2024年

12月

24日

京都市有形文化財下里家住宅 祇園するがや下里

 「寒い」などと言うのも腹が立つきつい冷え込み。

 

一瞬40.5℃の高熱に見舞われたという息子は、その間何も口に入れることなく過ごしたといい、「2㎏痩せた」とのことでした。

昨日午後になってようやく平熱にまで戻ったということで「さわやか」に赴き真っ当な食事にありついたそう。

すると20時頃になって再び38℃にまでぶり返したといいます。

「食い意地の張ったバカが・・・」と奥方が吐き捨てていました。

彼は「おそらくコロナだろう 医者が見落とした~」と。

ホントに医者が「うっかり」診療ミスなどするものだろうか。

そういえば大事故になって訴訟問題、賠償問題に繋がったその手の案件、結構に耳にします。

もし彼がそうだとすれば・・・彼の周囲に居た人たち・・・御愁傷。

どちらでもそんなケースがあるとすれば・・・

私は40℃なんて真っ平です。

 

昨日ブログで「浄土の英訳はHeavenでイイ」と記しましたが

 なかなかその辺りのニュアンスについて(仏教に)相いれないという感覚の方が御見受けできますね。

特にHeavenの直訳・・・「天国」ですが、その言葉を忌み嫌う仏教

関係者がいて、ホールの担当者にきつくそれについて戒めていることがあったといいます。

 

私は司会の方たちの内情は理解しているつもりですが、その件をあの方たちに詳細こまごまお達ししたとしてもそれは酷な事でしょう。

弔辞やお別れの詞について「検閲」するよう厳しくチェックさせたといいます。

私?私は「そんなのどーでもイイ」の立場ですね。

さすがに私自身でしたらその語彙(「天国」)は使用しませんが、特に子供さんが一所懸命記したそれについてとやかく言う気はさらさらナシ。

 

それよりもやれやれ感溢れるのはlineの着信音。

中にはline電話のあのトボけた呼び出し音が相変わらずホール内に響くことがありますからね。

ご担当が「式中は~」と念入りにその件についてアナウンスしていますがそれでもなくならないのがそれ。

そこまでやってると「うっかりしてました」の域は結構に皆さんイイ加減か。

以前記しましたが読経中に坊さんの携帯が鳴り響き、事もあろうかそれ応対したというシーンを目撃した人がいたといいます。やはり人間そのものが不思議、そんな生き物なのかも知れません。

「お前に言われるか・・・」といわれるでしょうね。ハイ。

 

扨、先般のバス遠足にて京都では烏丸通と六角通の交差する辺りのホテルに泊まったのでしたが、チェックイン後は四条通を祇園方向に奥方に連れられて。

「祇園するがや下里」なる店に辿り着きました。

しかしその時間帯では殆どの品が売り切れ。

がっかりしながら店を後にしました。

 

そちらは昔ながらの飴や、菓子やの類ですが人気店であり開店と同時に行かないとダメかも知れません。

その翌日に祖廟のお参りがありましたが、開店時間は11時と遅くバスの出発時間となり奥方は地団太を踏んでいました。

 

私は飴系の「美味しい」には「たかが飴」の如くに評していましたが、奥方が悔しがっている姿は尋常でなく、一度は口にしてみたいものと次回の入店を約しました。

 

こちらの建屋は京都市有形文化財に登録されています。

食い意地が全うできず意気も消沈。

この下里家住宅についてこまごまと見届ける気力はありませんでした。よって外観のみ。

 

 

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2024年

12月

23日

弥陀の誓願不思議 有難し 三井寺金堂前 無名指燈籠

 昨日午前は島田市のご自宅でお内仏あげ経。

元は相良にいらした方々です。

おそらくこれが今年最後の法務でしょう。あとは境内と庫裏でのお仕事が少々。

 

何故にこの時期に・・・と思いつつお宅の仏間に入ると家族が勢ぞろい。正信偈が終わってからしばらく・・・。

73歳になるというご主人が「今年一番の仕合わせ」について嬉しそうに語り始めました

それが11月に「曾孫が生まれたこと」。

それはこのうえない僥倖と、私もその羨ましき目出度さを讃えました。坊さんが他人を羨むことはイケないこと・・・と付け加えながら。

ああ、この機縁はきっと亡くなったお婆さんへの報告会なのだろうなぁ・・・と私もその良きご縁という不可思議の天晴れを思いました。

 

ちなみにこの「不可思議」「不思議」とは私が考えるに、「決まっていない、前もって決められていない」、「御縁」のようなイメージを持ちますがそれはたとえば、四苦八苦の四苦がすべて自身の意志でどうにかすることなどできないことの如くです。

 

しかし生老病死のうち老病死の3つに関しては人として決定している事と解します。また「生」においてはその命を授かることもそれからの生活も「決定」されたことではないと。

「命」もそれを得たあとの存在も色々な機縁に左右されるものだからですね。

その色々な機縁のことを「不思議」と言うのだと思います。

当流では九字の名号という阿弥陀如来の名(「南無阿弥陀仏」~六字名号~の脇に、また十字の名号「帰命尽十方無碍光如来」とともに・・・)をお内仏に掲げることがありますが、その九字とは「南無不可思議光如来」です。

計算づくでは絶対に説明しきれない「命」・・・「無量寿」とも。

 

また当流では死した後の事についても阿弥陀にそのままお任せします。

往生したあとスグに安楽国に参らせていただくことになりますがその道程もやはり不可思議なこと。

一言で言えば生老病死の「生の前 死の後」のことが単純理解不能の不思議な機縁であるということでしょうか。

まぁどちらの機縁も阿弥陀さんの差配するところで人の思考の領域ではないということですね。

 

私が若き頃からの好みの曲で(何度か拙ブログでも記しています)「天国への階段」 (Stairway to Heaven - Led Zeppelin)がありますが、その歌詞中のベストな私のお気に入りかつ不思議な部分が~勿論サビのギターソロは抜群ですが~

「It makes me wonder・・・」

 「不思議・・・」そして

「There is a feeling I get when I look to the west」

 「西方に感じる何か」

ですね。

浄土の英訳はHeavenでイイと思いますがこの「西の方角」

というところが私のこの曲の不可思議さを一層駆り立てます。やはり当然の如く西方浄土を思ってしまうのでした。

 

尚、歎異抄第一条の冒頭の詞が「弥陀の誓願 不思議にたすけられまゐらせて~」でした。

私がここに息をして吐いて・・・存在する事自体が不思議なことでした。「有ることが難しい」(有難し)とも。

 

扨、三井寺(先日)の金堂前に不思議な灯籠がありました。

それが「無名指燈篭」なる石灯籠。

掲示板の文言にありますが・・・

 

 

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2024年

12月

22日

たぬまっぷラリー in 牧之原 2025 1/9~3/14

 

日本全国そこいらじゅうで火事の報せが。

ああ恐ろしい。

空気乾燥甚だしい中、風に煽られて火が一気に広がってしまうのでしょうがそんなことは皆さん百も承知。

「火用心」は誰もが常に念頭に置くものですが「まさか自分が」の慢心とうっかりによって出火、延焼させてしまうのでしょうね。

 

火事による被災はその「うっかり」を原因とした現場のみに限らない、隣接する家屋までがその失火の巻き添えにしてしまうことが多く、ご近所への面目が立ちません。

他人様の失態で自身の財産と寝食生活の中心が消滅してしまうということは辛すぎます。

 

もらい火も嫌ですが、失火についてはくれぐれも配慮が必要ですね。やはり「そんなことは百も承知」? 。

とにもかくにも昨日の降雨は取り敢えずの異常乾燥を解消させてくれたことは有難い。

しかし以降予報ではお日さまマークが並んでいました。

 

浜松の息子の高熱はてっきり平常に戻っていると思いきやそのまま続いて昨日午後には40℃超えと。

若くなければそのような数値にはきっと耐えられないでしょうね。

前日のコロナとインフルの検査では陰性との診断が出ていますがその診断を疑いたくなります。

実はこの日は施設入所の叔母と名古屋と浜松の従姉妹が合流しての食事会がありました。

先般の叔母の救急外来のドタバタの際にはそれを諦めるべきと思いましたが最近はいたって元気。

ただし先週、叔母は2回車椅子から転んでその度に施設から連絡がありました。よって「足が痛い」と連呼していました。

よくもまぁ無事であったものです。

 

彼もその食事会に来ることになっていましたが今回の高熱によりキャンセルしたという次第です。

叔母の食欲は圧巻でした。日頃施設では食事制限があってなかなかガッツリ食するなどいうことは無いようで、九十を超えた婆さんの喰いっぷりはまさに絵になる感。

「こりゃ百行く勢い」・・・のダイハードぶり。

つい「こっちが先に・・・」と言いたくなるくらい。

 

扨、「踊る阿呆に 見る阿呆」といわれますが、2025年大河ドラマの件、私も少々踊らせていただいています。

その「踊り」全体を仕切る学芸員の長谷川氏も仰っていた通り市内在住の皆さんは一部を除いて至ってクール。

それは、今年の春先から何度かあった世話人会でその「祭り」の件「一緒に楽しもう」とばかりに声掛けをしていますが、その反応は薄弱なものがありますからね。

要は「お遊び」についてのお誘いですが、皆さんその割り切り方が今一ピンときていないようで。

 

番組が大ハズレになって盛り上がりがまったく無かったとしてもそれはそれでOK。

しかし、もし大いに盛り上がってこのド田舎に人々が集まるようなことがあった場合、その準備(相良を売り込むグッズ)が間に合わなければ「あとの祭り」でしょう。

 

千載一遇の機会をただ見て過ごすということになりますからね。

俄か作りの切り貼りやっつけこじつけでもいいのでしぶとく対応してくださいな。相良に古くから住まう人ならそこのところ感じて欲しいものです。

何てったって大河ドラマで「相良」の語が登場することなど「江〜姫たちの戦国〜 (2011年 ⑤画像)以来で、滅多にないことです。

また、その後にその語が聞けるかどうかなど甚だ疑わしい。

よって私は踊らされているという見方もあるかも知れませんが、率先して踊ることにしています。

「どうせ見るなら~」ですよね。

そしてべらぼうに阿呆ですから。

 

画像①~④は市の演出する「たぬまっぷラリー in 牧之原」のちらし。阿保になっていますね・・・

来年1/9~3/14のお楽しみです。

しかしどういったシステムなのでしょう、よくわかりません。

 

何もしないより面白おかしく、楽しんだ方がマシですね。

私は叔母のように長生きできる自信はありませんし。

「私のための大河ドラマ」とモロに曲解しつつ。

 

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2024年

12月

21日

フリーペーパー道の駅 田沼意次 ゆかりの地めぐり

昨日の朝も息白し。これからもっと寒くなりそう。

 

浜松に住まう愚息が「親知らず」の痛みがキツイ・・・ということ

で歯科医院に飛び込み一気にそれを抜いてきたとのこと。

それで「すべてOK」とはならないのが当家の流れ。

帰宅して翌日39℃の熱が出て「こりゃあインフルをもらった」と歯科医を呪いながら、近くの医院にこれまた飛び込んだところインフルは勿論、コロナの検査まで行ったそうですが全て陰性判定。

 

彼はよろこんでいましたが奥方はこんな寒い時期の体力減衰時に「親知らずなんか抜きに行くからだ」と笑っていました。

やはりタイミングが悪すぎましたね。

彼は拙寺に来る予定がありましたが陰性とはいえ「来るな!!」と一蹴されていました。

 

世の中、インフルエンザがかなりの勢いで繁盛していますし咳や熱といえば周囲の誰もがドン引きします。

下手に病院などに足を踏み入れれば何に感染させられるかわかったものではありませんし。

ある療養通院中のご門徒さんが亡くなったのですが直接の原因は、病院でコロナに罹患し肺炎になったからといいます。

快癒のための通院が仇となるなんて。

 

そういう時節に法要、特にホールのおとむらいの式は特に注意が必要と心得ていますが、全般発声の呼吸を大いにし続けている私はその感染の件、まったく対抗する自信がありませんね。

罹っちゃったら仕方ない・・・そんな開き直り。

 

昨日のそちらでのお勤めは乾燥期の暖房空間ということもあって喉の調子が不調。

マスク装着のせいでいつもの吐いて吸っての連続が、「苦しい」とまでいかずとも違和感大アリ。

よって途中、マスクを外したり着けたり(上げたり下げたり)の連続でした。

 

扨、一昨日長谷川氏がお持ちになった、NHK「べらぼう」の宣伝ポスターのほかに「フリーペーパー道の駅」がありました。

関東版ということでこの辺りの道の駅には縁遠いものかも知れませんが、表記①の通り「田沼意次 ゆかりの地めぐり」と。

ざっと拝見させていただきましたが拙寺がさらっと紹介されていました。

 

すべての巡り合わせを有難く思う今日このごろ。

長谷川氏が仰っていましたが2025年大河ドラマPR解禁以来、市民レベルでの高揚感はまだまだの様ですが、メディアや物販業などからの問い合わせが顕著になったと。

 

また静岡市庁舎に開設される大河ドラマ展にてあの「意次せんべい」が置かれるかも・・・との連絡がありました。

昨日は一休さんの歌(門松は~)の如くのボヤキを吐いた私でしたがホントは大河ドラマをステップにした「忙しくて楽しい1年」を期待しています。

最後の画像はあのポスターを「門前にも掲示したよ」、の図。

 

 

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2024年

12月

20日

「べらぼう」特大ポスター本堂へ

あと10日も過ぎるとまた一つ齢を喰う。

新年なんてロクなものじゃあない・・・とボヤキの一つも吐きたくなる年頃てす・・・。

 

やらなくてはならないこと山積。

それをわかっていながら何もしていないという愚かしい自身を悔い改めようという時節でもあります。

それでも悔いはすれど改めるまでには至らないほどの凡夫。

もはや笑って過ごすしかありませんね。

死ぬ時まで笑いながら・・・それはそれで仕合わせ者であるということで。

 

朝は「今日が一番」と思わす冷気に包まれた本堂。

バロメーターは私の吐く息。

今シーズン初めて堂内読経にて白色の気体を感じました。

 

そして昨日はお通夜。

先週末で法事はおしまいとはなりましたがこればっかりはどうにもなりません。

ご門徒さんが紹介されたお初にお目にかかる方がたで世に言ういわゆる新仏さんのお宅でした。

 

施主は仏教とそれにかかわるこれからの「やらなくてはならないこと」について何も知らないことと、失礼の数々について事前にお詫びをされていました。

私は「知らないのは皆同じ 私も知らない事ばかりで、お構いなし」と。

仏教哲学創生以来数千年の教え、それからすればつい先だって生まれたばかりの私ですからね。

それもその教えというものの知識とやらは名ばかりで親・先達から聞いたこと、それも自身解釈の勝手独断ですからね。

お役に立てるかどうかはわかりませんが「ちっとばかり」の伝承者としてあれば・・・それでヨシということで勝手に満足。

 

その通夜式に出立する直前に史料館学芸員の長谷川氏が訪れました。

「いよいよです!!」と来年の大河ドラマのポスター等を持参されました。特大ポスター1つと大ポスター2つでしたが、帰宅後早速特大ポスターを本堂に掲示。

他の冊子類もありましたが目を通す時間まったくなし。

 

そして奥方に布施書店にて紹介本を入手に走ってもらいましたが、既にNHK出版のものは売り切れていたようでした。

 

ご門徒さんは勿論、どなたでも史料館の帰り途にでも、拙寺へどうぞ。

お声かけくだされば私の知りうることに限り、お伝えできることがあるかも知れません。

 

 

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2024年

12月

19日

三井の晩鐘ひと撞き八百円也 ご本山は鐘楼完成

遅くとも24時間で復旧・・・の言を信じひたすら朝九時を待ちました。前日のブレーカー落ちによるネット回線不通の件です。NTT光とプロバイダーの二つに連絡をし、プロバイダーからは無線ルーターの不具合の可能性も示唆されてまさに迷宮の混乱。

それでもあれこれとリセットしたり電源の抜き差しを指示されて何とか復旧したのは昼前のこと。

「何故にしてブレーカーが落ちると回線もダウンしたまま復旧しないのか?」をついでに伺ってみると、少々の時間をおいてから、おそらく通常のOFFよりも負荷がかかっているのかも・・・それ以上のことは「メカニックの方に転送しますが・・・?」 といわれて私はもうこれ以上どうでもいいとなり「またの機会で」とその困惑の時間を終わりにさせていただきました。

 

そして所望していた車載用ワイハイ機器が息子の手配で到着し、そのセッティングに16時前までかかってしまいました。

見えないもの(電波)と闘っている感でうんざり。

まぁセッティングの仕方がダメだったのですが。

奥方の買い物の付き合いが控えていましたがその私のモタモタ度を見かねて隣であれこれと指示される始末。

そんなことができなくなったのは「ジジーになった証拠だ!!」と嫌味を言われましたが反論もできず。

 

息子の方は浜松市内の一部水道管破裂の断水によって、夕食は外食に、そして夜遅くまで「風呂にも入れなかった」と。

息子の方がより切実だったのでしょうね。

いつも当たり前と思っていることが突然無くなるというのはかなりの衝撃です。あらためてそれを思いました。

私の場合ネットに依存しているつもりはさらさらないのですが、現状如何にPCを頼りにしているか・・・お恥ずかしいことでした。

 

扨、画像①~③は三井寺のあの有名な梵鐘。以前来た際には

「こんな看板は無かった」と記憶を辿ったところ。

色々とインフレが進んでいるようで。

大澤寺も鐘だけにカネを取れ・・・という声もありましたが・・・

 

④は東本願寺境内の鐘楼。昨年は修復中でした。

今年の10月に完成の撞き初め式がありそれが今月の本山の同朋新聞の表紙になっています。 

 

 

 

 

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2024年

12月

18日

ブレーカーを落とすとネット回線不通二度目

ああ面倒臭くてイラつきの極致。     朝一、工事やさんが電動工具一斉始動につき、再びブレーカーが落ちました。        前回約1ヶ月前にやらかした際同様ネット回線不通に。                よって再びプロバイダーに連絡したところ数時間から最悪1日待って下さいとのことでした。

というわけでこれにて終了。

               

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2024年

12月

17日

久々の僧俗研修会 日坂法讃寺

総代さんら4名に御同行いただき日坂の法讃寺へ。

そちらでは4年振りかになる僧俗研修会が催されました。

「椅子でないとお話にならない」という方が2名いらっしゃって車中の話題は畳の上は「座布団か椅子か」が最大テーマ。

拙寺も殆ど同様ですから「座布団かもね・・・」と私が言うとドン引きされていました。

 

年配者の多い会ですからそこのところは配慮すべき課題と思いつつ現場に到着しました。

すると本堂外陣の会場は低テーブルが約20個並び、各3名の座布団形式でした。

それには一瞬ハッとさせられましたが、低タイプの椅子が用意されていて何とかそちらで耐えていただきました。

この件「足の曲げ伸ばしに問題がある方は参加できません」ということにもなりかねないことですからね。

 

拙寺本堂でかつて開催されたその会ではだいたい椅子での対応はできたののテーブルがありませんでした。

学校の教室とは違いますのでそれも仕方がないとは思いますが、椅子テーブル等備品類を用意することは難しいことです。

テーブルも机も高価ですし、何よりそれらを保管する場所がないというのが実情です。

 

①②は成瀬家墓域と成瀬暁心翁之碑

大分碑文が読みづらくなったと感じるのは私の目の劣化か、石碑そのものの劣化か。

⑤⑥は相良湊橋から下流(北東方向)を見た図。18時前頃のものですが月がキレイでつい橋の上で車を停めていました。

15日が満月だったようですが、十分丸い。

ただし現物と画像とでは相当スケールダウン。

⑤は橋の照明が入り込んでいますが、⑤にも⑥にも謎の光跡が。人工衛星がちゃっかり写り込んでいたといったところか。

 

 

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2024年

12月

16日

三井寺観音堂 如意輪観音こちらも33年 苦笑い

より一層、低温化した本堂。

「こりゃ たまらん」とばかりにテラスに保管してあるストーブを引っ張り出して本堂に設置しました。私のいるお内陣は足許にホットカーペットのみでストーブは用意しませんのでそれは参列者用。東京方面から来られた方々も多数おられました。

よって灯油の注入やら試験運転やら・・・前日に故障したストーブの代わりです。

 

