちしてま~す」と聞こえて来るような気がします。
24時間、「看板です 」はありませんから・・・(先日の高天神の様、フラっと立ち寄ってしまいます)。
御先祖様の歩んできた道を辿っていけば各時代登場人物の終焉はその辿った道の大小にかかわらず必ず墓地となります。 その墓地こそが今に残る「生」の証なのですから。
なんとなく立ち寄ったお寺に心に残った「お墓」がございました。
暖簾ならぬ山門をくぐって左手の山の中腹にそれとわかる墓石群に赤い指物、御姫様のお墓でした。
通称「三の姫」さま。せめてお名前をと探しましたが現在の所判明していません。
「永享記」~「鎌倉持氏記」(こちらのサイトはとても便利です)紐解いてみます。
1416年、四代鎌倉公方、足利持氏は関東管領の上杉禅秀(上杉氏憲)と叔父足利満隆によって駿河に追放され(上杉禅秀の乱)、其の後復帰しましたが永享の乱で自害しています。
その足利持氏の三女であることはわかりました。この地に屋敷を建て家臣に匿わせたと聞きます。近くに猿田彦神社があって元の天白神社、とありましたがその社にも姫様は祭られています。社の立札には「足利基氏の娘」・・・誤りかと。しかしずっと地元の人々に慕われ続けた姫様だったことを想い起こさせます。
天白神社→猿田彦神社の改名は明治4年ですのでおそらく足利=賊軍という
イメージで恣意的に行われたことと推察いたします。
明治維新期の施策の狭量なところです。
だいたい姫様に「猿」は似合わないでしょ・・・。
次の訪問には花の一輪も手向けようと思った次第です。
ちなみに姫様の家臣の名は「大澤」と「佐束」。
この地方によく見られる名ですね。
コメントをお書きください
杉山彰子旧姓大澤彰子 (日曜日, 14 5月 2017 21:42)
実は三の姫の家臣の大澤のわずかな血をひく杉山彰子25代目?ウソかホントかわかりませんが聞いたことがあります。
ひいおじいちゃん高瀬村で庄屋だったようです!
今井一光 (日曜日, 14 5月 2017)
ありがとうございます。
うわぁ、ホントですか。
私は一時三の姫さまの自称ストーカーでした。
そして三の姫さまは一生独身を通したと思っていません。
本人あるいはその子供がいたとしたら従ってきた
大澤や佐束などの家臣との婚姻がありうるのではと。
きっと古文書などがあるのでしょうね。
最近は御無沙汰していますので、ご挨拶してきます。
杉山彰子旧姓大澤彰子 (木曜日, 01 6月 2017 14:08)
読めない巻物みたいなものが実家に飾ってありますよー!そして今も高瀬村にいるもう一人の大澤さんのおたくは28代目なんです!笑!法要に行ったときにはびっくりしました
でもみんないい人ばかりで親戚がみんなで三の姫と過ごしていたけど足利賊軍?だったから庄屋だった大澤のご先祖は土地をみんな取られてしまったと言ってました!
庄屋だったころは小さいお膳でそれぞれ食べていたとか!
また三の姫のお墓にも行きたいと思ってますよ!
メールありがと
杉山彰子旧姓大澤彰子 (木曜日, 01 6月 2017 14:57)
追伸
三の姫の人物像 自称ストーカーというがなぜ?聞かせてほしいわ?
家臣の人と婚姻?何か根拠は?まあ婚姻まではいかなかったかもですが(親戚からは独身と聞かされました)恋人はいたかもですね!笑
今井一光 (木曜日, 01 6月 2017 15:47)
ありがとうございます。
「足利賊軍」の話は明治維新直後の政府のでっちあげですね。
要は南北朝時代を惹起したということで「賊軍」呼ばわりされたのです。
それを理由に土地を没収されたというのは酷いとばっちりを受けたものです。
とても興味深い大澤家の歴史です。古文書の内容も是非教えていただければと思います。
自称「ストーカー」とは野暮な男心から悲運の三姉妹の末っ子、三の姫様への憧憬の念は
つい恋心に発展し、何度もお参りに行ったということです。また色々な人を連れていきました。
さすがに当家奥方からは怪訝な顔をされましたが・・・
何よりその「三の姫」と呼ばれる名の響きがいいですね。
その呼び名は家臣団からの尊敬がこもった名に聞こえます。
本名を知ることは畏れ多いのですが、それでもできれば知りたいところです。
そういうことで家臣との婚姻もありうることと端折って記しましたが、生涯
独身を通したとあればますますファンは増えるのではないでしょうか。
掛川市は宣伝が下手ですね。
三の姫さまをイメージキャラと仕立てて町おこしのチャンスとすることもできそうです。