周辺の城 砦
1 滝境城
牧之原市内の城跡で現地紹介の看板に
「武田」×「徳川」といったわくわくするような言葉が出てくる場所はここだけです。
そしてまた地元の方々でも「相良郷土カルタ」(「その昔 勝頼勢は 坂井城・・・」)に親しんだ世代以外では案外とその存在が知れ渡っていません。
牧之原台地の南端、駿河湾を一望にでき海上船舶のチェックと小山城と相良城の中継の城。
縄張りは小山城と同様、小和田先生の御先祖様といわれる馬場信春です。
墓所の画像は愛知県新城の長篠城近隣のもの。
ブログ→中央構造線露頭
上記滝境城周辺。
比較的掲示板等の案内がキレイで親切に記されています。
この地では「高天神くずれ」という言葉をよく耳にします。
地元遠州の知行を与えられた土豪、国人はもとより尾州・三州・駿州・甲州・信州等周辺の国々から多くの人々が動員されました。
永禄七(1564)年に小笠原長忠が高天神城主になったあたりから(今川の所領→徳川の所領) 、天正二(1574)年小笠原長忠開城により徳川領→武田領、そしてその奪回戦の天正九(1581)年武田領→徳川領そして廃城まで多くの人々が一族郎党を引き連れ、多くがかかわって、中には離散し当地で新たな暮らしを始めた家がありました。それらの人々を「高天神くずれ」と呼んでいます。