無風だったため墓参の際の日差しの下は本堂内とは格別に暖かさを感じました。風さえ無ければこれほど住みやすい地はないと確信した次第。毎度のことですが有難い。

 

一応昨日の本堂の法要が少々のご自宅での法要を除いて今年の最後ということになりました。

あとは境内作業ほか雑多なあれこれに励むことになります。

 

昨日は聞いたことも無いような事件、マックの注文のために並んでいたという中学生が大人に刺されるという前代未聞・理解不能のニュースが朝から。

塾の帰り途に立ち寄ったといいますが、少しばかりの若者の楽しみは親たちも承認しているはずでどちらにおいても違和感がなくなった景色。

何とも気の毒なことが起こってしまいました。

 

当家では父が口癖で「夜は出歩くな」とそれが掟の如く厳しく言い聞かせられていました。

よってそれを踏襲、私もそれを息子にガミガミと言っていたものでした。

私も息子もその言葉に従順だったわけではありませんが・・・

しかしやはり経験上それはロクな事がなかったということを理解しています。

 

ボブディランの「ハリケーン」の歌詞の和訳にその「夜」とは「面倒な事」が起こることを示唆していました。

「ハリケーン」のストーリーは恰も先日無罪判決が出た袴田さんの件にも似た司法の「でっち上げ」について。

それは「ハリケーン」の「面倒な事」への危惧とは少々意味が違いますが、私は他でもよく映画の台詞で聞いたその「面倒は御免だ」の台詞が耳に残っていてそれを息子に吐いていました。

 

単純に夜に活動をすれば(路上に屯すれば)「①ヘマをやらかす②ふっと成り行きでバカをやる③何かのトラブルに巻き込まれる」確率が高いということを端的に言っているワケですが、経験上、案外それは当たっていると断言します。詳細は割愛しますが。

 

昔から夜にはどんな「魔物が出る」かわからないというのが当たり前の思考。

「闇」というものの恐ろしさ。人の心の闇も重なって・・・

夜、可愛い子供たちをストリートに出すな・・・一理。

 

最近の私にとってもまさにそれ、夜間視認劣化と対向車の眩しいライトによって右左折が怖い。

面倒は御免と日没後はできるだけ「外に出ない」を心がけています。

 

「フロム ダスク ティル ドーン」 (日没から夜明けまで)などいうおバカ映画がありましたね。

「お父さん どうして神父を辞めたの?」の娘の問いに父が

「ある日自分がバカだと思ったから」と不思議で可笑しなフレーズがあったことが印象的でした。

 

扨、先日は石山寺の如意輪観音について記しましたがワケあって遠足ではそのあとに三井寺行脚が組まれていました。

何度もお邪魔してはいますが、その時は観音堂に入れるということで「まぁ いいか」。

観音堂の受付の方(僧侶の方でしょう)に「次の御開帳はいつになる」を問うと・・・「この間出ちゃったから30年近くあるよ」でした。

こちらにも秘仏の如意輪観音が鎮座しますがやはり33年サイクルのオープンセレモニー。

奥方とそれを聞いてやはり「死んでまぅ~」と口を開けつつ

ニッコリ。

 

画像④~⑦は観音堂のある高台の諸殿。

架け造りの様が分かります。琵琶湖が見渡せる作りですね。

 

 

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2024年

12月

15日

岡崎「家康公と三河譜代」 伏見黄桜 伏水蔵

異常乾燥に「焼石に水」感ある一昨日夕刻からの微量な雨のあとは遠州の空っ風が吹くコンディション。まぁ晴れたからいいか・・・です。それほど素晴らしいことはないのですがね。

贅沢なものです。

 

そんな中昨日は神奈川は湘南からのお参り。

出立される際は「風はなかった」といいますのでやはり遠州特有の現象ですね。

事前に本堂に設置してあるストーブをテストしていました。

すると3台のうち小型の新品のストーブが何故か不良作動を起こして不着火。

新品だから・・・アテになりませんね。

大型ストーブがあるから「まぁいいか・・・」とここでも妥協。

一昔前までは暖房器具といえば火鉢だけで座布団という忍辱の時代? がありましたから現代のすべてはラクになりました。

飽くなき煩悩に生きている私ども。

それに気づいたことだけマシということでまた「まぁいいか・・・」

 

一昨日、二村氏より新情報をいただきました。

「家康公シンポジウム2025『家康公と三河譜代』」の開催情報です。2025年2月1日(土曜)岡崎市せきれいホール。

私は既に法事の予定が入っていますので参加は無理ですが聴講は無料で定員500人を募っています。

参加希望はこちらからどうぞ。

 

扨、以前拙ブログで伏見大手筋アーケードをブラついたことを記しましたがその際「遠足で伏見の酒造を・・・」と記していました。

ということで今年のバス遠足で立ち寄った黄桜の「伏水蔵」

観光客用の酒造見学コースですが当然に皆さんの集まる場所は試飲とお土産コーナー。

 

仰天させられたのがビールとウィスキーの存在。

こちらのメーカーといえば「日本酒」というのが私の中ではガッチリ固まっていたお頭でした。

企業というものは「同じ」ということも大切なことですが、新しいことに方向性を持つことは大事。

進化している様を見せつけられました。

 

①②水路にかかる小さな橋を渡りますが、桂川と宇治川の中間にあるだけにその「水利」(水+水運)による発展を推測できるところ(場所はこちら)。

 

そのあとに東本願寺経由大谷大学博物館というコースでほろ酔い気分の方々多数。わたしとしてはまったく違和感なし。

 

 

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2024年

12月

14日

「念誦崛(ねずき)」の主 増賀上人 各説話では変人

境内にて雑務いろいろ。昨日は大工仕事、DIYが主でした。

外仕事も風さえ無ければ大した苦痛はありません。

思い切って外に出て体を動かせばホットになれます。

 

夕刻にご門徒さんがお参りに。

16時過ぎに本堂の戸を閉めて閂をかけていましたが「早朝お参りに来たが本堂が開いていなかった」とご指摘を受けました。

「いつも開いていない・・・」

「開店時間」も「閉店時間」も超気まぐれで適当ですからね。

 

ネコの障子を破っての襲来への対応から。

当初は障子の一番下から次々に上段にかけて板を張っていったのですが、これ以上はムリと、限界を知ってから夕刻に「戸を閉めて閂」朝それを開けるというのが日常となりました。

今になってその件、防犯上「悪くない」と考えるようになりました。

夜間は入堂不可に。それは本来の姿でしょう。

これまでの拙寺のノー天気が異常だったのですね。

ただし開けたり閉めたりは面倒くさいことは確かですが、その時間というものをハッキリさせることは必要かも

 

現状「外トイレ」の復活ということで会館に併設させようと工事を進めていただいていますがあいにく大晦日までには間に合わないということで了解。

これまでの排水(水のみ)パイプが詰まっていることが判明し、新規にそれを配管する工事が遅れているからです。

大工さんはそれを知らずに「何とか今年中に」と急いでいたそう。その内実を知らされて「聞いてないよ~」と腰が砕けていたそう。

各進行状況と問題発生についてもっと密に共有できないものか・・・

 

そのトイレのドアにもガッチリと鍵を掛けられるようにします。夜間開けっ放し、出入り自由の公衆トイレ状態にはしないということです。

やはり本堂と同様、適当な時間に開けて、適当に閉める・・・

県からは拙寺門前の道は道路認定をされていませんが、その道を学童が日々往来しています。

世には不審事案が多々ありますからね。

 

扨、念誦崛(ねずき)の森の墓地に向かった理由はこちらの主、増賀上人の墳墓に逢うこと。

森の中の墓地のいろいろについて記しました(こちら こちら)が、この森の圧巻の墳墓でもあります。

上人は他者にも自分にも厳しい人だったといいますが、それを徹底すれば「変人」の部類となるのかも知れません。

上人は今この多武嶺の森の中で威容ともいえる墓にて人々を迎えてくれていますが、古い説話集にも登場する知る人ぞ知るの方でした。

 

それが「宇治拾遺物語」や「撰集抄」ですがそれぞれに「増賀上人」と入れて検索してみてください。

その一般の人(修行者)とは違う自身の戒め方が。

上人の真似は出来ません(捨てきれません!!)が、「変人」というのが坊さんなのか・・・とも。

 

墓域の手前には「舟」と呼ばれる手水(ちょうず)いや足水場が。「顔を洗って出直せ」とも。

こういうものを見かけると(かなり古そう・・・}を思います。

 

 

 

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2024年

12月

13日

「念誦崛(ねずき)」の森の墓場の皆々

昨日は境内仕事はなし。

午前中は奥方が検診の為に榛原病院に向ったため私はお留守番。

PC前にずっと、そこにいながらの仕事を。

昼以降もつづけて庫裏の中。

どうのこうの言いながら寒くて外に出で仕事をしようという気が起こらなかったのが本音です。

 

夕刻になって奥方の買い物の運転手として外出しましたが、帰宅すると吉祥寺の叔父からの電話で「何年かぶりに風邪に罹った」と。

原因は承知しているということでした。

惣菜てんぷら屋の店員が叔父が品物を受け取る際に、「思いっきり咳を吹きかけられた」とのことでした。

食品を扱う店でノーマスクというのはけしからんことですが、叔父もそのノーマスクで出歩いたことを後悔していました。

ちなみにそこの店員さんはアジア系の方だったそうです。

外国人のマスク嫌いはわかりますが、オーナーがそこを指摘しなくてはね。

「二度と行かない」になってしまいます。

 

友人の「奥の墓道」氏も外出時は「マスク当たり前」とのことで最近の私のノー天気振りを反省した次第。

平塚の特養でコロナが大量発生のニュースがありましたが人の密集する場は特に注意が必要な季節になりました。

 

扨、画像は昨日の念誦崛(ねずき)の森の墓地。

こちらを歩く場合、「密集」はあれど、マスクの心配はまったく不要。

むしろ健全度満点の空気が味わえます。

奥方が言うには、フツーの人はこういう場所には行かないといいますが、こちらにおいでの方々はまず「悪さ」はしません。

 

いずれ私もそちら方面でお世話になるのですから。

 

 

 

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2024年

12月

12日

「念誦崛(ねずき)」の森の崖の縁

昨日はほとほと嫌になった静波墓園の草刈りに。

夏以降の草ぼうぼう、無茶苦茶の様は承知していましたがそれだけにその着手は気が重い仕事になっていました。

ということで自分の心に鞭を入れて刈払い機のエンジンを久々にON。

刈りっ放しでしたが何とかやっつけてきました。

殆どが枯れ果ててたくさんの種子をバラまいている彼らですから次節も大変な繁茂が予想できます。

あの地は黙っていれば草ぼうぼう、ここは一つ地盤をコンクリに変えてしまおうか・・・とも思案。

防草シートの敷設も悪くないかも。

いずれにせよその経費もバカにできない。

 

そちらに放置してきた枯草も早いうちに回収しに行かなくては・・・。

13日は珍しく雨予想。そのお湿りが乾燥しきってからが回収作業となりますが、結構に境内にもやることを残していて、くさくさ・・・の溜息。

するとどなたか(不可思議)後ろから「何いっていやがるんだ (やることがあって体が動かせられるだけ) イイじゃねぇか・・・」と囁いていました。御意。

 

帰宅後は溜まっていた花ガラ他、寺楽市の最後の「残骸」を軽トラ一車地頭方の処理場へ。まだ瀬戸物系が残っていますがそれらは持ち込みにせず、定期回収、近くの集積場へ。その仕事は奥方の出番となります。

 

扨、談山神社の裏の林道を廻りこみ車両をとめて、上り坂を進むことになりますが、その地を以前も記しましたが「念誦崛(ねずき)」と呼ばれています。

多武峰中興と呼ばれる増賀上人(917-1003)の墓があるということでそちらまで足を延ばしたというわけですが、そちらには新旧 多くの墓石たちが鎮座し、私をお迎えくださいました。

早朝でしたが、おそらく真昼間であっても人を見かけることがないような薄暗い森の中。

 

車を降りて歩を進めるなりスグ、お出ましになった石仏たちが表記画像になります。

こんな崖の間近で大丈夫?と声をかけたくなるような危うそうな場所。すると「危ない のは・・・お前だ !!」。

それも御意。

 

 

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2024年

12月

11日

紀伊田沼の墓域 和歌山金龍寺 禁足祟りバチの発想

昨晩はNHK『新日本風土記「入らずの森 畏れの杜(もり)」』を視聴しました。

仏の教えに生きる私は毎度、明治の「廃仏毀釈」について仏教の衰微の始まりの如く、その愚策を思い起こすたびに呆れているのですが、何もその愚策は仏教だけではなく日本人の心に対してもネガティブに動いたのでした。

「国家神道」を旗印に各地の土俗的信仰というか地域の無数にあった神々を大きな神社に統合してしまったことです。

 

以前から地域の信仰は仏と神の両建てというのが大筋で、地域の「神」の喪失は―「仏」と微妙なバランスで歴史を形成していた(神仏習合)―今となって社会、日本人の精神性の劣化にボディーブローの如く効いてきた感がありますね。

 

一言で道徳意識の欠落の社会でしょうか。

若者たち政治家たちのSNSの駆使そして特殊詐欺の旺盛。

超がつくほどの優良企業(ノムラ証・三菱U銀)たちの根本たるウリ物である「信用」を大失墜させる破廉恥犯罪など以前では考えられないほどに日本人の心は劣悪化しているよう。

大企業の信用失墜は枚挙に暇がありません。

 

その要因がかつて身近な場にあった「畏怖」が喪失してしまったことでしょうか。

維新後の天皇中心の社会の構築を急ぎ神仏を完全分離させて国家神道として邁進させようとしたその咎が出現したかのように感じます。

 

畏怖とはおそれ・祟りのこと。

何かわからないものが私にさわるおそれがあるという少々自身不安にさせる雰囲気を言うと考えますが、その「不安」意識というものは自分を「操縦」していくうえで大切なアイテムではないでしょうか。

それは生きていくに必要だった「自信」が行き過ぎた強固な自我と変化してしまった「私」の、その後ろ髪を引いてくれるからです。

慎みを忘れた強い自信などは他を顧みることのない傲慢に陥りますから。

 

番組では今も各地に残る「禁足」「タブー」「おそれ」「バチ」を紹介していましたが、それぞれが「おそれおおい神的存在」を示唆していました。

特に興味深かったのは、近江の「新開」なる森。

 

遠景一見しただけでまず禁足の場であることが推測できる平地にポツンと残るボタ山。

私の経験上、そういう場には「何かある」ということで木々を分け入ること多々ありますが、まずそれはは古墳であり、また後世墓域にしたり神域にしたであろう鳥居、社を見受けます。

 

そちらの傍に古くから住まう「新海」姓の方がお話をされてい

ましたが元は「新開」姓でその森の名と同じだったのことですがいつの時か「新海」に変更したと。

その「新開」は勿論「しんかい」読みですが実は発祥時の名は「シガイ」であり、それは「死骸」・・・から。

新開と聞けば「新たに開拓」の方を意識させますのでびっくり仰天でした。

新海さんは元は「守(もり)」だったと仰っていました。

「守」とは「墓守」のことであり、そこは刑場となって「守」とは処刑人でもあったと。

私の興味をいよいよそそるお話でした。

 

その地の歴史を遡れば信長による近江侵攻による大量殺戮。

多くの死骸がこちらに集められたとも、こちらで処刑が行われたとも。

森の裏には石塔が建ち、「そこがもっとも怖い・・・」と新開の地主さん。

 

他にも福井の旧学校敷地にある禁足地も。

やはり大木のある敷地とその囲い。

石にさわっただけでも祟るという伝承があるそうですが、やはり信長による越前朝倉攻めでその地を蹂躙した信長が本能寺で死んだこと「バチがあたった」と地元では伝わっていると。

 

人は生まれながらにして「死」というものを背負って生かされているものですが、やはり何か「神仏に さわる」ことをやらかしたのだから「ああなったのだ(当然だ)」と後ろ指を指されるのは・・・ちょっと怖い・・・

 

「無碍の一道」を歩むと自負していてもその畏怖の想い、不可思議は大切なことと思った次第です。

 

扨、昨日は史跡研究会の小澤氏と意次せんべいの注文をいただいた店舗事務所に納品とご挨拶に伺いました。

その帰り際に、「和歌山に行って和歌山城と金龍寺にお参りしてきた」とその画像を拝見しました。

 

金龍寺とは紀伊の田沼家の墓域です。

いずれ和歌山をほっつき歩きたいとはおもいますが、伊勢道で天理に出ることは私のいつもの奈良行脚ですが「そこからがまた長い・・・」と。

晴れていれば最高でしょうね。

 

 

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2024年

12月

10日

談山神社の墓場放浪 元は妙楽寺 ジャンプスターター

寒い朝も無風は有難い。

朝は奥方が電話で受けていた「生々流転」墓(ペット墓)の納骨法要。19歳という御長寿ネコちゃんでした。

先方ご自宅に迷いこんできた年に生まれた施主の子供さんと同時進行で成長したということでその死を受け入れるに時間がかかったのでしょう。火葬して自宅安置が約5カ月とのこと。

このほど踏ん切りがついて拙寺の流転墓に納めるという流れです。

御前崎在住の方でご門徒さんではありません。

拙寺の流転墓は宗旨に関わらず承っています。

ただし本堂での読経から始めますが当流の経典オンリー。

 

それが終わってからは大晦日の「除夕鐘 今年もやります」の回覧の手配。周辺地区のみですが16枚をコピー。

それと同時に公民館の駐車場の件もお願いしてました。

 

午後は三つあるベンチの塗装上塗り作業にその他雑務を。

少しづつですが年越しの準備が整いつつあります。

 

扨、先日来続けて記していた談山神社

またはこちら こちら こちら こちら こちら こちら 

こちら こちら こちら こちら こちら 。

 

神社というものには神域ということで死という穢れにも通じる墓というものの存在はありません。

ところが幾度か記していますがこの談山神社、神社といえども廃仏毀釈の頃に無理やり変更が為されていますので墓域は秘かに残っています。

山の裏手、あり得ないくらいの奥とも思える場所にありますが元はといえば寺ですからそれらがあっても不思議ではありません。

 

その墓域に辿るには案外と車であっても距離を感じました。

あの駐車場から突き当たったT字路、豆大福屋のある通りを山門?や②を右手に見ながら進み、虎口風門跡と「女人禁制」の石碑を左手に見て右方向の山道を上がります。

山を迂回して廻りこむといった感じですね。

 

実はこの道の中途には明日香・石舞台からのハイキングコースがあってその道を行けばこの山、御破裂山まで登れるといいます。

そのまま降りれば談山神社の拝観料がタダになるとのことですが、フツーの方はそような迂回路を選択しないでしょうね。

私はその墓域を歩きたいという願望がありましたからそちらまで車で。

不安に駆られながら林道風の道を進み駐車場もないその入口に車を停めたのでしたが、帰り際にその駐車場所を見て愕然させられました。グレーチングが一部欠落した排水溝があって進入する際はたまたまタイヤが落ちずに入れたようでした。

 

帰りは4WDに切り替えてタイヤを溝と直角にして慎重に後退 脱出しましたが、冷や冷やでした。

比較的新しい墓が並んでいましたが①一体どうやってここまで来て②どこに車を駐車するのか・・・まったく不思議。

 

この冷や冷やの翌朝が例の天理でのドタバタでしたから、「よくもまぁあそこで脱輪しなかった」ということよりも「あそこでバッテリーが上がらなくて良かった」と。

それがトラウマに。

あれからバッテリーを新調したことは勿論、定期的にバッテリーのメンテナンスをしなくては・・・とバッテリーチャージャーを導入。

それでも次々と起こったバッテリーあがりの現象に「そこまでやるか」とは思ったもののジャンプスターターまで用意しました。

山に行く、遠乗りするような際に常備し、「そのバッテリートラブルの際」だけではありますが安心を求めました。

 

談山神社の裏山の林道でバッテリーの寿命がたまたま来たら・・・いや、いずれ走りたいと考えている美濃から越前に抜ける「酷道」でのそれ、いやいつでもどこでも・・・を考えると・・・「安いものだ」というのがその論理。

 

