諸衆等聴説 日没無常偈
しょうしゅうとうちょうせぇ にちもつむじょうげ
人間怱怱営衆務 不覚年命日夜去
にんげんそうそうようしゅうむ ふかくねんみょうにちやこ
如灯風中滅難期 忙忙六道無定趣
にょうとうふうちうめっなんご もうもうろくどうむじょうしゅ
未得解脱出苦海 云何安然不驚懼
みいとくげだしゅくかい うんなんあんねんふきょうく
各聞強健有力時 自策自励求常住
かくもんごうごんうりいきじ じしゃくじれいぐじょうしゅ
意訳
みなさまがたおききください 日没の無常の偈を
人間は、日常生活のさまざまな仕事にあわただしく走り回り時間を追われ、我が寿命は知らないうちにあっという間に少なくなってしまっている。 それは、あたかも蝋燭の炎が風の中に立ち今にも消え去ろうとしている姿と変わらない。
慌ただしく人間界必定の苦しみの世界を漂い、また走り続け、今だもって落ち着く場所は見つけられずにいる。過酷な苦難がまだまだ訪れんとしているかもしれないのに、いかがして、ぼんやりとのんびりしたままにいて漫然とし恐れおののかないでいられるのだろうか。
さあ後生の一大事に備え、今こそ心を強く持って、努め励み努力し永遠の真理(涅槃)へ導かれよう。
正信偈で音程の変化する部分「善導独明仏正意」~善導、独りだけが仏の正意を明らかにした~とまで親鸞聖人にいわしめた善導の著「往生礼讃偈」の中の「日没無常偈」です。
聖徳太子創建の四天王寺はじめ西方極楽浄土への浄土信仰は古くから日本人の心のふるさととなってきました。私も浄土信仰者として時折時間が合えば心和ます日没の夕日を望みに行きます。世間様では元日に日の出を見に行くという風習がありますね。しかし多少ひねくれた小生はあえて「やはり夕日でなくては・・・」と心得ております。しかし、元日と二日は所要でお流れ。本日の「観想浄土」となりました。
私のお決まりのポイントは牧之原台地に上がって正林寺の南側の丘の上、「塩買坂」の下り分岐辺りです。
塩買坂は今川義忠(義元の祖父)が近くの横地城への遠征、陥落させて戦勝の帰路、不意打ちで残党の矢に射られた場所であり、高天神城のある舌状台地が一望にできます。かつて高天神城を目指して武田信玄、勝頼ほか武田一門がこの細い道を下ったことを考えると幽玄無常を想わずにはいられません。
コメントをお書きください
釋心道 (木曜日, 05 2月 2015 15:31)
「日没」の現代語訳の意味がよく解りました。
「初夜」「中夜」「後夜」「晨朝」「日中」もお説き願います。
今井一光 (木曜日, 05 2月 2015 15:59)
ありがとうございます。
法名のお名のりといい、礼讃偈の記し方、そして文末の言い回しから
どちらかの御寺院様とお察しいたします。
そう思いますと、私の記しました解釈など、お恥ずかしいかぎりで、今となってはとても緊張している次第です。
とはいえ「六時」というくらいですので、他の偈文もこれからブログの方で記せたらと思っています。
今井一光 (木曜日, 05 2月 2015 16:44)
追伸
「日中」に関しては2013年8月19日のブログで記しています。
釋心道 (木曜日, 19 2月 2015 17:39)
お世話になります。
過去のブログは、どうしたら見ることができますか。
今井一光 (木曜日, 19 2月 2015 20:37)
ありがとうございます。
過去ブログはページ最下部の「サイトマップ」にあります。
お恥ずかしながら。
釈心道 (日曜日, 22 2月 2015 14:19)
「過去ブログ」を見ることができました。