榛原の長興寺さんにお邪魔しました。
毎月一回の勉強会。
先日、所属寺院57箇寺にお願いした
「震災時における各寺院の行動について」の集計結果を拝見しました。
「震災」を、被災して支援を待つ側と支援する側とに立場を分け
これまで「寺としてできること」を論じておりましたが、何よりお寺が
横のつながりを持って情報交換していこうというのが事の始まりです。
多種多様な意見が出て一様ではありませんが宗派を超えて危機意識を共有するということはとても良いことだと思います。
ちなみに相良仏教会では3.11の後被災者の受入れ窓口はオープンしました。ただし実績はゼロでした。
コメントをお書きください
小山昭治 (火曜日, 17 1月 2012 08:37)
非常にいいことですね。
ただし のど元過ぎれば・・・
と ならないように。
オウムの時もそうですが
既存の宗教界は、人々が弱っているのを
救えないのでしょうか。
もっと 積極的になって、
門戸を広げてもいいのではないでしょうか。
今井一光 (火曜日, 17 1月 2012 17:24)
ありがとうございます。
各御寺院様のアンケートをざっと眺めてこれから自らが体現するであろう巨大地震に対し、「どうしていいかわからない」というのが実情だと思われます。またそれぞれの寺の抱えた立場から地域に何かしていきたいという発想はとても好ましいスタンスではありますがお言葉の通りおそらく時間とともにトーンダウンしがちなものではあります。
小生の考えで言えば、事は非常に切実で、もはやその災害は「待ったなし」の様相と。「何ができるか」というよりも「どう生かされるか」というレベルなのかと思います。
それは人々も寺の坊さんも同じ掌の上に乗っているという考えです。
宗教界が衆人を救えないのは近代になってその役目を国家が担うことになったためでありその結果各個人主導の幸福感が画一的な方向に向かったのだと思います。要は現状、寺としての役目は亡き人の追善供養にのみ発揮し、過去にはそうであった生きるための智慧を学ぶ道場的役割を放棄してまた、人々もそのように期待することが無くなってしまったということでしょうか。
その様なことに陥ることは避けたいものです。
とにかくも時間の無い今となってしまいましたが、「用意」
だけは何とか間に合わせたいものです。
現在まとめている項目は
・避難所としての役割
・避難者の受入れ容量
・井戸の有無
・トイレの仕様・・・等々
しかしながら56%の御寺院が「津波で被災する可能性」があると回答されています。