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2024年

12月

09日

住宅街の道三塚 鷺山城→せみバス停→道三塚

朝一、件の足下暖房器具を設置。

法要は地代の墓地へのお参りか先でそののち本堂にて執り行いました。

丘の上の吹きっさらしの墓地の時間はそうは長くなし、それでも薄着黒衣の様は無防備すぎではありました。まぁコレを改める気はさらさらナシ。

そのあとスグの堂内法要はホットカーペットをオンにしたものの身体全体をほっこりさせるほどの威力はありませんでした。

あとは読経発声で気張って熱量を上げるだけ。

ただ本当の寒気はこれからでしょうね。

本当に「寒い」本堂は読経の息が白くなりますので。

まだそれには至っていません。

 

扨、先日来岐阜県本巣市の文殊山善永寺についてしばしブログにて記していましたが、そういえば・・・とまだブログアップしていない画像がありましたのでそちらを。

 

以前と言えば鷺山城から岐阜城方面に戻る道すがら、近くの「変なバス停の名―『せみ』」としてブログに記したことがありましたがそちらはそこからスグの場所。

まさに住宅地の中に埋もれていました。

それが道三町の道三塚(場所はこちら)です。

 

当初の墓はこれよりずっと長良川寄りにあったそうですが、度重なる増水で流されこちら迄川から後退して建てられたとのことでした。

 

 

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2024年

12月

08日

ハローナビ静岡 カヤの木を過ぎて 朝比奈城

そろそろ2025年大河ドラマのNHKの案内本が出るようで史跡調査会の方がその日にちを問い合わせしたと。

毎度その手の書籍について購入したことはありませんでしたが、ざっと見て本堂に置くのもいいか・・・と。

これからまたその追随書籍が出てくるでしょうね。

 

ハローナビ静岡「田沼意次ゆかりの地 牧之原市まち歩き」にて相良のお寺たちが数件紹介されていました。良き作りになっていました。

 

昨日午前。

本堂お内陣のお勤めの際、毎冬足許で活躍しているホットカーペットの設置を怠ったことは大失態。

床板から直接外気の冷たさが足に伝わって冷えまくりました。

今シーズン遠州一番の冷えでしたが、足さえ冷やさなければ毎度の薄着法衣であっても何とかなりますからね。

参列者の皆さんはストーブ3台の周囲に固まっていますが私の寒さ対応はただそれのみですからまさに今回は無防備。

発声のみでの体温維持になりましたから心なしか疲労度はアップしました。

冬場の体温の低下は体に良くないことは分かっています。

分かっていながら「今日のところは まぁいいか」というのが命取りであることも承知しています。

以前から「寒い」を感じることが既にイケないのだ、といわれますがまさにそれは重大なポイントです。

特に重ねて言われているとおり、外気・脱衣所・湯船前・トイレの寒冷に曝された体の中、心臓・血管がどう悲鳴をあげているのか(ヒートショック)・・・わかっているつもりですが毎度「私は大丈夫」の錯覚。

いつかはきっと「The End」。

 

扨、昨日の続き朝比奈城。

お気軽山城へはあのカヤの木を見ながら進みます。

とてもわかりやすく整備された道を行けば本郭に到着。

途中振り返った図が③。

山頂から朝比奈川沿いの景色が目に入りますが、あの時は河原でバーベキュー?を楽しむ一団が。

 

 

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2024年

12月

07日

道の駅「玉露の里」から カヤの木 そして朝比奈城へ

しかしまた「スゲーなぁ」と見やってほくそ笑むその図こそテレビの週刊天気予報の☀マークの連続。

仕事も捗り、外遊びも楽しい晴れの日は嬉しさ満点の私で、申し分のないことですが、ここのところずっとそのマーク続きですからね。

信じられないくらいに天気安定して崩れません。おかげで当家の会館の建造が捗っているよう。

 

須々木の海岸端のダイコン畑ではスプリンクラーが稼働していました。

あれだけ広い畑の植物たちに水を施すこと、その管理に大変を思います。

 

私の管理するテラスの植物への水遣りだけでも相当面倒くさいものがありますからね。冬期は夏期に比してそれほど水を欲しがりませんが、うっかりしていれば枯らすことになります。

 

昨日午前は境内で思いつくままに動いていましたが久しぶりにお会いした須々木のご門徒さんと立ち話に。

それがご自宅とは別の土地の存在と処分について。

三カ所ほどあるとのことでしたが、1つは賃貸として一定の家賃収入はあるものの他所は処分したくても買い手がない現状を。

息子さんは「タダであっても引き取ってもらいたい」と言うそうですがそれを聞くと「涙が出てしまう」と仰っていました。

亡き夫と借金して土地を購入、死に物狂いで働いてこつこつ返済した挙句、今はそれが資産価値ゼロ・・・むしろそれが子供たちにとってマイナス資産となっているなんて・・・「理に合わない、イヤな時代になってしまった・・・」。

特に宅地の固定資産税が辛いとのこと。

 

私は「どちらでも同じですよ・・・この辺りは・・・」と慰めにならない言葉でお茶を濁しましたが・・・それはそれは「負動産」の存在、ヤル気というものが失せましょう。

人がいないのでそれが動かない・・・理由はそれ・・・だけではないのでしょうが。

 

扨、昨日の続き。

総善寺とは丘を隔ててスグの道の駅「玉露の里」(場所はこちら)。

丘というか山というかその高い場所が朝比奈城址となるわけですが、そちらに登るとすれば車の駐車はその道の駅一本の選択になります。

カヤの木がある萬年寺の境内を通過してのハイキングコース。

尚私のその木のイメージは古刹寺院の畏敬。

二またに別れて屹立しています。

山城の範疇ではありますが、いたってお気軽お散歩コースです。

 

 

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2024年

12月

06日

藤枝岡部町殿 総善寺 朝比奈氏墓域

風は冷たし。しかし全体的にはまだまだ暖かい冬なのでしょうね。まぁ週末以降平年並みの寒さが来るようですが。

 

一昨日の続き、喚鐘をブラさげる三脚の仕上げに取り掛かりました。

子供さん用としてのお遊びの提供、後ろ指を指されるとすれば「仏具→遊具」とのご指摘でしょうが、まぁそれは意見としてお聞きしましょう・・・

 

それよりも子供がそれを叩いて合掌・・・などの際、三脚がブチ壊れて喚鐘が落下するかも・・・の方が余程厳しいことになりかねません。

喚鐘といえど足の上に落とすなど落下すればタダでは済みませんから。よって念には念を入れて足の補強。

三脚も思わぬ力が足にかかって閉じる方向に動けば三脚ごと転倒するかも知れません。

それなら3本を足元で閉じないよう固定するか。

 

喚鐘の高さを下げるとなればその吊るす道具が思案のしどころ。

先般、故障軽トラを牽引した際、断裂した牽引ロープの端材を使用してチャレンジしましたが、エンドの輪をもやいで作り喚鐘に結んだもののそれがイマイチ不安材料。

まともなチェーンとフックを仕入れようか・・・これも課題です。

事故があったらすべてが台無しですからね。

散々時間をかけて作った三脚。

果たしてそれで良かったのか・・・今一度ベストを模索します。

 

扨、本日も藤枝市博物館拝観の流れ。

昨日に続いて古い画像を引っ張り出してきました。

昨日の最後の画像に総善寺の案内板が見えましたが、そちらが朝比奈氏の菩提寺になります(場所はこちら)。

 

 

 

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2024年

12月

05日

藤枝岡部の地名「殿(Tono)」 朝比奈川とその支流

昨日も好天。多少の風はありましたが。

外で大工仕事色々。

昼前後はトレーナーを脱いで半袖になったほど。

さすがにその恰好で外を歩けば「奥の墓道」氏に「100人に一人」とか「1000人に~」と笑いながら阿呆呼ばわりされます。

 

それは境内限定の姿でしたが、私は特に多方面「変わり者」、いやそれ以上「バカ」呼ばわりされたとしても何らの不快感を得ません。

諸先輩方々にご指導を受けたとしても気にすることなどまずありません。

自分自身「それこそ」と考えていることなどの場合、良きことと思えば耳を傾けて修正すべきところは改め、それ以外は一旦は念頭に入れるもののただ「流し去る」それだけですね。

それは人生行脚の得策。

 

要は「無碍の一道」であり「人それぞれ自由に生きて良い」という生き方にのっとっていればこそ。

別の言い方をすればいつもの「勝手にしやがれ」の開き直り。

どうでもイイのです。他者の目など・・・

 

その大工仕事とは・・・大晦日の午前10時から撞く「除夕鐘」に今年から登場させる「喚鐘撞き」用の三脚の製作でした。

小さい子や鐘楼に上がれない方のために喚鐘を棚店近くに設置して鐘撞きの代わりにそれを叩いてもらおうというもの。

 

鐘楼に上がった子であってもこの喚鐘を叩くなどの機会はそうありませんから楽しんでいただけると踏んでいます。

喚鐘も何回叩かれたかカウントしていこうとも思量。

周辺の皆様、今年も境内が喧しくてスミマセン。

 

扨、一昨日の藤枝市博物館の企画展。

朝比奈氏に関する掲示板に「殿は」とか「殿の」という字面を見て、コレは知らない方は「何のこっちゃ~」と思われる方がいらっしゃるかも・・・などと思いました。

 

「知らない方」などいうと失礼な言い回しですが、先日境内作業中にフラッと立ち寄った・・・という感じの方が本堂前に。

一応、私からすれば「見かけぬ方」になりますので声かけご挨拶はこちらから。

すると「この旗があるが①、この寺がどう田沼意次と関係があるの?」なる質問をされました。

大工さんがあっちこっちでトントンやっていますので、私にもその流れ、この職人に聞いてみよう・・・といった感じ。

 

私は「え~と 田沼意次が松平定信や一橋治済の暗躍によって・・・」などと話し出すと、イラついた如く「だから!!どう関係があるんだ」と私の話を切ってきました。

要は後者2名に関してご存じなかったのでしょう。

自信知らなかったことを「職人」にペラペラしゃべられたという思いで腹が立ったのかも。

私もそれならと「壊された相良城の材で建てられました」というと「田沼意次と相良城とどう関係が・・・」。

 

こういったお客さんも来られるのだろう・・・とプリントの1枚を作る必要があると思い知った次第。

「ハイこれ 見てね~」で終わりますからね。

 

ということでこの「殿」とは字名のこと。地名です。

藤枝市岡部町殿。勿論、読みは「との」。

各所旧跡放浪をしていればその字名を見かけることはありますね。「根古屋」ほどではありませんが。

 

藤枝でも長閑な場所でこの辺りでは秋のコスモスがウリの場所です(殿橋②場所はこちら)。

 

画像は10年前2014年のGWに「奥の墓道」氏と訪れた際のもの。

今は大分変ってしまっているのかも。

以来縁遠い場所でしたがそろそろフラっと立ち寄るのもいいかも。

 

 

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2024年

12月

04日

藤枝から岸和田に行っちゃった阿弥陀さん 岡部町史

一昨日につづき気持ちいい好天、そしてより一層に温暖な日でした。

当地は風の有無によって冬の体感は雲泥の差、ここのところその風はなく、いたってすごしやすし。

こういった冬であるならばまったく嬉しい限りなのですがそううまいことははいきませんよねぇ・・・(期待しています)。

 

奥方が10時の茶菓を大工さんに出してから二人で藤枝市郷土博物館へ向かいました。

今週いっぱいで終了する企画展の拝観です。

駐車場にご門徒の布施氏の車両が停車しているのをお見受けしましたので、思い切りその車の縦列に駐車しましたが館内でご夫婦を見つけることはできませんでした。

きっと好天に誘われて蓮華寺池公園の散策とシャレこんでいたのかと。

 

館内は大雑把に岡部コーナーと朝比奈コーナーに分かれていました。

系図やら古文書やら各城郭のジオラマやら、見どころは豊富で解説文と多々ある解読文つきの古文書の展示は感服させられました。

展示物のうち博物館所有のものも数多くあり、さすが戦国期の有名どころを輩出した地ということもありますが、博物館とその諸学芸員の気の遠くなるような仕事量の多さと成果を感じ取れました。

 

こちらの企画展には幾度か足を運んでいる我らですが、難点としては「図録」の作成と頒布がナイということでしょうか。

毎度こういった場所に入る際は「これ以上図録を買うな」と奥方から釘を刺されますが私は「安心して・・・ココには無いから・・・」。

しかし私の如く物事の忘れっぽさ恥じ入るばかりの者としては展示物を拝見しても頭の中に記憶として残らないという不都合があります。

ストロボの影響を嫌うのでしょうが「カメラ禁」のマークがあります。写メくらいはいいのかとは思いましたが平日にもかかわらず多くの拝観者がいらっしゃる中、それをやったとしたら何より奥方に摘まみ出されてしまいます。

 

若い女性が解説版をメモしていましたが私にはとてもではありませんが、それを成す根性はありません。

だいたいあれだけの細かい字面を読んでいくのも厳しい。

やはり齢はとりたくない。

 

私が一番に印象に残った展示物といえば岡部氏の万福寺廃寺の阿弥陀如来。

天台宗から時宗に改宗した寺ですが例の廃仏毀釈の時代を通して荒廃し、この本尊だった阿弥陀如来は焼津の海蔵寺に移されてしまい、挙句大正期に岡部氏の子孫の手によって岸和田へと。

現状岸和田市教育委員会の所蔵品だそう。

 

岡部氏の出自はやはり南遠の横地・勝間田と同様藤原南家といい崇敬した宗旨は時宗(本尊阿弥陀如来)と合点がいくところですが、岡部氏子孫だからといってやすやすと寺から仏像を持ち出し、より思い入れがあったのでしょうが「岸和田へ」というのは腑に落ちませんね。

まぁ岸和田岡部八代目が田沼相良城の破却頭となって大いに働いたことへの反感もありますが。

 

解説文によれば仏像には傷みが露れ修繕の手を余儀なくされているそうですが、全三回の修繕があったことが確認されているとのこと。また当初は坐像ではなく立像だった可能性があると。

その阿弥陀さんは上記企画展リンク先ブログのポスターに大きくありました。

立像をわざわざ胴体をぶった切って坐像にするその意図とは・・・これも腑に落ちません。

 

静岡の秋野氏も私が帰路についたあたりに入館していたとのこと。こういった温暖な日には博物館参りはベストです。

私は午後からの都合がありましたので相良へ早々に戻りましたが秋野氏は焼津の博物館の企画展に寄ってからそちらまで来られたとのこと。パワー健在です。

 

画像最後の2つは「岡部町史」✖2。

立派な書籍を受付で頂戴しました。

 

帰り際、「外の陽光の下がイイ」と早めに出た奥方でしたが、その二冊を抱えて出てきた私に「また買ったのか、もう本はイラないと言っただろ・・・」のあきれ顔。

「受付で貰った」と主張するもまったく信じてもらえませんでした。

「お前が死んだら廃品回収だ」としかめっ面。

そんなものを「ハイど~ぞ という具合にくれることなどあり得ないだろ・・・それも博物館で」と。

貴方もどうぞ・・・と返すも「そんなもの・・・」と絶句していました。

 

このまさに博物館・図書館に似合う書籍2冊セットは限定ながら在庫分を配布していたよう。

秋野氏もその配布者リストに署名する際に私と大澤寺の名が目に入ったとのことで連絡して来られたのでした。

奇遇なことに奇遇が重なりました。

 

ゆっくりのんびり書籍を紐解いていこうかと。

しかし読むべき書物が溜まりすぎて・・・

 

①は蓮華寺池。⑤~⑧も同博物館脇。

 

 

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2024年

12月

03日

天保時代の拙寺10代祐賢の墓場放浪記

天候に恵まれ一日中外仕事。

当分の間は晴れが続くようです。

「温暖」こそ我らが住まう南遠の語。有難し。

 

画像は叔父から送付されてきた文書。

ブログ既出かとは思いますが叔父がこのほどこちらの文書も吉祥寺の古文書研究会の学習史料にするために改めてみたとのこと。

拙寺10代目祐賢~私の祖父から見た曽祖父ということでそれほど遠いを感じません・・・~と成瀬藤蔵(成瀬家代々の名のり)の天保時代の「墓場放浪記」でしょうね。

特に祐賢は歩く歩く。

またそれは寺をそれだけ開けていたということですからね。

 

まぁこちらでも日坂法讃寺本堂前に建つ成瀬暁心碑の記述同様で犬山成瀬の祖は藤蔵正義の長男の如くの記述。

登場人物数多でかつ判らない点、意味不明がたくさん。

尚、本日は①②そして③④とも右から左にお読みください。

それにしても気軽に色々な場所に行っていますが、「その時代に」ですからね。

私どもの如く「郵便局に車で」とズブズブにそれに頼って足を使わない生活している身からすれば・・・一体・・・

初代今井権七らが大坂本願寺に行ったり来たりしたというのも今の私の考えているところよりも相当お気軽だったのかも。

まったく大坂へ徒歩で、それも幾度も・・・など行く気が知れません。

甘っちょろい時代に生かしていただいていることに感謝します。

 

 

一私先祖妙意禅尼ハ成瀬藤蔵正義之妻也

三州より慕ひ参元亀三年(1572年)三方原御陣之後

一子を抱へ落来て当国城東郡西方村ニ住居

兄之子壱人和こ君様御育遊し被下候而廿年之間

成瀬之家先(跡)有之候処廿年後公儀ゟ御取立ニ相成申候

其後度々御呼出しも有之候へ共百姓へ落て機楽成るゆへか

出不申候尤武術ハ心掛居り申候

時四十余年以前隼人正様日坂之宿御泊りの節鳥居権右衛門と

申者へ此宿之在ニ此方之同姓を名乗り候者かあると御尋有之候事あり

当時之藤蔵母より幼年之時より御由緒之義委しく申伝へ夫ゆへ時々浜松宗源院(成瀬藤蔵正義墓所)へ御廟参いたし申候

于時文政十三(1830年)庚寅十二月上方へ登り候時白須賀駅ゟ

壱人同伴いたし路中色々咄し申候所其人被申候にハ     貴所様之御帳面ニ成瀬と御座候ハ如何成訳ニ有之やと尋申候

藤蔵申には隼人正殿と同姓御先祖は兄弟なりと申せハ

誠ニ奇成事私は隼人正様之御用達ニ御座候 何分私し御上様ヘ右之御由緒之義可申上候間必御立寄被成候と申

右藤蔵ハ三州地用事有之候而吉田宿にて別レ依之帰りの節宮(熱田神宮)のなや(宮宿の問屋)へ参り候ヘハ 其なや之御人参り居申候間直様巾下江川丁九尺町織屋大吉殿へ参大吉殿案内にて

柳原成瀬様之御用人中村惣左衛門殿へ参り委しく御由緒之義申上候へハ 系図由緒書指上可申様御咄し御座候て先帰り申候

其翌年右系図書認メて納メニ参リ申候其節姓をかへ候得ハ  直様当屋敷へ勤メ候様ニ成り可申と御咄し御座候へ共 私し仲々姓を改メ候事ハ決して出来不申と申て帰り申候     其後又一度参り其次天保十一子(1840年)十月廿六日相良出立ニて出かけ申候右之御用達之織屋大吉殿ゟ御上之御沙汰御座候て参り申候処三州足助ヘ内御用被仰付候而足助香積寺(成瀬氏先祖開基)へ参り住持ニ逢内御用相勤メて帰り候

又天保十二(1841年)之冬参り一札指上可申候様被仰付天保十三(1842年)寅正月一札飛脚便ニ指上申候又五月八日当寺院主成瀬藤蔵両人にて柳原中村惣左衛門殿飯田久左衛門殿両家へ参り候処久左衛門殿出府之御留主ゆへ帰国之うへ御道明口成り 

尤久左衛門殿帰府ニ相成候へは宮宿之問屋へ御状御指出し有之候様ニ京町川村屋安兵衛之宅にて中村惣左衛門殿御出有之候て篤と御談し申置候而勢州志知村蓮敬寺(10代目祐賢出身)へ参り候 六月十九日迄滞留いたし廿日ニ宮宿へ参り問屋へ尋候処御状未タ御指出しなし夫ゟ三州熊村安養寺(9代目祐厳出身)へ参り六月廿二日丈山出火有之候七月朔日ニ中村飯田之御両家へ御見舞ニ罷出七月十四日立ニ而同十七日両人ともに帰国いたし申候

 

十月十六日八ツ時頃ニ金谷宿之黒田次兵衛ゟ御切紙入之御状当山ヘ向ケ参り申候拝見仕候ヘハ 右藤蔵殿ヘ切紙御状御達し被下候と御座候早速藤蔵殿ヘ御渡し申候藤蔵殿已後ハ東海道御通行之節御機嫌伺可致と被仰付候依之霜月罷上リ御礼申上候かへり申候夫ゟ年頭寒暑ニ書状を以御伺申上候当年又奇成事ハ当新町平五郎宿ヘ江戸ゟ村山民部殿と申御人被為宿二條御殿之御役人夫ゟ足助御内願一條承余り奇成事ゆへ三日ニ寒中御見舞之書状し籠て中村様へ申上候右御道明之次第記し置候御先祖様御系図之義足助御内願之義ハ別書いたし年頭寒暑之例文も別紙いたし置申候只今迄之処如此ニ御座候天保十四(1843年)癸卯改之

 

大澤寺(10代目祐賢)印

成瀬藤蔵 印

 

枠外

霜月朔日ニ大吉殿案内ニ而飯田久左衛門参り当院ニ而委細之御噺し御座候而内御用勤て夫ゟ直ニ三州足助香積寺へ参り申候

 

 

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2024年

12月

02日

板根のある大木がある森 善永寺文殊山墓域

あっという間に師走。

毎度「1年が過ぎるのが早い」と感じていたものの、この1年は特にその「俊足さ」を感じました。

この勢いはきっと石ころが下り坂を転げ落ちるが如くに加速が増しているような。

転石苔・・・と、イイ方向に転がればいいのですが齢をかさねて落ちて転がるのは痛みと不自由が付属しますからね。

 

今特にその不自由を感じるのは車の運転。

一昨日の晩は通夜の帰り途、久しぶりに帰宅ラッシュ時間の混雑時間帯にハンドルを握りました。

高速道路の走行には支障がありませんが、一般道での走行に「ヤバい」を感じることしばしば。

視覚の劣化とは思いたくないのですが、対向車のライトが尋常でなく眩しく感じるようになりました。

一般道の場合は特に歩行者や側道からの飛び出しがありますのでその確認が遅れがちになります。危うく左折の際左側の人の存在が消え、衝突寸前も。

 

以前の感覚で言えば「対向車の野郎、ライトアップ(上向き)していやがる!!」といったところなのですが・・・

私が思うに今の車はやたらとヘッドライトが明るく進化しているような・・・やはり通過する車の連続、車のライトが眩しすぎるよう感じるのは私の目のせいなのか?

もし、全体的に今の車両の光量がアップ気味になっているとしたら・・・「危なくてしょうがない」。何とかしろと言いたい。

天気のいい夕刻の西向き走行もそうですが夕刻~往来混雑のある一般道の運転・・・

怖い。

それを息子にボヤいたりすれば「免許証返納」を囁かれます。

 

ところで昨日のテレビ小僧はNHK「追跡`PFAS汚染`」を視聴。

最近やたらと騒がれ始めたPFAS。

温暖化によってエアコン販売フル回転で大儲けした企業がその名称をあげられて「犯人」として挙げられていましたが、「下請けがやった」「知らなかった」「規制がない」だとかのお惚けの躰。 

これからどうやって自身(会社経営)を守っていこうか・・・あの手この手でしょうね。

政治屋さんにもカネが渡っていることでしょう

日本だけその人体への影響、疫学調査に消極的といいます。

人の命より金儲け・・・そうあれば「嫌な国 ニッポン」なのかも。

これからが見ものですね。

やっちまったからには原状回復・・・それが企業責任、社会的使命です。

その会社のエアコンを買うからワルいのか。

 

その会社の工場が近くに無くて良かった・・・取りあえず自分の事から。

 

扨、顕如さんにもらった麒麟鐘のある善永寺。

その裏山は文殊山でエリアには城郭が点在しているといいますが、そちらの墓域を散策。

なるほど、段丘式に平坦な場所を作り、その段々を切岸の如くイメージすれば山城の如し。

 

門前を境内に入らずそのまま山を登っていけばこの景色に行き当たります。

この時は新緑の候で木々は旺盛、板根のある直立の木に会いました。

こういう空間に身を投じて安らぎを感じるという方は多いでしょうね。

 

 

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2024年

12月

01日

山科本願寺南殿南の土塁 野村本願寺 野村姓の由来 

通夜法縁のため日中は外仕事行わずにただ自坊待機。

本堂でのこの土日の法要はありませんでした。

105歳、故人のご主人は先々代(13代釋祐匡)の時の総代をつとめた人。

故人は音楽教師で吉祥寺の叔父が小4~5の際に教わったとのことで拙寺・当家とも縁の深い方です。

その方(元総代)が記した書面がありましたので目を通しました。

そちらの文末には大澤寺門徒の「野村姓」について「山科本願寺」 (こちら)からという説が。

 

大坂本願寺に顕如さんの号令(檄)に応じて籠り、顕如さんの大坂退去後も付き従った当家開祖ほか五家の祖たち。

信長が死したことで開放に至り、こぞって遠江相良に定住したわけですがそのうちの一家の「野村」を指しています。

 

大坂本願寺には蓮如さんが入りますがそれ以前はいわゆる山科本願寺に。

実はその「山科本願寺」の名称として「野村本願寺」なる語もありました。ちなみにその寺地は、かの「白骨の御文」で蓮如さんが「無常」を伝えたといわれる人物「海老名五郎左衛門」が蓮如さんに寄進した地ですね。

そして、その寺地の地名が「野村」だったということです。

現在は「東野」「西野」なる名称があって「野村」の所縁を感じるところ。

 

こちらに参考までに山科本願寺に関しての2022年に記された論文「戦国期山科本願寺寺内町と在地寺院との関係について」をリンクさせていただきました。

 

画像は以前ブログにアップしている山科本願寺南殿付近①②③と、幼稚園の裏側の敷地。

土塁がハッキリと残存していることがわかります。

幼稚園敷地も入場できませんが、さらに南側のこちらも私有地につき一般の方は入れませんので念のため。

 

 

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2024年

11月

30日

平賀源内相良生存説と例の壺

引き続き「遠州の空っ風」吹きまくり。

昨日ののぼり旗に重石として水を注入して門前にセッティングしましたが、あっというまにぶっ飛ばされていました。 

また本堂脇に置いていた提灯のスタンドも倒れてドアを塞ぎ庫裏からの出入りが一時的に不能に。

 

そしてどなたかのお参りの際に本堂に侵入し閉じ込められたいつもの野良猫が脱出を試みて5か所ほど障子を破きましたのでその修繕作業となりましたがその仕事は風の嫌がらせで右往左往させられました。

境内作業に強風は心底イラつかされます。

何より寒風は冷たくて「ヤル気」というものを削ぎますからね。

 

こう強風が吹きまくるとやはり火災の恐怖がありますね。

数日前から各地での火災の報がテレビ画面に飛び込んできましたが、あの火炎に覆われている家屋の図はこのうえなくイヤなもの。この強風下、一旦火が付けば「あっという間」です。

何しろ火の元にケアし続けることが肝心ですね。

電気器具の老朽化などでの出火もありえますが、まず殆どの火災は失火。

最近は火の取り扱いについての私の「失念の傾向」はだいたい掴めていますが問題はご門徒さんの燈明着火と焼香について。

そればかりは信じる他はありませんが「なんでこんな場所に」と目を疑うような場所に焦げがあったりと愕然とさせられます。

消防署のお達しによりマッチは撤去していますがマッチ持参でお参りに来られる年配者がいらして、それがまたよりによって残り火のあるマッチの芯を畳の上に落としてしまう。

恐ろしい・・・

 

話変わって先日あった店舗内の火災。

怨恨が重なった自暴自棄による男の放火だったといいますが、当初スタッフの女性と「30代40代50代の男性」の4名がヤケドで搬送されたとのこと。

お店の形態は「ガールズバー」なる接客業ということですが、男性客と思しき3名のうちその「40代」の人がガソリン持参で火をかけたといいます。

単純に気の毒に思ったのは残る30代と50代のお客。とんだとばっちり。

ヤケドによって入院ということになるわけですが、家庭でも会社でも「その時間 何やってたんだ」となることは必至。

 

数年前にも真昼間にパチンコ屋の駐車場が焼けて多くの車両が焼失していましたが営業車らしき車と客も多く「こりゃ始末書モノだ」と思ったものです。

タイミングの悪さとは一言にいいますが、あまりにもついてないこと。

 

ついでにバカバカしい私どもの話を一つ。

その「ガールズバー」事件のあった翌日に私の名で「領収書在中」とある封書が届きました。

あの今世を騒がす兵庫のキラキラ社長ならぬキラキラな花をあしらったデザインのある高貴漂う封筒と見知らぬ英文字の送り名でした。

それは既に当方奥方が既に開封していました。

 

カードの如く立派な領収書と礼状が入っていましたがそれが息子の世話になっている某所の依頼、「おつきあい」で注文したおせち料理の礼状でした。

何ら私が咎められる理由はありませんでしたが奥方は「あ奴め・・・と」言いながらその封を開けたといいます。

「忙しいを装ってどこの店に・・・」あるいは「何を買ったのだ」だったそう。

そもそもそのおせちの代金は奥方が先方に振り込んでいましたが、依頼された会社と振込先の名称、発送元が違っていたことにより混乱したとのこと。

まず、私宛に到着した封書など開封したことが無かった人ですから、その一瞬の疑念のほどが分かります。

 

扨、大河ドラマのご当地宣伝が解禁されましたが、そもそも本編の放映は2025年1月5日ですからあと1カ月と少し。

地元の盛り上がりという点では「今イチ」の感はあいかわらずですが、まぁ少しずつ盛り上がっていただければそれでOK。

 

画像は嘘か本当か、ご当地の平賀源内の墓と伝わる墓石下から出たと云われる当初「源内焼き」と云われた壷。

相良史跡調査会の方から画像が届きました。

「伝わるとか云われる」の連続、推測の風を逃れられないのはコレといった確証がナイからです。

要は全て「伝」付きなのでした。

真実は闇の中。

 

榛原高校の教師時代に故中村先生(前史跡研究会会長)が歴史研究部の生徒たちと「相良と源内」について盛り上げていましたが、結末としてこの壺を東京12チャンネルのあの番組に持ち込んで鑑定依頼したとのこと。

そこで例の鑑定士から味噌クソの偽物断定をされたという代物ですね。

爾来先生は源内(こちら こちらも)のいろいろから手を引いたと聞いています。

 

どういう状況であの壺が出てきたのか、実際を目にしていませんのでわかりませんが、あの手のものが遺骨と一所にあることなどあまり見かけることはありません。

少々盛りすぎたのかも・・・

 

 

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2024年

11月

29日

大河ドラマPR解禁 今年も大晦日除夕鐘 メディは中止

今シーズン初か、「遠州の空っ風」吹きまくりの一日。

一昨日の温暖一転ただただ寒し。

当地は風さえ吹かなければベストな地なのですが・・・

晴れていますので外仕事には良かったかも知れません。

 

昨日は東京の調布からのお参りの御門徒さんがお二人。

朝5時起きだったそう。

新宿に一旦出てから新幹線で静岡へ。あの強烈な混雑が思い起こされますがその殺人的ラッシュアワーを裂けるために早朝の出立となることはいつものことのよう。

「東京より寒い~」が第一声でしたが、その「風さえ無ければ」と言い訳してしまいました。

 

その方たちは元は浅草にいらっしゃいました。10年ほど前に営業されていたお店に私ども家族でふらっと立ち寄ったことがありましたが現在の息子の状況を話すと「あっという間に・・・」と驚いていました。

調布も浅草も「どんどん変わっている・・・」とのことで浅草では老舗の店が廃業に追われる傾向であると。

外国人観光客ウケする店が増えるあまり古い形態の商店は追いやられるという図ですね。

 

私は先般浅草寺周辺をブラついた際に雷門前の「亀十」に行ってその行列に驚いた旨話すと地元の人はそこのどら焼きより「『うさぎや』のそれを選ぶよ」との御指南。

田舎者がSNSにのせられて行列を構成するようですね。

 

 

口コミとやらも半分以上疑ってかからなくなっているようですね。世の中の情報はまず「インチキ」「騙し」を疑うこと肝要。特に私はノウハウもの以外のユーチューブは見ないことにしています。

このほどオーストラリアではSNSの16歳以下の使用の禁止法案が可決されたよう。 日本もそれにならったら如何? 

業界の猛烈な反発がありそうですが。

 

まぁ信じるは阿弥陀の物語以外の世界はナイというのが私どものスタンスです。

うそばっかりの社会、嫌だねぇ~

 

 

扨、昨日夕刻に史料館長谷川氏たちが持参くださったのが①の幟旗セット×2本。

「いよいよ大河ドラマの地元PRが解禁」と。

門前と本堂前にセットすることにします。

 

②は毎年恒例大晦日の「除夕鐘」のポスター。

拙寺ではこの手のポスター制作費いろいろに料金はかかっていません。

ご門徒さんのボランティアです。

また、11月30日のメディテーションの中止のお知らせ。

毎度19時からですが、通夜の出仕が入ったとしてもこれまでは何とかなっていました。

その日は静岡市内での法縁になりますので帰寺は不可能です。

 

ちなみに祖父の代の総代さんの奥さんの逝去でしたが何と105歳。大正でも一桁生まれの方ですがおそらくこれが「大正」にお目にかかれる最後かもしれません。

やはりその方が89歳の時にご自宅のお内仏にご挨拶させていただいたことがありますが、シャキッと凛々しいお姿が印象的でした。

 

③は昨日届いた手帳持参で「焼き芋」「甘酒」の露店申請と掲示プレートの購入に午後静波まで走りました。コレをブラさげます。

④はご門徒さんに頂いた藤枝市郷土博物館のチケット

晴れが続く予報、蓮華寺池の散策も悪くないですね。

⑤は再び「奥の墓道」氏からの画像。一夜経って色づきも濃くなっています。

拙寺境内は寒くなったといえどもまだまだの感。

 

 

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2024年

11月

28日

再交付の手帳届く 遠州は温暖 横浜との差

温かい一日でした。有難し。

本堂の階段こわい・・・ご門徒さんの参拝の際には「気を付けて」の声掛けをするのが常ですがやはり危ないのは私のこと。

これまで階段と言えば駆け上がり、走り下りるというのが当たり前でしたが、最近は本堂の階段でフラっと・・・よくあります。

特に調子にのって降りる際の最後の一段。

最大の理由は履いているサンダルの強い弾力性と踵部分が少々高いということもあるのでしょう、脱着の際にトラブルを起こします。時に捻挫し、転倒しかねない状態にも。

父もその手の履物で転んでいましたから、そのグッズはヤメた方がいいのかも。

何よりも拙寺玄関にあるそれを履けばいいのに・・・と思うのが法務用の草履。

ケチらずにそれを普段履きにすればいいのに。

 

階段の事故といえば昨年の厳冬期に独り暮らしのご門徒さんが自宅の階段から滑り落ちて数日間発見されず、発見時は息があったものの結局亡くなってしまったことがありました。

新聞配達の方が不審に思って通報してくれたのですが、冬場の極寒期に数日間痛みと寒さに耐えて救けを待っていたこと、まさに想像を絶します。

日頃何の気なしに使用している階段、「もしも」の時は致命的となること常に頭に入れておかなくては。

何も下り階段だけではありません。

先日聞いたある方の件、飲酒後に階段を昇っている際にポケットの携帯電話の呼び出し音。

それを取りだそうとポケットを探った際にバランスを崩して後方に転倒し、イヤというほど背中を打ち付けたという人の話を聞きました。

 

冬場はどちらも注意は必要ですが特に自宅こそが怖い。

風呂・トイレ・階段・玄関・・・玄関に降りる際に頭を強打して亡くなった方もいらっしゃいました・・・ポケットに手を突っ込んだままの歩行も特に・・・寒さで体が委縮しているところに瞬時に体が動かないこともあるのでしょうね。

 

扨、画像①は昨日横浜の「奥の墓道」氏が近所の公園散策中と送ってきたもの。

「色がついてきたぞ~」との報。

②は「こっちはまだだよ~」と私の返信図。

右端メタセコイアは茶色に変わっていますが(針葉樹なのに落葉する)イチョウはまだ緑色。

ケヤキは葉を落として枝だけですが。

「南遠は温暖だ~」を納得しておしまい。

 

③~は昨日届いた東京都食品衛生責任者手帳。

再交付申請していましたが、あっという間に届きました。

先週、静波の保健所にフラッと立ち寄って拙寺境内での食品販売いろいろについて尋ねました。

食品衛生責任者の証が不可欠であることは承知していましたが私の所持していたそれは約40年前に東京都が発行した物(紛失)で静岡ではまったくのお門違いであるとずっと信じ切っていました。

すると窓口で「それでOK」と言われて「それでは」と再発行手配を進めてトントン拍子の具合でそれが届いたというわけです。

 

さぁ次は名札(プレート)を保健所で仕入れることにしましょう。以前は無かったHACCP(ハサップ)なる食品安全の考え方も修得していかなくては・・・

 

また各イベントに露店を出しているというご門徒さんがいましたので年末のイベント(除夕鐘)などでの出店を依頼しました。勿論食品です。

聞けば食品衛生責任者の講習を受け、露天商の許可を得ているとのこと。

あまりにも近いところに頼もしい人を見つけることができました。

今年の報恩講でおしまいとなったお惣菜に関しては奥方に任せることにしましょう。

 

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2024年

11月

27日

叔母の病状判明 くたくたの一日 手術なしで

前線の通過に伴う荒天は夕刻からでした。

朝から榛原病院の内科の待合室へ。

先般の叔母の緊急事態に始まったドタバタの取りあえずの締め、医師からの病因判定の日でした。

ちなみに以降叔母の施設での生活は「至極元気で以前と変わりない」とのことでした。

 

内科医の判定は「総胆管結石」とのことで胆嚢そのものにも数個の結石があるとのこと。「詰まっているから痛い」と。

先日の胃の内視鏡検査で異変が認められなかったことから原発箇所はもっと深いということで合点していましたが、気持ちとしてはスグに判明して良かった・・・と一応の安堵。

「吐血した」と皆さんも私も思い込んでいたのはおそらく胆汁だったのかも知れませんね。

 

問題は「90歳 さぁどうする?」ということになりました。

施術としては胃から十二指腸に内視鏡を入れ十二指腸に飛び出している総胆管の主乳頭を切開してバスケット状のものを挿入して結石を引き出すというものですが、切れば細菌感染その他様々なリスクは「あるにはある」とのこと。腸から近いという指摘もありました。

私はそれでも「やりたい」と言ったため外科に転送されることになり今度は内科→外科の待合へ。

 

外科の医師も同様の意見で「若ければヤルが」と前置きして、一応内視鏡施術の先生の意見を聞くということで、さらにそちらで待つことに。

結論はやはり年齢的な理由で「手術をせずに経過観察」ということになりました。

胆嚢に「現物」が数個存在していることから総胆管結石(2個)を排除したとしても「また降りてくるかも」ということを指摘していました。

 

選択肢としては①ストロー状のバイパスを通して結石を迂回、胆汁の停滞をなくすこと(主乳頭は切開しない)②前述の主乳頭を切開して内視鏡施術③開腹手術で結石とともに胆嚢そのものを切除・・・です。

①は数カ月おきに「ストロー」を交換しなければなりませんので論外ですが②か③の選択を念頭に次に症状が出たら(考える)・・・と様子見することになりました。

 

施設からは「症状が出たらまた連絡します」とはいいますが、連絡されたとしても結石ですから痛みのみ、鎮痛剤投与の対症療法しかありませんからね。

ただし高齢とはいえ「痛い」との主張は放置できません。

 

10時からのチェックインで終わったのが12時30分。

くたくたになりました。

驚いたのは内科の待合ブースに拙寺ご門徒さんが2名いらしたこと。

20数名の方々がそちらにいらしたわけですが、高確率の遭遇です。あちらの内科ではどなたかとよくお会いしますね。

あとから「どうしたの~」となってその説明をするのも面倒。

 

とにかくも病院の待合での時間はまったく、徒労と無意味を感じてしまいます。

いい加減カンベンして欲しいと思うところですが、そうしているうちに私自身のことで人を待たせることになる・・・

順繰りの責任とは言え、私の場合、多すぎのような。

 

①は内科医で戴いた解説図②会計時はロビーに人は居ず③会計は80円 内科医外科医内視鏡医の見解を聞いて・・・長生きすれば国に面倒をかけさせることができる(当然の権利)・・・みなさんガッツリ長生きしてください。

帰宅後奥方はまだまだ奔走。ネコを一匹獣医のもとに。

よって夕食はレトルトカレー④。

 

 

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2024年

11月

26日

叔父の古文書会勉強会は石山退去録

 

好天に恵まれて朝から16時ころまで境内作業。

それほど気張って動いたという感覚はなくとも夕刻には「足腰にきている」感が発現しました。

運動不足の件、痛いほど気にかけてはいるもののこの段階で何かしようと僅かでも体を動かそうとすれば「ピシッ」という具合に反動があってとてもイヤな感じになります。

それらをのり越えて運動を習慣としていかなくてはならないのですが・・・こうやって怠けながら漫然とすごし「その時」が突然やってくるのでしょうね。

「その時」に意識があったとすればきっと後悔するのだと思います。・・・わかっていても動かない。何と情けないことか。

 

扨、このほど叔父の在籍する吉祥寺の古文書会の素材として「石山退去録」が決まったとのこと。

比較的安易な文書で古文書会の皆さんには物足りなさがあるとのことで、適宜大澤寺の古文書を登場させるそうです。

退去録は物語的要素の強いものですが歴史と文書を同時に学ぶことができるという企画ですね。

 

大澤寺縁起の石川県立歴史博物館所蔵の鎧具足の顕如上人の画像(1700年代製作)には顕如の檄文ほか人名と寺院名が記してありましたがそちらも参考として皆さんに紹介するよう。

 

ブログでは既に記していた檄文の書き下し文に加えて叔父が氏名と寺院名をこのほど活字化していました。

寺院の所在地は推測もありますが、まぁまちがいないところでしょう。

 

顕如檄文

「抑 此日城ハ小国タリトイへ共大乗相応ノ地ナルカ故ニ 阿弥陀妙教流通ノ為ニ来生シ給フ五濁悪事悪世界ノ中 決定シテ无上覚ヲ即得ヌ豈悦サランヤ 密ニ以(オモンミ)レハ此石山ハ往古ヨリ如何成約束有ケルニヤ 去ル明応第五ノ暦信証院殿建立以来今ニ於テ退転ナク繁昌セシムル条聖人ノ御本意ニ足ヌヘキ者カ爰ニ将軍当山ノ勝地ヲ所望ノ所ニ所存有之ニ因テ相 決シ難キ由申之セハ将軍甚タ𠹤ヲ成シ一戦ノ旨趣聞ユ爾レハ当山一大事也各々 今度懇志ヲ励ミ一筋ニ籠城タルヘク候者誠ニ有カタク頼母敷キ次第タルヘク候就中 珎シカラス候へ共法義談合候テ安心決定ノ上ニハ矗油断無之可候不信之面々者 片時モ蚤ク信ヲ得ラレ候者可難有候穴賢々々

惣坊主衆中 元亀元年七月廿七日  

釋顕如御判   惣門徒中」

 

御方武士

鈴木飛騨守

下間出羽守

本多土佐守

野島主水正

鈴木伊賀守

島田河内守

三林周防守

山田新助

鈴木孫市

鈴木豊若

島与四郎

佐々木将監

今井権七

荒井久蔵

野坂一学

下村右近

野里三右衛門

川島水之助

 

御方寺

興正寺御門跡

顕尊上人・・・・顕如次男

端之坊・・・・・・興正寺末寺頭 仏光寺派

東之坊・・・・・・興正寺末寺頭 長浜大通寺

上宮寺・・・・・・愛知県岡崎市上佐々木町

          佐々木御坊 三河一向一揆の中核寺院  阿弥陀寺・・・・興正寺末寺頭

勝願寺・・・・・・茨城県古河市

無量寿寺・・・・・・茨城県鉾田市

如来寺・・・・・・大阪府池田市

枕石寺・・・・・・茨城県常陸太田市

常弘寺・・・・・・茨城県常陸大宮市

法光寺・・・・・・京都市下京区 仏光寺派

妙安寺・・・・・・茨城県猿島郡境町一ノ谷

願専寺・・・・・・大阪府堺市

報恩寺・・・・・・福井県鯖江市

常称寺・・・・・・茨木市中総持寺町

光善寺・・・・・・大阪府枚方市

顕証寺・・・・・・大阪府八尾市 久宝寺御坊

毫称寺・・・・・・兵庫県宝塚市小浜 小浜御坊

本尊寺

西光寺・・・・・・大阪府堺市北区金田

正興寺

瑞泉寺・・・・・・富山県南砺市 井波御坊

          越中一向一揆の中心寺院

本宗寺・・・・・・愛知県岡崎市福岡町 呂御坊

          三河一向一揆の中心寺院

本能寺

専幸寺・・・・・・当寺開基は近江源氏とされ山科專之助と

         源光明なる両者の武家石山本願寺に帰依

光教寺・・・・・・一乗谷光教寺

真宗寺・・・・・・福井県鯖江市

光行寺・・・・・・広島県福山市

真徳寺・・・・・・京都市中京区西ノ京南円町

願徳寺・・・・・・大阪府門真市御堂町

超正寺・・・・・・兵庫県姫路市

 

 

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2024年

11月

25日

文殊山善永寺 麒麟鐘 以前の大河ドラマの名を彷彿

昨日は午前午後2回の法縁が。

来年の日曜日の午後といえば本堂は空けておくというのがその流れ。それは・・・

①そもそも体力的にダブルヘッダーはきつく感じるお年頃。

尚それは息子に「情けなや・・・」と溜息をつかれるところですね。彼はトリプルも平チャラでやっていたそうですから。

②そうなってもらわなくては困りますが2025.1.5より始まる大河ドラマがブレークして相良が人気化繫盛、そのおこぼれを頂戴するが如く、拙寺境内が賑やかになるやも知れない・・・

来訪の皆さんが大いに喜んでお帰りいただくためには、やはり私自身が気張って一番のウリの拙寺本堂と阿弥陀さんを紹介したいという願望があります。

 

先の事などどう転ぶかはわかりませんが、そんな機会は二度とないでしょうからね。

それを「千載一遇」と呼ぶのでしょう。

真宗では「盲亀浮木」・・・

 

扨、私が文殊山善永寺に「訪れるべし」と思ったのは大桑城近く斧田公民館前の正年神社の碑文の文言を見てのこと。

そちらの表題でも記した通り「他人とは思えぬ親しみ」を感じたわけです。

そちらのブログでは本願寺顕如と土岐氏の繋がり「明智光秀本能寺」の私の独断を少しづつでも説得力を固めるべく首を突っ込んでいくという意図があったわけで・・・

 

何しろ善永寺境内を散策して驚かされたのはそちらの鐘楼の鐘の名称が「麒麟鐘」だということ。

それには2020年に放映された大河ドラマ「麒麟がくる」を思い起こさないワケがありません。

まさかその原作者がこちらのそれを見て「パクった?」などとも考えてしまいました。

しかし顕如さんに貰った鐘とは・・・

悪法の金属回収令はうまいこと免れることができたということでしょうね。

 

平和な国にやってくるという麒麟。

信長を滅亡に追いやったこと、結果的にその平和な時代が到来したということは事実です。

幾度も記しますがあの勝った負けたの乱世の時代を乗り越え生き残ったのは本願寺の流れのみであり、その宗旨を伝える血脈もしかりですからね。

 

感動的だったのは真宗寺院としては当然ですがお寺の開基と現在まで数百年の間の名のり(苗字)が変わっていないということ。

本山門主がずっと「大谷」を名のるのと同様ですね。

最後の画像は善永寺庫裏の玄関表札の図(失礼!!)

是非にいろいろお話を聞きたいと思い呼び鈴を押しましたがあの際はあいにく住職はご不在だった様。

またあらためて文殊山の散策を兼ねて伺う予定です。

 

 

 

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2024年

11月

24日

文殊山善永寺 本堂と法寶蔵 

昨日朝の気温は17℃。

本堂内はもう少し暖かく感じました。

寒冷地の方々から言わせればお笑い種でしょうが、数日前まで23℃などの暖気を満喫していた我ら遠州人にとってイキナリその差を味わうのは余りにも過酷です。

午前の法要用に奥方が大型の石油ストーブを引っ張り出し、ありったけの灯油を注入してスタンバイしていると、法要に参集された方が早速に点火、みなさんそのストーブを取り囲んでいる図がありました。

前夜から強風に見舞われた当地でしたが朝になるとうまいことその風がやんでいたことはラッキーでした。

 

扨、昨日は相良史跡調査会のミーティングが拙寺本堂でありました。

相良田沼ネタとは別に26日の民放BSで放映されるという本能寺がらみの番組について話題があがりました。

各説ある本能寺の件、まさに混沌。

もっともっと決定的な史料が出てこない限り、今有力といわれている説も「推測の域」を出ませんからね。

 

本能寺での信長に鉄槌を下ろしたのは明智光秀というところは間違いないところですが、知りたいところといえばその理由やそれに及ぶに彼が結論を出したその後ろ盾の有無。

勿論そちらでは私の持論、本願寺説を展開したのでした。

まぁ人が物事をやらかす原因というものは、何も一つ二つの理由であるとは限りませんから「コレです」ではなく「それも一つの理」というレベルです。

 

両本願寺の収蔵庫の膨大な史料・文書類あるいは当時の関係者の家系に伝わるそれらが発見されるのを待ちたいといったところです。

人によっては古文書をゴミとして処分する例を聞いていますので貴重な史料が消滅する前に・・・

 

画像は大坂本願寺にて信長と戦っていた土岐氏一統の寺、善永寺の境内。

本堂に並び「法寶蔵」なる建物がありました。拙寺で言う土蔵なのでしょうが、立派です。

こういった確りした建屋に収蔵された史料は比較的保存状態が良いでしょうから、面白そうなものが「きっとある・・・」などと勝手な想像力を働かせるのでした。

 

 

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2024年

11月

23日

文殊山善永寺山門 土岐氏桔梗紋の主張

何日ぶりかで私個人的趣味の作業を行いました。

テラス2階の南方系植栽と地植えハイビスカスや月下美人の植木鉢をまとめて養生しようというもの。

テラスはダブル温室と保温器を動員して特に夏場に芽を出してくれたマンゴーの保育に傾注しています。

挿木で成長しているパイナップルも。

デカくなれば嬉しいのですが、それはそれで来年の越冬が頭が痛くなるのでしょうね。

パイナップルは二度目のチャレンジ、越冬ですが(以前は枯らしています)うまくいけば来年夏には実ができるのでしょうかね。

わからないことがいっぱい。それが楽しみなのですが。

 

外の植栽は梱包テープでフレーム(主に鉄管パイプ)をぐるぐる巻きにするだけですが、それは結構に難儀な仕事です。

ハイビスカスは背丈をかなり詰めましたが、やはりその高さは仕事を難しくしてしまいます。

当初は脚立2台での独り仕事でしたがあまりにも効率が悪かったため、奥方にヘルプを依頼。

何のことはない、おかげさまですこぶるうまい具合に捗りました。

 

予定では本堂の破れた障子4カ所を修繕するつもりでしたが、昨日はヤメにしてしまいました。

土日の法要前には何とかしたいとは思っていましたが・・・

 

扨、文殊山善永寺の山門を。

先日の画像にあった参拝者駐車場にあった桔梗紋。

明智を連想する青い色付けは尚イカシますが、山門周辺にも桔梗紋がたくさん。

やはり先日の寺標脇の掲示板の如く土岐氏関りのお寺ですからね。

 

山門の立派な細工に目が留まりました。

 

 

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2024年

11月

22日

お前さん 的屋(露天商)だったとは・・・食品衛生責任者

昨日は午前8時30分に出発して榛原病院に向かいました。

叔母の一日入院の回収です。

26日に結果の説明を受けに行きますが現状「胆管が狭くなって腫れている」「左下肢に向かう血管が詰まっている」以外の所に重篤なところははなく「年相応」とのことでした。

若ければそれらを改善することも必要でしょうが、先日行ったCTや胃カメラの検査を90代の高齢者に行うことの意味について疑問といえば疑問。

古い車の維持にパーツの取り換えがありますが、何から何までの老朽化対策にはキリがありませんからね。

「パーツの生産中止」などあってやむなく廃車にしたこともあるくらい。

人間の体の深部各パーツについて着けたり張ったり取ったり繋いだり・・・限界がありますからね。

しかし退院後の叔母は至って元気。

やることはやってあとは成り行き、と叔母の生命力に任せまた付き合います。

 

退院のあとは施設にてスグ再びの入所にあたり多くの書面に署名。11時過ぎに施設を出て、その足で市役所の榛原支所にある県の保健施設へ立寄りました。

 

先般は拙寺報恩講がありましたが、その報恩講寺楽市で「今回でおしまい」という店がありました。

青果店兼惣菜店を経営するご門徒さんでしたが、店の閉店に合せて惣菜の製造もやめるとのことでした。

相良には昔からの店舗の閉店、廃業が増えていますがその傾向は増すばかり。面白くないことです・・・

 

今回もムリにお願いして品物を提供いただいたのですが、息子さんからもさすがに足元がおぼつかなくなり鍋を持ち運ぶ姿に不安を感じるようになったと。

まったく残念でなりません。一番人気のお店でした。

食品販売許可の更新もあり、ここでその結論に至ったようですが、近年の食品衛生の当局からのご指導も厳しくなっているとのことでした。

 

実は私どもの境内の棚店でも食べものを「不特定多数」の方に販売していましたが、厳密にいえばそれは食品衛生法に違反しているノー天気ですね。

要はそのストアやこれまで境内に出入りしていた露天商の許認可証を隠れ蓑にして催行していたと言っても過言ではありませんでした。

というワケでこれで境内での食品販売営業についてはモグリの違法行為というカタチが前面に出てしまうということになりましょう。

また厳密となったその法規制の施行によって正規の手続きを行っている部外者からその適当解釈について通報されてしまう可能性もありますからね。

何より法令順守の心で行かなくてはなりません。

 

しかしこれまでは1年に数回程度のバザー形式の境内での販売で「当局の許可は不要だろう」と勝手に解釈していたことも事実。

一応その件、白黒つけようと管轄当局の御指導を受けにそちらの窓口に寄ったというワケで色々と勉強してきたということですね。

やはりバザー形式の露店であっても許可申請は必要であるとのことでした。

 

私はまずは露店の許可を取ることは不可欠であることを認識していますが、ゆくゆく同朋会館一階で展開しようと目論んでいる喫茶・菓子提供する休憩ブースの件についてそれも質問。

厨房についてはクリアできるよう工事を依頼していますが、各許可申請に必要な経費は無視できないところがありますね。

以下羅列しますが多岐にわたって許可権が分かれています。

食品に関して拙寺は楽市で何もしないということも選択肢ですが・・・。

 

1 飲食店営業

2 喫茶店営業

3 菓子製造業

4 あん類製造業

5 アイスクリーム製造業

6 乳製品製造業

7 食肉製品製造業

8 魚肉ねり製品製造業

9 清涼飲料水製造業

10乳酸菌飲料製造業

11氷雪製造業

12食用油脂製造業

13マーガリンまたはショートニング製造業

14みそ製造業

15醤油製造業

16ソース類製造業

17酒類製造業

18酒類製造業

19豆腐類製造業

20納豆製造業

21めん類製造業

22そうざい製造業

23かん詰またはびん詰食品製造業

24添加物製造業

25乳処理業

26特別牛乳さく取処理業

27食品の放射線照射業

28乳類販売業

29食肉販売業

30魚介類販売業

31魚介類せり売営業

32氷雪販売業

 

拙寺で許可を受けるとすれば2と3に露天商。

5年で更新申請です。

 

また上の図は①営業許可申請書。

そして露天商許可申請のあれこれ。

②「露店でできること・できないこと」は参考になりました。

焼き鳥とフランクフルトが露天商の許可が必要で焼き芋に甘酒は不要ということ。

不要であっても届け出は必要ということも。

それが遵法というものでした。

 

また奥方が婦人部の皆さんに「食品衛生責任者」資格を取りに「講習会に行こう~」と投げ掛けていましたが、昨日のその窓口で「実は私は東京都のそれを持っているが・・・」と言ってみると「それでまったくOK!!」との回答。

証書が家内行方不明に付き早速東京都の食品衛生センターの食品衛生協会という部署を突き止めて私のデータを照会していただくと、瞬時にデータが残っていることが判明。

申請料2000円+送料110円で再発行いただけるとのことでその手続きすることになりました。

 

奥方から「お前さん・・・以前と言えば、的屋(露天商)だったのか~・・・」。

それは数十年前の東急ハンズのお菓子教室担当の際に取得したものでした。勿論会社の経費で。露店だけでなく食品販売に不可欠な資格ですがまさか、それが今になって役立つとは・・・。

 

露店の営業は比較的ハードルが低いのですが④の設備が不可欠だといいます。

しかし私はその手のものを露店で見た事がありませんがね・・・

皆さん結構にテキトーやってるのか・・・、とも思いますが「何かあった時」それは問題(ペナルティと信用の失墜)となるでしょうからね。

 

私がそれを所持していることが判明しても奥方は講習会には行きたいと気張っています。

それは確か・・・丸一日の受講と手数料11000円が必要ですが。

安心・安全への指向は良き心がけです。

 

何しろこのお遊びはいろいろおカネがかかる・・・

 

 

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2024年

11月

21日

本巣市文殊 文殊山善永寺 本願寺派

当家ネット回線の不通は昨日の昼前には復旧しました。

午前の早い時間は叔母の施設退所と入院の付き添い。

一応は一日だけの検査入院ということでそれで退院できれば再入所ができるとのこと。手続き上その段取りとなるそうです。

 

そもそもそのネット不通に慌てさせられたのは以前に会館工事の足場設置業者から「電話線が今後の工事の際に邪魔になる」との指摘を受け来月初旬に配線を移す工事予約をしていましたことがありました。

よってブレーカーが落ちていた時間が長かったことに加えてそのケーブル切断の件が頭によぎったからです。

どちらかといえばそちらの方を疑って懐中電灯を持ち出したくらいでした。

しかし電話機の受話器をあげてみれば・・・問題なし。断線していないということですからね。早く気づけば良かった。

 

まぁ暗闇ではどうにも確認は難しく諦めるが肝要、ブログの更新はサラッと携帯端末で行った次第。奥方からは「そんなもの放っとけ」と嫌味をいただきましたが。

プロバイダー側での信号チェックと指示された通りにルーターの電源抜き差し(一昨日も行ったが改善されず)により復旧しました。

「最悪復旧まで1日くらいかかるかも」と言われましたが、1分後には接続できました。最初からプロに聞けばカンタンなものをいじくり回すから迷宮に入るのですね。まぁ夜間は営業していませんでしたから。

 

扨、先日の産業祭にて多くの地域からの参加があったわけですが、私が唯一購入したのがお米。

岐阜県本巣市のみなさんが何故にしてこちらに・・・とは思ったものの、狙っていた柿は売り切れ、「さて・・・」と選んだのがあのおコメでした。

裏側の表示にある販売者の名が「もとすファーム」。

「本巣市文殊」の番地名がありました。

その地名は文殊山なる山の名からですね。

私があの時のブログで「本巣は比較的身近な地」と記した理由は山号が文殊山の善永寺があるからです。

本願寺派で「南無阿弥陀仏」のお寺であることは勿論、その云われは門前の掲示板の通り大坂(石山)本願寺で信長と交戦していたこと。拙寺開祖と「同じ釜の飯」の時期があったことが推察されるからですね。顕如への帰依の件も同じ。

天正八年(1580)の寺の創建とありますから顕如が本願寺を放棄したタイミングで大坂から離れていたということでしょう。

 

私はそのタイミングこそ何かの画策に走ったのでは・・・と自分なりに感じたものです。

私の思い入れのあるお寺の所在地ということ、あのブースに引き寄せられたのでした。

①背後が文殊山。

奥方と放っつき歩いた山周辺。いいお天気でした。

 

 

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2024年

11月

20日

ネット回線不通につきスマホで

昨晩、気がつけばネット回線不通。                そういうこともあらぁなってことで手出し無用之介。                     この不便さを感じるに日頃いかにそれをズブズブに頼っているということか!                             奥方がNTT やらプロバイダーに問い合わせを試みていましたがプロバイダーの営業時間は既に終了。明日以降ですね。               NTT (光)には連絡がつきましたので-電話はok-おそらくプロバイダー側かも。           拙寺に入っている工事業者が誤ってブレーカーを落としたために途絶したおそれあり。

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2024年

11月

19日

相良のお気軽土産 立候補 意次せんべい 500えん

多少の気温低下は実感しましたがまだラクな朝。

朝一、奥方から境内の車を外の駐車場に出しておけとのお達しがありエンジンをかけました。

イキナリ強めの冷房の風が顔に当たり慌ててスイッチをオフ。

車は奥方が使用していましたが、前日がいかに暖かかったかがわかります。

 

そして昨日法務は境内でのお内仏閉扉式から。

ご門徒さん宅の小型の古いお内仏を処分して、新しい「もっと小型の家具調」のそれを調達するとのことでした。

よってお内仏は両手で持てるほどのもので本堂にお持ちいただいての閉扉式となりました。

本尊のいなくなった「木の箱」はお焚きあげに。午後は報恩講の片付け。地頭方処理場へ。

 

扨、ここのところ「意次せんべい」の件を記していました。

先日の報恩講での御門徒さんへのお披露目では「新 相良のお土産」として田沼意次のさらなる大きな告知に一役買いたいとデビューしたようなことを境内に設置した棚店に記していました。

勿論、来年の大河ドラマに便乗しようという心根もありますね。

 

これは「相良史蹟調査会」による製作になりますが、当初は南鐐二朱銀(またはこちら こちら こちら )を強くアピールしよういう案がありました。

ところがあの図案を焼印にしたとしても「何だかわからない」ことになることは必定のこと。

それもウラ・オモテがありますからね。

何しろ通貨についての説明も長文になりがちになります。

 

ということで私から会員皆さんに「コレならシンプルです・・・」という具合で提案したのが太鼓。

おかげさまで了承を得てこの度の拙寺の太鼓が広くお披露目いただく運びとなりました。

産業祭出店の際の接客でも「田沼意次の広きに渡る認知紹介のついでに大澤寺の太鼓もちょっぴり・・・」と私の身勝手な下心を展開していました。

 

「ああ、あの陣太鼓ね・・・」などいう方がいらっしゃいました。「陣太鼓じゃねぇよ 時(刻)太鼓だよ~」風の反論はしませんでしたがその件をサラッと説明してもチンプンカンプンの様。

 

二ノ丸の太鼓櫓(矢倉)が「今の相良小学校グラウンドの真ん中より少々東側にありまして・・・」などと解説用の図画を用意してはいましたが口で解説するよりも紹介文を用意した方がベストだったと反省した次第。

興味のある方に「こちらをお持ちください」。

 

あの喧噪と人の流れの中で歴史の話を一からするなどそもそもムリでした。

大澤寺の出店につき「歴史や仏教、いろいろ・・・」などその問い合わせを気軽に受けるの如きことを記していましたが、やはり最近頼ることの多くなった名刺をサラッと机上に置いて・・・など

それが一番でしたね。

反省点いろいろ、成長させていただいています。

尚、太鼓の件、拙ブログではこちら こちら こちら に。

 

画像①はイベント出店用に製作したのぼり旗。

棚店にはコレがあるかないかではアピール度が雲泥の差。

せんべいのパッケージには黄色と赤の二種がありその裏側には大澤寺と太鼓のアピールさせていただいています。

 

もしかして・・・田沼意次にスポットが当たって・・・大澤寺の太鼓にも、もっともっと、もしかして・・・明かりが・・・

その手の空想も悪くない。

 

光が当たれば影ができる・・・その光の限界について超越しているのが阿弥陀如来の光。

阿弥陀如来には「無碍光如来」の別名がありますね。

一応念のため・・・

正信偈では「天親菩薩造論説 帰命無碍光如来」とあります。

 

やはりこのほど拙寺の土産品としてデビューした「無碍一道」のバックに通じるところですが。

 

 

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2024年

11月

18日

GasOneアリーナ牧之原 ひょんなことから観劇に

数日前の予報は大ハズレ。

朝から穏やかで暖かな晴れ間が広がりました。

週明けから「寒くなる(今度はホントに・・・) 」とはいいますが・・・まったくピンとこない11月中旬。

よって昨日は一日中半袖で過ごせました。

とはいいつつも一枚衣を引っかけての室内の仕事。

おそらく外は暑かったのでは・・・

 

8時30分から15時まで私はGasOneアリーナ牧之原の産業祭に詰めていました。

その催しは例年榛原地区と相良地区交互で行われるもので、本年にこのアリーナがオープンしたということからこちらでの開催となったそう。また来年は相良小学校のグラウンドになるとのこと。

本来は榛原地区というのが順番ですが、大河ドラマ「べらぼう」の紹介コーナーが史料館2階に開設される(2月ごろオープン)ということで「続けて(2年連続)相良で・・・」になったようです。

 

初見参の私は申請名として「意次せんべい」 (相良史蹟調査会)でしたが、「本日の担当」として現場に拙寺の名を掲示しました。よってポロシャツ、トレパンの上に間衣・輪袈裟を纏う装いとなりました。

要は「大澤寺」のブースということになってその「意次せんべい」他、昨日記したバックやお茶などを並べたのでした。

 

結果、意次せんべいは43個、バックが7枚の売り上げとかなりの善戦。

もっとも奥方+婦人部長+私の3名の「出仕」ですからコスト的には見合いませんね。息子には寺の留守番と撤収の軽トラ配車を依頼しました。

 

販売方法の妙・・・

坊さんスタイルの場合はあまり声掛けせずに後方でもじもじしていた方が案外イイ・・・を感じました。

当初椅子に座ってテーブルを前にして「読書しつつのウェイティング」を決め込んでいましたが、やはりそれはマズイ!!と反省、後方に隠れるように立って来客を待ちました。

怪しい坊さんがいれば敬遠されかねない・・・。しかし寺を名のるからには私がそのスタイルで居なくては・・・とジレンマもありましたが。

 

そもそも「お寺の出店」に驚かれる方が多々あったようでしたが私に言わせれば「そんなの関係ない」でしょう。

県議の方が見えて「寺は1件だけだね」の言葉にニヤニヤしていました・・・御判断はおまかせします・・・

 

せんべいやバックの紹介が主たる目的でしたが、寺として宗旨特有の文字を並べたり仏教感を大いに漂わせるグッズも。

産業祭という名称ではありますが、拙寺の紹介ということでは悪くない機縁だっかと。

 

バックの販売は「ゼロ~」も覚悟していましたが、7個の売り上げには感謝したいところ。

押し売りに近いものがあって申し訳なかった感も少々ありますが。

特に前述の県議の方にもそれをせんべいとセットでおつきあいいただいたのでしたが、金額はさりげなく昨日記した通り800円でお願いしました。

 

議員さんはバックに色々と買ったものを詰め込んで「これは便利。大澤寺のブースで購入した・・・」などと宣伝を兼ねて自慢げにある方に見せびらかしたそう。

するとその方は「それなら昨日境内で700円で売ってたよ、明日は800円になるとは言っていたが・・・」と説かれたそうで再びブースに舞い戻って「なんだよぉ~」と爆笑していました。

地団太を踏んだといった感じにはありませんでしたが、私はひたすら「もろバレでしたね~スミマセ~ン」。

あと市長が通りかかったため、ご挨拶。やはりせんべいとバックをお買い上げいただきました。

「宣伝します・・・」と。これも有り難い。

「無碍一道バック」を購入いただいた方はすべて私の存じ上げる方たちでした。ありがとうございました。

 

両隣が教育委員会と大河ドラマの紹介ブースでした。

大河のブースの皆さんが昼食に出た際、代わりにそちらに立った方が着物を着た役者さんでした。

それが2025年1月19日の「田沼意次物語」の出演者。

一橋治済役の藤森美香氏でした。

その方にも「意次せんべい」を購入いただきましたが、「ひょっとして 酷え悪役じゃん・・・」などと会話が進むと「意次をいじめまくりますぅ・・・絶対に観に来て・・・」となって「ハイ、ハイ」。

空返事ではなく前売りを史料館で購入する段にまで発展。

 

その役者の着物姿を見た方(やはり市議会議員)が御門徒さんとともに当ブースに来られました。

するとその方は私に「この方は?」。

「大澤寺の住職ですよぉ」と御門徒の方のフォローが入ったのでしたが、お隣の演劇役者を見た流れでやはりその出演者とまちがったとのこと。

隣にいた奥方が「とんだコスプレ野郎で・・・」

 

そしてまた何かの「購買」というカタチにはならなくとも「大澤寺って何て読むの?」「このお寺はどこにあるの?」「あなたは住職なの?」なる問いがありました。

私の井の中の蛙ぶりをあらためて認識した次第。

 

特に色々な地域からの産品紹介ブースが並びましたが私は「千葉県の山武市って・・・」と無知ぶりを露呈。

そちらの担当者に「そこって何処?」と失礼なインタビューをして一つ地理のお勉強をしたところ。

 

相馬からのブースがその隣にありましたが、14時には荷物をまとめだして15時前には宅配便の宛名を記して会場を後にしていました。電車の時間が迫っていたのかもしれませんね。

いずれにしろ皆さん、かなりの遠方からの来訪でおそれいります。

「目と鼻の先」に住まう私など不平不満の一つでも漏らしたとしたら罰が当たるというものでしょうね。

 

私は柿の一つでも・・・と目をつけていましたがどちらのブースでもそれはあっという間に売り切れていました。

よって私は本巣のハツシモなる米を購入。本巣は私にとって比較的身近なところです。

 

こういったイベントにはできるだけ出るべきであると認識しました。

しかし日曜朝から奥方と二人で寺を空けることになりますので息子の留守番が不可欠。

彼の帰り際に留守番賃を請求されましたので高い勉強代になりました。

購入した米も持って行かれて楽しみも喪失。

 

ただ坊さんの「閑」は御門徒さんの仕合わせ。

法務に関してはそうであってもこのイベントの準備と参加に疲労度は5倍はあったかも知れません。

 

継続は力・・・とはいいますが体力が持つのだろうか・・・皆さん頑張っていますから・・・やれるところまで何とか気張っていこう。

特に来年は・・・

 

 

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2024年

11月

17日

「無碍一道バック」新参 GasOneアリーナ牧之原前日

報恩講寺楽市開催中は曇天ながら雨はナシ。

そこのところ一番に気にかけていたところでしたので、ただただありがたし。

おかげさまです。

テント撤収の際に倒れた支柱が大腿部に直撃した方がいらっしゃって一瞬ヒヤリとさせられましたが、何とか無事。打ち身程度とのことでした。頭や関節系への打撃でしたらタダでは済みませんからね。

大人数でアレをやることはそういうことが起こりがち。

「わ~ッ」という感じでそれぞれが解体を始めるのは具合が悪いことでした。コントローラーが必要か・・・

 

まずは今年の報恩講の終了で一息入れたいところですが、続けてアリーナでの産業祭が控えていますので、のんびり感はまだまだです。

 

そしてお天気の次に気がかりだった無碍一道バックの皆さんの反応は・・・。拙寺の名称をさらっと入れましたが今回の報恩講棚店が初お目見えでした。

 

果たして1つも売れずに「しょぼ~ん」・・・などと頭をよぎりましたが終わってみれば16個の品が・・・これも嬉しい。

定価を800円に設定し今回は報恩講価格として700円にしました。

700円という価格の件、「主婦のご意見」を伺ったところ『飛びついて買いたい』と思う値ではない」との評価。

その方からは有難くもご購入いただきましたが、色々な色があるとイイなどの意見も。

それはバリエーションを増やすことになりますので、お遊びレベルの話ではなくなりますね。

 

アリーナでは800円という設定になりますが、まぁ今度こそゼロになる可能性があるかも・・・境内での気軽さはなく知らない方ばかりのはずですからね。

私の座するテーブルには無量寿茶と意次せんべい等が並べられて販売する予定です。

 

画像①②が昨日の様子。

③は池田屋さんの飲み屋の銘柄。

基本一杯200円(相良城酒)ですが、「田沼意次」は300円とのこと。純米酒と大吟醸の違いとか。元々の値が違うのでした。

 

④はアリーナの図。催し物も各あるようです。

⑤⑥は次回大河ドラマ「べらぼう」で唯一オープンされる「大河ドラマ館」。「べらぼう江戸たいとう大河ドラマ館」なるポスター。

それができるということは大層なおカネがあるということでしょうね。

勿論、私たちは田沼一本、わくわくしながら番組の放映をただ待つのみですね。

 

 

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2024年

11月

16日

報恩講前日 報恩講にネコが・・・家猫化のパターン

拙寺の報恩講は寺楽市が開催されますので結構にその用意に、あたふたしながらすごすというのが常。

その分本来の法要の手抜きが出てしまいますのでこれはやはり本末転倒のご指摘を受けても仕方ないでしょうね。

反省はしていますがね。

まぁ②画像の如くの重量と容積のある代物(不要品)を運び込むのですから。

尚、それらの価格は大概が200えん~500えん。

「買った~」の声がかかれば自宅まで配達するという妙ちくりんな企画。人件費など野暮な話は無視。

すべてお遊びの範疇ですね。

ディスプレーするたびにその声がかかってしまい、本番の時は品物薄になるやも知れず。

殆ど「押し売り」に近いものがありますがね。

その程度の金額ならばたとえ無理に押し付けられたとしても許容範囲のレベルでしょうね。

 

③はご本尊前の図。打敷と五具足の荘厳です。

親鸞聖人御絵伝を掛けて準備完了。

 

④の棚店準備の下の生命体の存在に気づきました。

最近境内に生息する「キイロ」(私はそう呼びます)が。

これまで報恩講に(準備を含めて)姿を現したネコは彼女で3匹目(すべて雌猫です)。前2匹は野良から家ネコに昇格しています。

というジンクスがあるとすればじきに奥方の布団の上に寝ることになるのでしょうね。

春先までに確保して手術しないともっと煩わしいことになりますからね。

 

手術したあとはやはり1週間ほどのフォローが必要になりますのでそういう時間を共にすることによって家族の一員になるということになります。

 

 

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2024年

11月

15日

忙々流転 海を見たい 女墓場より

昨日も報恩講の準備。

婦人部の皆さんは午前中にお集まりいただき棚店に並べる品の仕分けをしていました。

私は庫裏でポップや品物の袋詰め作業に励みました。

御門徒の青果店から焼き芋用の芋が届いたとの連絡がありましたが、「その他いろいろ・・・雨予想だが・・・」と寺楽市の催行の判断について問われました。

私は「テント内で」と雨の心配不要である旨、軽口を叩いていました。

天気の事はおまかせする他はありませんし、いつも楽観。

特に苦境の時はそれですね。天気予報もアテになりません。

 

大概の予想を裏切ってのアメリカ第一主義の旦那のブッチギリ復活。

各方面来年の正式就任以降の変化について戦々恐々の躰が見受けられます。。

当家で喜んでいるのは息子だけ。

ビッドコインが破格の値上がりをしているようですが、数カ月前に彼はトランプ勝利を見越して少々の小遣いで買い増しをしていたとのこと。

売却しなければ利益は確定しませんが、先般「何かご馳走して~」と振ると一休さんのlineスタンプで「あ・き・れ・た・~」と応答がありました。

奥方に「自分の息子に呆れられるとは・・・」と再び呆れられていたのでした。

 

トランプの今後の差配で一番に気になるのは再びの「パリ協定」の離脱ですね。

脱炭素の世界的な旗頭ですが彼はその脱退を口にしつつ「掘って掘って掘りまくれ」とまで御吹聴。

要は規制の類を一切排し二酸化炭素排出の元凶ともいわれる国内の石油系資源を掘りまくって売りまくれということ。

 

排出国トップレベルの(世界2位)米国はパリ協定や気候変動枠組み条約から抜けるだけでも途上国への資金支援の義務が無くなります。

それはあのイーロン・マスクの就任するという「政府効率化省」とやらの仕事になりそう。

決められていた温室効果ガスの排出量の報告義務は無くなりますのでアメリカは国も企業も人も・・・やりたい放題。

 

おそらく私が死ぬまで今年の如く、いや今年以上の暑い夏を味わうことになるのでしょうから、仕方ないのでいっそのこと楽しむよう心をむけることにしましょう。

アメリカさえ良ければ世界のことなんてどうでもイイというメッセージが大ウケして「大親方」になったということはハッキリ言ってアメリカ人はバカ? 

日産自動車のボロボロ決算の躰には驚かされましたが、私は電気自動車、特にテスラなんて買おうと思いませんね。Xなんても・・・

「あっしには関りがございません」。

猛暑と暖冬を開き直って楽しむしかないようで。

 

 

本日も友人の「女墓場」からの画像。

昨日同様、四国香川の海のようですが、アレも相当なる海好きです。いや私以上に。

やはり意味なく海の画像を送ってきます。

 

最後の2枚は数日前に行ったディズニーとその対岸の羽田空港とのこと。

「いい歳こいて・・・」ではなく学生の引率だったそう。

書生さんたちも息抜きが必要ですね。それにしても遠足がそことは・・・

私は最近と言えば御前崎からの日没を久々に見ましたがやはりスバシイの一言。

「山越」の西方浄土というワケにはいきませんが。

海の中にちゃぽんという具合です。

まぁご自身の眼でご確認を。

 

 

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2024年

11月

14日

女墓場「池田の桟敷」の石積み 17日産業フェア

昨日は報恩講前の「おみがき」の日。

先般の世話人会にてその担当区域を発表したこともあって(告知期間短し)今回は5~6人程度の参加と見ていましたが本堂に集まった皆さんは12名。

一昨日の叔母の救急ドタバタによって用意の時間が無かったためお願いする什物を少なめになりました。

よって皆さんの仕事の効率も良く10時過ぎにはすべて終了してしまいました。

昼食は11時の到着予定でしたのでそれまで私のおしゃべり時間となりました。つまらない時間、失礼いたしました。

とにもかくにも多くの方々が各自の大切な時間を拙寺の「おみがき」イベントに参加振り分けて頂いたこと感動ものです。

 

先般も「月間住職」にて拙寺婦人部の活動状況が掲載されていました。

他の真宗寺院においてもかつてはその活動形態ついてどちらも同様のものでしたが、今となっては継承がうまくいかずに「断絶してしまっている」といったことを聞くようになりました。

当然に拙寺においても今後の事などはわかりませんが、今その組織が動いていること、これは奇特なことです。

寺の活動が衰微減少していく中、これまで通りの活動ができていることはとてもありがたい。

 

午後は寺楽市の準備。

そして客用トイレの引戸戸車破損パーツ購入のため榛原まで。

既に真っ暗。

最近1日フルに休み時間殆どなしで動いています。

 

叔母の体調について再発のおそれあり、との脅かしを受けていますので、その件「来週まで待って・・・」と願うばかりです。

救急外来待合のあの時間、呼び出されてから開放されるまで、アレは苦痛中の苦痛ですからね。

 

画像は久々舞い込んだ「女墓場放浪」からのもの。

親戚一同と四国放浪へのドライブの際のもの。

石垣が壮観です。祭り観覧用の桟敷席といいます。

そして昨朝は言っていた17日の産業祭の広告。

こちらで16日の報恩講寺楽市に次いで「意次せんべい」を販売することになります。

 

 

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2024年

11月

13日

萩間川護岸近く 石材9個救済 早朝の榛原病院の件

昨日午前一時に叔母の入所する施設から連絡がありました。

「血を吐いてベッドの上で悶絶しているのでスグ来てくれ」というものでした。

90歳という高齢で何があっても驚くつもりはありませんが、それにしても「派手な最期・・・」と思いつつ、今後の私のスケジュール表をチェックしてから榛原病院へ。

 

そもそもそのような症状といえぱ「毒でも盛られたか・・・」と連想するところで高齢者にありがちな最期(老衰・・・)とは違います。普通の死とは思えませんでした。

 

救急外来の待合からは4時過ぎで開放されました。

息子と同じくらいの女医さんの見立てによるとCT等での検査一連を行ったが正確な診断には限界ありとのこと。

「緊急的、今スグにといった所見にはないが胃カメラで確認したい」ということで10時30分にそれを予約し、施設に叔母を一旦回収していただいてから帰宅睡眠。

 

私は10時からのお内仏閉扉式の依頼が入っていましたので奥方に病院の立ち合いへ行ってもらいました。

法縁が済んで11時30分に内科の待合で合流、診察後に次のステップ、胃カメラ画像撮影の許諾書への記入をしているところでした。

叔母の様子は数時間前の姿とはうって変わって車椅子に座りピンピンシャキシャキのダイハード振り。

早朝の救急外来では私の持った洗面器に苦しみながらドス黒い血の混ざった胃液を数度にわたって吐いていましたから。

痛み止めが効いているとのことでしたがその際は「これから鰻を喰いに行く」と言い出すくらい。まったく不思議。

胃の撮影が終わってから奥方に託して病院を後にしましたがその結果は胃については問題なしという評価でした。奥方が完全開放されたのは15時すぎでしたから頭があがりません。

報恩講の準備も進捗していませんからね。

 

その原因はわからずじまいということですが、さらなる探求をするとなると胃以外の各臓器たちのチェックになり、施設からは「そうなれば退所が必至」と。

精密検査による処断が必要かどうかという判断というレベルになりましたが、私としては「そこまで調べ上げて対処するべき年齢だろうか・・・」。

医療の力で僅かな期間、存命することに果たして意義があるのか・・・という疑問。

昨日も叔母は「100まで生きる」とは言っていましたが体そのもの各部位の老朽化にも限界があるわけで・・・

私も「ガンガン長生きして国から取れるだけ取ってやれ」とはいうもののこちらの身体の方がもちませんね。

 

扨、私が叔母の胃カメラ撮影と診断立ち合いを奥方を残してパスした理由は突如たまたま見かけた堀りたてホヤホヤの残土石の様子とその行方について気がかりになって工事現場に立ち止まったからです。

大江地区のご門徒さんの転居にあたってのお内仏閉扉式でしたが、その行き帰りに目に入った工事の様。植栽の伐採と整地が主たる工事だったよう。

その現場こそ萩間川に沿った市道脇の家で私がかつて勝手に

古相良城や武田水軍の駿河湾活動拠点と推測している場所でした。

そちらを掘り返した土砂の中にかつて石垣石積みとして使用されたであろう「あのカタチ」が目に入ったのでした。

時代的にこの手の加工は江戸期あるいは室町期でも後期のものなのでしょうが、こちらは川淵でもあり石を積んで擁壁として利用するという発想はあったはず。

そもそも旧相良町内はこの手の石垣用石材が「掘れば出てくる」というのはずっと言われてきたことでそれは相良城廃却の際に市中に払い下げされたからですね。

 

石たちは出てきたらそのまま砕石処分場行という流れになることも最近ではお決まりのパターンです。

 

私がこの石たちを見かけたということは一つの縁であり、石たちが私に「たすけて~」と訴えているように感じました。

よって榛原病院に行く前にそのお宅に寄り道。

その時は「通りがかりの者ですが~」と怪しさを醸し出しながら第一声。にもかかわらず私の希望を快く受け入れていただきました。

「では必ず取りに来てください 回収を断っておく」と本日中の再訪を促されました。

やはり信頼性をあげるに一役買ってくれるのは名刺でした。

その時も例の名刺をお渡しして一旦別れました。

そういうわけで石との出会いの件を奥方に了解いただいてそのお宅へ再び向かったのでした。

全部で9個の石を軽トラに積み込みましたが、「お経だけでなくこんなこともするんだね~」と。

やはり拙寺についてググっていただいたようでした。

 

「来年には積み上げる予定ですから散歩がてらに見に来てくださいね」と別れました。

その方は神奈川県から縁あって奥さんとそちらに転居してきたとのこと。私が東急ハンズ町田店のオープンからいて、彫金コーナーのピンセット売場で100以上(1800ショーケースいっぱい)のそれをディスプレーしたとかつての自慢話をぶち上げるとその方は七宝焼きが趣味でその隣のコーナーによく通ったと。

私がまさに奇遇、「いらっしゃいませ~」と接触していたかも・・・などと思わず昔話に花が咲きました。

 

石と閉扉式が合わせてくれたこのご縁、面白いことがあるものです。

奥方にその件を話すと大晦日の除夕鐘にお誘いすればよかったのに・・・と。神奈川県から牧之原市に移住されたということ奥方にとってもそれは殆ど同じですからね。

 

①はそのお宅の石たち。

②それを積み込み軽トラを拙寺墓地横に付けてから各石ゴロリと仮置きです。

③は早朝の救急外来、あまりにも暇すぎてパシっと撮ったポスター。まぁそういうことです。

 

病院で縁者の救急処置を待つ・・・もうコレで最後にしたいとは思うものの・・・あまりにも長すぎるその時間、いろいろと考えさせられました。

人生というスパンで考えれば「短い」を感じてしまうこと多々あるのに・・・その感覚もまたイイ加減。

 

 

 

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2024年

11月

12日

拙寺報恩講寺楽市は16日 翌17日は産業祭 S宗の危惧

昨日午前も法要がありましたが、お内陣でのお勤めは「暑い」を感じるほど。

朝のうちは深夜の雨の残りがありましたが暫くして青空が広がって「夏」のイメージが復活していました。

まぁラクだからいいか・・・

 

残念な件を。

本堂北側、拙寺では「坪ノ内」と呼んでいる場所のカキの木。

正体不明生物が屋根裏に上がる足場となっていたため、かなり枝払いをし、柿の実の成りは減少していました。

しかし今年は5~6個の大きめに実ったそれがありましたので一応は楽しみにしていました。

数日前、法事が終わったあと、収穫にと裏へ廻ると・・・一つも残っていませんでした。

以前もそちらに入り込んだ人が勝手に柿の実を取り去る現場を本堂から目撃したことがありましたが、再びヤラれましたね。

それへの執着はあまりなく、どうでもイイとは思いましたが人家敷地に入ってまで「よくやるよ・・・」。

まぁお気軽の心境でそれをやらかす人はこの地にもフツーにいるということで、やはり闇バイトに召集される短絡などが居たとしても不思議ではありませんね。

まぁ若い者はカキなどに興味はないでしょうが・・・

 

先日、某葬儀社の方としばし時間を持ちました。

この業界についてのいろいろ、聞きだして私の反省点を見出そうという機会ですが、「ほお・・・」という具合に考えさせられるところがありました。

その方は遠州ではなく駿州エリアの浄土真宗系寺院が殆ど無い地域が主たる活動域ですが、その区域のS宗を統括している法人代表名で、ある協力要請の文書が届いたとのこと。

S宗といえば静岡県内では檀家さん総数も寺院数もトップというのは承知している所ですが、その方が言うにはあきらかに「危機感を醸し出している」現れと。

 

先日来拙寺の「墓じまい」ラッシュの件を記していますがそれは何も拙寺だけのことではなく各宗派の寺院もその傾向にあることがわかります。

特にS宗は全体総数が多いだけに拙寺の将来的危うさ以上の焦燥感があるのではないでしょうか。

推測するにそれはただの墓じまいだけでなく+宗旨替えが絡んでいるとのこと。葬儀という一大イベントの前に・・・

 

その文書の内容を要約すれば、「S宗派寺院を離檀される家が増加している」が「是非とも最寄りのS宗派寺院を紹介して欲しい」といったもののようでした。

それは今、葬儀式を機会に檀家としてあった寺を離れる施主が増えているとのことでその傾向を少しでも制御し、できれば別の寺院への変更があったとしてもS宗にキープしておきたいとの趣旨のようです。

 

その方が仰るには「ことにコロナ禍以降その傾向は強く、施主家族から『どちらかいいとこ紹介してください』」的相談を受けることが多くなったと。

仕事上多方面多様のおつきあいがあるために軽々に「そのような紹介はできない」と断っているそうですが・・・暗に「拙寺での受け入れ」の可否について触れられていました。

その方は最大で拙寺の「4倍以上の費用」を覚悟しなくてはならない場合もあるとのことで不満の噴出が少なからずあると・・・

 

私は、既に檀家制度の崩壊は始まっていると常々思っています。そしてもうこの流れは止まらないような。

みなさん宗教においても「自由」であることを大いに認識しそれがいよいよ社会に浸透してきたということでしょうね。

またそれに伴い、主導は個人の意志ではあるものの、「よくわからない世界」というのが実情でとにかく「そのときの」手短なプロ、葬儀社の担当に相談をするといったところなのでしょう。

 

そのS宗の危惧は他宗へ檀家さんが流出するところだけは避けたいという意図があるのでしょうが、私はそこに違う業界の仁義なき戦いを連想しました。

携帯電話会社の顧客の取り合いです。

ドコモ、AU、ソフトバンク・・・などなど、「乗り換えキャンペーン」「今なら〇〇キャッシュバック」等ありとあらゆる手を変え品を変えの戦略と応戦。これからそのようなえげつない殴り合いにも似た闘争が始まるのか・・・生き残りのために・・・

 

その方が言っていました。

S宗のその書面にはその本質の無理解が漂ってくると。

何もしないで手をこまねいているよりいいというくらいの書面なのでしょうが、その本質とは葬儀の僧侶への謝礼についての疑問というのは言うまでもないと。

そして本音として「安ければ取りあえずどこでもイイ」の感覚が広がっているのだそう。宗旨など二の次三の次・・・

ということは「顧客」としては同じ宗派の選択など論外だということでしょうね。

よってその文書は的を射ていないということ。

 

首都圏ではS宗であっても価格破壊が始まっているそうですが

やはりその手の突飛な運営を手掛けようとすれば周囲の同宗派関係者との軋轢は深まりますね。生きづらくなります。

そして、他宗もここをチャンスとばかりに携帯電話会社ばりに「乗り換え」を助長するようなことはなかなか言いだせませんからね。

 

また先般、都内某社から「墓じまいの要望が多いので御遺骨の受け入れができないか?」との問い合わせがありました。

私自身仕事を控えていたことと、面倒なお話の様でしたので一旦お断りして「またね~」と電話を切らせていただきましたが・・・

 

その際、先方はまず「宗旨替えしなくちゃダメですか?」と仰っていました。

どちらかでも受けておられるような遺骨を宅配便で受け入れるなどは論外ですが納骨法要で宗旨に沿った経典を同座拝読していただきますから真宗門徒として受け入れすることは可能だとは言っておきました。

 

他宗のことはわかりませんし当流もあたふたすることばかりですが、S宗の大多数安泰の雰囲気が今揺らいでいるということなのでしょうね。

仏教界全体、先が見えません。淘汰の嵐が吹き荒れつつあるような感。

 

さぁどう生き残るか・・・まず私のこと拙寺の事を考えることにしましょう。

それが元からいらっしゃる檀家さんたちへの報恩。

 

画像は16日の拙寺報恩講寺楽市の案内。15日夕が逮夜。

そして17日が産業祭の出店。

この1週間もやたらと忙しい。

こちらは本山の報恩講

 

①は昨日の「坪ノ内」の外観。

あの木戸がネックですね。何か対応策を練らねばなりません。

以前庫裏を闊歩した賊もおそらくこちらからの侵入でした。

 

 

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2024年

11月

11日

石山寺本堂 本尊如意輪観音前立と紫式部の間

今朝の本堂は暖かめでしたが一応石油温風器のスイッチはON。まだ1基だけ小型のストーブの導入ですが念のためということで。ご年配の方の参列もあることですし。

私は特に寒さは感じませんでした。

最近は日に何度もテラス2階の植木たちの様子(特に室温)を見に行きますが昼間は20℃以上をキープしていました。

夜間も10℃を割るような予想は出ていませんのでここ少しの間はノーケアでいいかと。

 

夜間は日曜美術館(再)正倉院展について。

訪れたい場所ではありますが、この時期はまったく身動きが付きませんからね。

奈良博の館長さんが「展示物は一旦展示されるとまず10年は出て来ない」とのことでしたが、そうなれば真っ当に正倉院御物をこの目で網羅して「わかった」と言えるのは少なくとも「10年連続での拝観」が必要になるということか。

それでも100%とは言えないでしょうが次々と忘れ去ることの多い私としては記憶の片隅に置くことさえもおぼつきません。

時間ができたらその10年連続にチャレンジ開始したいとは思いますが・・・チラっと館内の様を映像で見ましたが「人多し」。

展示会の暗さと紹介文字の見づらさ(これは私の年齢的問題)もあります。

特に人混みの中に身を投じること、やはりそれはネック、閉口させられます。

何より「10年欠かさず」ということも必須になりますが、その間をまずは私自身が生き続けることが肝要になりますね。

奥方に「そりゃ、死んでまう」。

 

扨、先日は石山寺本堂をさらっと記しました。

またこちらに鎮座する33年に一度開扉されて姿を現す本尊如意輪観音像についてもどちらかブログで記していました。

やはり現状、次の開扉まで20年以上のインターバルがあり、その際も「死んでまう・・・」と爆笑していました。

 

秘匿、秘仏化し、珍重度をアップさせようとの目論見みがあるのか・・・などと下賤なる私は卑しい考えに落ち着いてしまうわけですが、それはやはりまた庶民レベルの発想にそぐわないかと思われますし、その33年という時間はあまりにも人命の与えられた時間というものを無視していようにも。

拙寺の阿弥陀さんは365日、3代目釋祐傳―成瀬伝助時代から400年の間、人々の前に姿を現し続けていますからね。

まぁそちらの観音さんのオープンスタートとは相当なる時代差があります。

まぁ比較することが無意味ですがね。

 

本尊の丈六如意輪観音像(平安後期の作)は大きな厨子(左右3間、奥行き2間)のなかに両脇侍とともに納まっているとのこと。

「丈六」とは仏像のサイズを一般的にそのような語で記しますが大まかに、だいたい5m程度、ひょっとしてそれ以上の仏もそのように表現されることが。

要は半端ナシに大きいということ。

あの南円堂の不空羂索観音も3m超えでしたが、さらに巨大な如意輪観音がお出ましされるということですね。

 

そういう場合は往々にして前立て本尊と呼ばれるコピー(失礼!!)

―こちらは江戸期の作―があるものですが、それが画像②。

いずれにせよ本堂に入りそちらの厨子周りを拝観するには別料金が必要かつ写真撮影は禁止。

前立ち仏の画像もまた最後のホンモノの図も転載になります。

 

確りと複製されているところがわかりますね。

33年に一度の開扉の際も堂内は薄暗く、他の仏たち(胎内仏等)含めてうまく見ることは難しいでしょうね。

 

また今回の石山寺本堂の第一のウリは何と言っても「紫式部の間」でしょうか。

皆さん中にいらっしゃるキレイなお人形さんにカメラを向けてパチパチ。そちらは撮影可です。

 

私は奥方と前立ち限定でしかお逢いできなかった如意輪観音のイメージを思いながらしぶしぶとあの文句(「死んでまう」)を吐きながらそちらを後にしたのでした。

 

⑥図は最も古い(室町時代との推測)「紫式部図」。

相当の痛みがあって判読も難しいとのことですが賛の最初に「源氏水想観之図」とありそれは彼女が湖面を眺めながら物語の発想を得たのだとのこと。

またこちらでは紫式部は観音の化身とも言われていたと。

 

⑦は石灯籠のバック、本堂へ上がる階段と蓮如堂

 

 

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2024年

11月

10日

気候変動もここまでとは スズメバチ意気軒高

朝の本堂の気温は14℃だったと。

1週間前に扇風機を本堂から引き上げたばかりでしたが朝本堂を見廻すと奥方が石油温風器を1台設置しその前で一休みの様。

それほどか・・・と呆気に取られていましたが午前も午後の法事の参加者はそのストーブの周辺に固まっていました。

午前の法事が終わって庫裏に戻ると、電気ストーブが出されていていよいよの冬の到来を感じた次第。

夕刻に奥方の付き合いで浜岡方面に行きましたが私は半袖OKでした。

 

先日はチェーンソーを持ち出して枝払いをしたことを記しましたがそれを片づけた後、奥方から「あの垂れ下がった枝木を何とかしろ」との指示。

地植えのブーゲンの徒長枝が垂れ下がっていました。

報恩講前には何とかするつもりでしたが、それじゃあ・・・ということで脚立を出して紐を掛けて裏側から引っ張り上げる作戦を実行。

 

奥方が足を引きづっての作業は先般届いた本願寺系の書店「法蔵館」が発行する来年のカレンダーの箱(強烈に重たい)に蹴躓いて転んだからですが、口では色々指示が飛んできます。

私がその裏側墓地に投げた紐を引いていると通路側に居た奥方は「ギャー」といった奇声をあげて脱兎のごとく門の外まで走って行きました。それまで足を引きづっていたのにも関わらず。

その奇声第一声のあとに走りながら連呼したのが「ハチハチハチ~」でした。

 

私には心当たりがありました。

脚立に上がった際に一匹のスズメバチが私の顔の前を往復していたからですが、私は「元気そうだなぁ」などと声掛けしていたからです。

その時はまさかこちらに巣があるなどとは思いもしませんでしたからね。

 

スズメバチの一斉攻撃は「攻撃された(と思った)時」ですから私の枝先での遭遇は無視のレベルだったよう。

ところが枝を紐を引かれてその根元付近の巣にいるスズメバチは巣が襲われたとばかりに一斉に飛び出して最寄りにいて加害者たる者と認識した奥方に向かったようです。

 

まだ本当の怒りのピークには達していなかったようで門から外の道路まで逃げた奥方までは追ってきませんでしたので被害はありませんでした。

私がいる墓地側は巣からはウラにあたりますのでその緊急事態にはどこ吹く風の躰でしたが。

 

それにしても11月に入って彼らが元気に活動しているとは・・・

植木屋泣かせというか、真夏の酷暑を避けてこれからの植栽剪定に力が入る頃に彼らの存在はとても厄介ですね。

チェーンソーで作業した場所とは5mほど離れていましたが、私はその木々の中に潜り込んでの仕事でしたからね。

まったくもって幸運でした。

 

沖縄ではこの時節前例のない大雨によって被害が広がっていましたが、毎度毎度色々と異常な天気の報が伝わります。

地球は絶対におかしくなっている。

 

奥方がこの巣を放置していて大丈夫かよ・・・と私に投げかけてきましたが、いくら何でもこれからの冷え込みに彼らは消え去る運命でしょう。巣はじきに空になる・・・と説得しました。

それにしても盛夏の頃に何も人的被害が無かったのは良かった。

 

蜂は放置しておくのが一番。

世に刺されるなどの人があるのは間違って巣を叩いたり踏んづけるなどして結果彼らが「敵」と認識してしまった時。

駆除などの積極対応は勿論、基本手出し無用です。

大金をかけて蜂の駆除を依頼することなどは意味ないのでは。

蜂の子狙いならまだしも。

本堂含め、庫裏には毎度スズメバチがやってきて巣を作っています。自然の事は放っておくしか。

 

 

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2024年

11月

09日

息子と別々出仕 石山寺硅灰石 本堂も懸造

一旦浜松に帰った息子は再び前夜相良にて一泊。

そして昨日は親子ともに別々の葬儀に出仕しました。

彼がお世話になっている某所からの依頼が同時に2件入ったからです。

異例中の異例というか偶然のこと。

そちらからの依頼は無い時は1カ月以上まるまる無いようで彼は仕分けのバイトに出向いていたくらいですから・・・

二人そろって5時起き、彼が6時30分、私がその15分遅れの出立。

何とかこなして行かないとどちら様にも、寺にも大恥をかかせることになりますから、特に遠方の出仕には緊張感が伴います。

何せ初めての会場というのが常で、案の定私は会場前を何度も通り過ぎてしまってあたふたする始末。

 

新しく出来た会場とのことで私の車載ナビには登録がなく「パッドのヤフーナビをもってくれば」と現場付近で地団太。

事前にグーグールマップでも場所だけは確認していましたが無意味。20分ほど到着予定時間をオーバーし開式予定の15分前という失態。

 

奥方に逐一状況を説明し、自宅からのナビゲーションを依頼していましたので息子にもその醜態はモロばれで叱られました。

近くのコンビニに車を停車、降りて足で走って探しましたので現場に当たった時は待ち構える担当者の前で「ハーハーぜいぜい」。「車を取ってきます~」

何のことはない、通り沿い、そのコンビニの隣が会場でした。

嘘のよう、まったく気が付きませんでしたね・・・人はそれを阿呆と呼ぶでしょう。

 

何故焦るか・・・それを分析すれば・・・

「新しい建屋」「ナビに載っていない」の情報が頭に摺りこまれている中

①もしかして知らされた住所情報に誤りがあるのでは・・・の心。

となればまったく違う場所を探しているのではないか・・・の疑念

そして「遅刻してしまう・・・」の焦燥

②住所情報に入れたこのナビはまともに示しているのか・・・

③間違ってナビ入力をしてしまったのでは・・・

すべて「疑心暗鬼」と見落とし、勘違いが原因ですね。

はじめての場所に向かう時、もう30分早めに到着を心がける・・・肝に銘じるべき。

 

不安が解消してハイテンションの坊主が「どーもどーもどーも~」の軽々しい躰で飛び込んできて、「さぁ開式」となってもねぇ。ご遺族にも斎場担当者にも申し訳がつきません。

ご主人を亡くされた奥様(施主)のご挨拶での第一声は「髪の毛があるんですねぇ」。

「そこか・・・」と思いつつ、伺えばご主人の出身が尾張のご門徒の家から出た方で、ご家族の住まう地域では殆ど関りが無かったよう。

故人は洋画好きと伺っていましたのでその手の話になれば・・・と期待していましたが・・・棺の中には故人の愛好品の数々(模型等)のほかWOWOWの冊子が。なるほど。

 

まぁその質問が出る時はまた、「ホントにこいつは坊さんでイイのか?」の重大疑義の存在が無いとはいえません(否 絶対にあります)。

こういう時にはと小山紙店で作って頂いた「まともな名刺」を出して信用確立を促します。

「まとも」とは以前の私のそれ、パソコンで作った和紙製のものではないぶ厚い名刺だということ。

そして真宗の大抵の坊さんというものについて「髪有り〼」を力説するばかり。

また、こういう初対面の会場には進行責任者との打ち合わせがありますがまず「最後に御法話はありますか?」と聞かれます。

しかしまた「法話ナシもアリなのかよ・・・」とも思いますがね。

 

真宗で最後の導師の挨拶(いわゆる法話)がナイというのは聞いたことがありませんが(お隣の真宗のお寺さんからは「1時間話せ!!~ムリです・・・」とも聞かされたことが・・・) 、もし、そちらで私が「法話はナシです」など言ったとしたらその疑念は相当深まったのかも知れませんね。

 

その名刺の存在は大きいですよ。

与えられた少ない時間で「私」を表現してくれるのですから。

また皆さんは100%所在をググりますからね。

 

最近ではお話の際にちょいと一般的には難解な仏教用語などを示したりすると手元のスマホをいじくる姿を見ることが多くなりました。

デタラメを吹聴したらスグ、バレる・・・。

 

扨、石山寺本堂は蓮如堂のスグ上。

やはり懸造です。

天然記念物に指定されている珪灰石の岩の上にあるから石山寺というようですが、堂内は撮影禁止。

 

 

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2024年

11月

08日

石山寺蓮如堂といえば吉崎岩崎観音を思いだす

朝はそれなりの秋の朝の空気でしたが、空は晴れ渡って気温はぐんぐん上昇。

朝のうちに着ていたトレーナーは脱ぎ捨て以降ずっと半袖ですごせました。トーキョーは木枯らしが吹いたとのことでしたがまさにどこ吹く風の躰。

 

午後からは、たまりにたまった花ガラ(4袋)を地頭方処理場に向かいました。

そのついでにということで、数日前の足場設置の際に門前の木が伐採されていましたがその山積みを軽トラに積み込みました。するとスグ、奥方からマキの木の枝払いのあれもこれもを指示を受けました。

チェーンソーを久々振り回したのでしたが、先日手入れをしたばかりとあってスパスパ。気持ちよく仕事が進みました。

 

しかし、Myチェーンソーが瞬時にエンジン始動するというのは非常に満足です。そして想像。

就寝時物音がしたら、むんずとばかりコレを握りしめ一発始動。闇雲にぶん回してやれば闇バイトレベルの小僧ならば一目散で逃げ去るでしょうね。

何しろあの張り裂けるが如く大音量は威圧感があります。

おまわりさんには「たまたま居間に置いてあったので・・・」。

そういう家もある・・・こういうご時節がら、枕を高くして寝れませんのでこれも一考。

 

扨、昨日は石山寺蓮如堂を記しましたが、私は風光明媚な吉崎御坊を思い出します。

御坊にはやはりお東とお西の建屋が隣接していますがお西の方の下の崖に岩崎観音なる石仏がありました。

ご門徒の多い地で、阿弥陀仏一仏とはいいますが、観音信仰も根強く並列してあったのでしょう。

やはり縁日は18日でした。

 

しかし石山寺の如意輪観音は今や「33年に一度」の如くその開扉について言われていますが当時はちょいと行ってちょいとその顔を写してくるなどができたのでしょうね。

 

 

 

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2024年

11月

07日

懸造の重文蓮如堂 石山寺 

アメリカ第一と他を罵倒する大統領殿の復活、私の勝手な予想は大外しでした。

米国人がそれを選んだということで文句など言えませんが、今後世界中がそれでギクシャクすると思うとこれから4年間は忍辱の時間。

それにしても移民としての先取特権を得た者たちがさらなる移民を排除する構図、それこそが人間、それを思います。

まぁ、その4年、私は勿論、大統領殿の命が続くものですかね。

私は最近よく聞く「人生100年時代」について「真っ赤なウソ」と心得ていますので。

私であっても健康維持というものにに自信が失せているのに。

そしてやはり女性大統領はまだ早いというのがその流れにあるのでしょうね。結構にアメリカ民意は保守的でした。

 

息子は早くからトランプ勝利を予測していたよう。

ビットコインでの貯蓄をしているとのことで、その結果を受けての高値にニヤニヤしていました。

私はその件チンプンカンプン、この世の流れにはもはやついていけません。

 

昨日は久し振りに息子と二人で葬儀式に出仕。

前夜の通夜での正信偈について、それぞれの音程の違いが著しく、参列者からすれば「相当聞き苦しい」だろうとの息子からの指摘。

私の高音と息子の低音、そして音響を重視して設計したであろうホールでのその響きの違いは相当の違和感があることは私も承知していましたが・・・。

 

そこで昨日は前夜の反省から朝からずっと彼の低音を主体にした読経を試みました。私が沈黙していればそれでいいのですがそういうワケにもいかず、できるだけ低音を心がけました。

御文の拝読と最後の締めのご挨拶は私が行いましたが、慣れない抑えた低音発声に音程を外しまた、声がすれが発生。

まぁ彼が機嫌よく出仕してくれるならそれでOK。

彼も御門徒さんから、お褒めの言葉を戴いていました。

彼の成長の件もありますが誠に有難いことです。

私が老いぼれてへこたれて倒れたとしても・・・彼がいる。

そしてそれを御門徒さんが喜んでくれる・・・

 

画像は昨日記した「大坂」(階段)周辺の堂に上がり切ったところにある「蓮如堂」。

近江といえば蓮如さんの活動域でしたから、当然に何かの痕跡があるはずですが、御堂にまでその名が付けられて・・・真宗門徒にとっては嬉しいところです。

崖にせり出す御堂。

いわゆる懸造という建築様式になりますね。

 

それにしても京都奈良近江には懸造の堂が多く見られますが、それらが崩れたなどあまり聞きません。

地震が少ないということ?それとも耐震建築であるということ?

一見していかにも脆そうに感じますが。

 

 

 

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2024年

11月

06日

石山寺「大坂」を登りきると・・ 朗澄律師大徳遊鬼境

先日の法要前のこと。

庫裏男子トイレ前に掲げる名号の軸が少し傾いていたため、修正を試みると、フックから外れ落ちました。

掛軸が頭の上に落ちてくること自体が「ムッと」する出来事。

尚、時間が迫って「イラっ」としつつ掛軸掛け用の竹竿を取りに行きましたがそれが梁の金物に付ける仕様でしたので壁フックには口が深すぎて掛けることはできませんでした。

 

それでは脚立をとそれを取りに行きかけた時、法要参加の年配者が登場。

「トイレを」ということでしたので「(女性用は)こちらです」と手でサラッと案内してその場を離れました。

脚立を持って戻ると男子トイレ前の床にあった軸が乱れていて「なんだこりゃあ」と思っているとその方は男子トイレに入っていることがわかりました。もしかするとその軸を踏みつけて入ったのかも・・・男子トイレに入るならどかして置いたものを・・・

 

しっかりした案内をしなかったことを悔やみましたが、気を取り直してそれを掛け直し、脚立を片づけてからトイレ前に戻ると、奥から「今の方は土足で出てきたよ」。

朝からショック3倍のダメージ。

庫裏の中は土足はダメ・・・と記さなくてはイケなかったのだ・・・と早速奥方は外側の扉にその旨記していました。

外トイレの完成が待ち遠しい。

 

扨、石山寺の大河ドラマ館の入口で忙しくしている担当者を一瞥して前方右の「大坂」と呼ばれる階段を進みました。

ご一緒したご門徒さんから「コレがきついんだ・・・」と膝の痛みについて。

山寺につきものの階段、堪忍ください。

どこもかしこも階段―大坂―だらけ。

 

それを登りきると、何かのイベントの撮影があって賑わっていました。

やはり大河ドラマのスポットとなれば各イベントが催されて賑やかになるのでしょうね。

 

④⑤は朗澄律師大徳遊鬼境なる池のある庭。

これは東大門の外側の道路沿いにあります。

鬼となって守護する・・・勇ましいことですが柔和にあってもその目的は達せられる・・・などと思ったものです。

まぁ人それぞれ「道」というものがありますからね。

 

夕刻は拙寺にとって数少なくなった「有徳なる人」の通夜式へお参り。当然の事ですが、長きに渡って法務にあたれば、この寂しきことの数多は避けられません。

生きていれば生きているほどに。

 

 

 

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2024年

11月

05日

空しい修行 芭蕉句碑に石山貝塚 石山寺観光バスP

闇バイトの勧誘の口上が報道されていました。

「ホワイト案件でノーリスク」との大風呂敷、そんなわけあるわけがない。大嘘もいいところでその出鱈目いろいろにのる方ものる方ですね。

「 (より多くの~For a Few Dollars More~)カネが稼ぎたいなら・・・」と「空き巣」に誘導する作戦ですね。

そこで出てくる語が「独り暮らしのババァ」(しかいないので)との楽勝ムードを漂わせる台詞でした。

実際は屈強の男が出てきて日本刀を振り回されたり、大騒ぎされての退散など耳にすること。

 

どうでもいいからどちらでもテキトーに襲わせてうまく大金がゲットできたら大成功。失敗したとしてもリスクの殆どは実行犯のみが捕まるだけですから本当に安全でラクなのはそれを企図セッティングした者のみですね。

勧誘にのって、のせられした雑魚どもが捕まったとしても、再びまた集めれば「イイじゃん」といった感覚でしょう。

よって「本尊」を捕獲しないとこの流行は終わらないのかも。

 

しかし政治家の「真摯に」を信じないのは最近の雰囲気ですが、悪党どものホワイトだとかノーリスクの御説に「ハイそうですか」とばかりに信じ込むなんて・・・どうかしているというか「道化」している・・・。

 

先般、12000円余を奪ったという実行犯が逮捕されていました。

強盗傷害罪で起訴されるのでしょうがその前にタイホされていた強盗殺人罪の無期懲役よりはまぁマシ。

しかしながらその果実として得た物が15年の懲役(18年かも)というのでは如何にも空しい。

 

昨日記した石山寺本尊ご開扉の33年には至りませんが、15年~振りの娑婆世界など殆ど仏の世界ですよ。

長期に渡る「修行」の時間があるのでしょうが時間の無駄使いなのかも。無意味な時間。

 

ポイントは「空き巣」程度で入ったつもりがそこに住人がいたら話は飛躍的に変わってきます。縛りあげた口を封じたとしましょう。

抵抗されたらぶん殴るでしょうし、力任せに縛れば打ち身擦り傷は当たり前。

よってまずはただの空き巣では済みません。

人がいれば窃盗ではなくて強盗に瞬時に変わります。

かすり傷を負わせれば強盗傷害、何かの拍子で命を奪えば強盗殺人。とんとん拍子で罪は重くなる・・・バカはやめることですね。長期間自由を奪われるというペナルティ、代償もデカイ。生きて出られないことも多し。監獄で死ぬ・・・どうよ。

 

扨、画像は石山寺の東大門の外の様。

観光バスの駐車場降りての図です。

芭蕉の句碑に貝塚の標そしてありがちな三鈷の松が。

芭蕉はこの辺りへは何度か訪れていますね。

 

 

 

 

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2024年

11月

04日

石山秋月の地は大河ドラマフィーバー 石山寺

晴れの予報でしたが、なぜか9時前の小雨には驚きました。

まぁ、大したことなくその後は晴れ間ものぞきましたのでOK

OK。

子供たちの多い法要でした。

終盤暴走ギミになりつつありましたので例によって棒切れを取り出して「コレはお尻を叩くもの・・・ではない」などといいながら年長の男の子にそれを渡すと、何故か私かそれで叩かれそうになったような・・・

慌てて「あの太鼓を打ってね~」。

子供たちは我も我もと交代でハチャメチャにそれを打っていました。

 

相良城二の丸にあった太鼓櫓の刻(時)太鼓と言われていますので気の利いた自治体であれば文化財の指定があってもいいような代物かも。

それを子供たちに「どうぞ~」という具合に自由に打たせること、人によっては違和感があるかもしれませんが、そもそも太鼓は打ってナンボのもの。

皮はとっくに張替えの限度を過ぎているでしょうから、破れたとしたら張替えればイイだけ。

実はその機会に内側に記された出自文言記述を見てみたい・・・という魂胆も。側の木の部分に穴をあけてファイバースコープを入れれば・・・といった意見もありますが、それまでして中を覗きたくもなく。

子供たちには年末は「もっと大きい鐘がつけるよ~」というとお母さんたちも含めて「衝きに来たい~」と。

 

扨、石山寺の山門をくぐります。

それほどの長さを感じませんが平たんな参道が続きます。

その途中に現在NHKで放映中の大河ドラマ館に各拝観のためのチケット売り場が待ち受けています。

シンプルといえ難い、そして瞬時にどれをと思いつかないその「セット」とかいう内容各々を見てまずは唖然。

後ろから次々と観光客が並んできますので、その選択にはかなり慌てさせられました。

 

ここぞとばかりに・・・といったところでしょうが当地相良の場合(次回大河ドラマ「べらぼう」)は予算的都合で「大河ドラマ館」級の施設ではなく入館無料の大河ドラマ紹介コーナーを併設した売店。

相良史料館の使用ですが、いよいよ1階と2階のトイレの改修工事が始まるようです。

 

こちらでの私はドラマ館はパスしましたが入館された方たちの意見は「・・・」でした。

こちらは近江八景のうち「石山秋月」で名高い場所。

それを実際に見ることは本尊如意輪観音の御開帳(33年に一度 次は20数年後)同様ご対面することはないでしょうね。

 

まぁ石山寺ホームページにしろ大津市歴史博物館など歌川広重の石山秋月など見ることができます。

 

 

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2024年

11月

03日

岡部氏と朝比奈氏 藤枝郷土博物館 バックに寺名

午前の法要終了後「さぁお墓参りに」と私が軽やかに発すると「墓地迄の道はぬかるんでドロドロだけどいいんですか」と

施主ご家族からの問いあわせ。

小雨ながら傘も必要でしたからね。

鬼女原の墓地は駐車場から農道を突っ切る茶畑の中ですが勿論私は「問題なし」と。

とはいっても年配者も多い中それは皆さんでご判断を・・・と付け加えました。本堂での追加読経によって墓参の代わりにしようというものです。

 

すると雨の勢いは少しばかり衰えたようで皆さんより「GO」のサインが出ました。

午後からも同じ鬼女のお宅でお取り越がありましたが午後は雨はやんでいました。

それから夕刻になって雨量は強め。

風も吹きまくって遠州から伊豆にかけて大雨と竜巻注意報が出たほどでした。

被害状況に関してはまだわかりませんが、台風21号崩れの低気圧の通過、当地に限ってはそれほど大したことが無かったと軽口を叩かせていただきます。

驚いたのは庫裏の室温は25℃程度でしたが外気はおそらく27~8℃はあったでしょうね。さすが台風崩れ、熱帯の暖気をもたらしました。雨がやんだあとは室内も暖気が入ってきたため扇風機をオン。11月に扇風機、記憶にありません。

ここ数日は好天の予報が出ていますが、ようやく秋晴れが続くような・・・

 

昨日は静波体育館の文化祭で、史跡調査会の「意次せんべい」とお酒「田沼意次」を並べていましたが、せんべいの販売は14個、お酒はゼロだったそう。

この文化祭について私はまったくイメージがわきませんが、昨日記したちらしによれば、意次関係のショップの展開には無理があったのかも知れませんね。

他に物品コーナーが設けられていなかったことと、出店場所の立地もあまりヨシとはいえない場所だったかも。

 

私はそれでもせんべいの14個の販売は「善戦」と思いましたね。

店に出たご担当が、榛原地区の人たちは・・・来年の大河ドラマ「べらぼう」について知っている人は「殆どいなかった」と。

まぁ放送が始まってからでしょうね。

そういうところからして掛川あたりから来訪者が多く来られるというところと比べて当地域の歴史への理解度が低めなのかも。外部の方ほど「いいね」と言ってくれるているのに・・・

 

画像①②は藤枝郷土博物館の特別企画「岡部氏と朝比奈氏」。

現状のんびり博物館参りはできませんが、12月までには顔を出したいと思っています。

 

③④は先般ご紹介した拙寺オリジナルエコバック。

当初は息子から「ゴチャゴチャ記しすぎ」の指摘を受けていたことと、宗旨的な文言に拙寺の名を入れることなど図々しい・・・などと考えていましたが、最終サンプルが出ていざ「大量印刷に入ります」の段になってから奥方から「ちょっと待て」のストップがかかりました。

 

以前小山氏からご指摘があった通りで、何か記さなければ「拙寺のお土産にならない」ということでした。

ということで小さく小さく文字が潰れない程度の大きさで「道」の上に「daitakuji」と入れさせていただきました。

 

16日の報恩講と17日の産業祭で販売することになりそう。

まだ完成品は届いていませんが。

 

 

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2024年

11月

02日

文化祭と産業フェア2024 GasOneアリーナ牧之原

午後からの雨予想のため早めに境内に出て動きだしました。

テラス1階の作業場で電気配線の工作をしていると急な法務関係の連絡があって一瞬間右往左往しつつも何とか対応させていただきました。

 

その後も先日承った墓じまいに伴う、お内仏閉扉に墓前法要の日取り等々その流れについての詰めのための来訪がありました。

この日は11/2~4日に催される文化祭へ史跡調査会が製作した「意次せんべい」の出店がありますのでその準備のため備品等を納めに静波の市の体育館に向かうことになっていました。

 

その予定が15時過ぎでしたが、雨に降られると備品の販促用の旗が濡れてしまうため、時間を一気に早めて午前中に。

現着してみると旗竿が長すぎて入口周辺(そちらで販売するとのこと)の低い天井ではムリと判明、急きょ鋸をお借りして対策するなどちょっとしたトラブルが発生しましたが、難なく改善。

 

当日は私以外の会員さんがそちらの販売員のお役目となりますが、それはここ連日に私が法務のために自由にならないからです。

そして午後2時からは「GasOneアリーナ牧之原」の会議室で催される「まきのはら産業フェア2024」の出店者説明会に。

その開催日は11月17日(日)9時~15時ですが、史跡調査会の出店があります。勿論、私がそのイベントに関わることは初めてのことです。

今回は以前よりそのイベントへの参加を意識していましたのでその日には法務は入れていません。

またその新たにできた「GasOneアリーナ牧之原」の内部に入る

こともお初の事。

このイベントはこれまで相良庁舎周辺の駐車場等で展開されていたそうで今年から開催場所の移転がなされそれが第一回目とのことでした。

昨年は60件程度の出店だったそうですが今年は100件弱。

相当拡大しているよう。

 

箱はデカくてキレイで驚かされましたが「きっと維持費も法外だろうな・・・」というのが第一印象でした。

おっちょこちょいの私は土足で入ってしまい、ご指摘を受ける始末。注意力散漫は齢のせいではありませんね。

 

今私が検討していることは「意次せんべい」だけでは寂しすぎるということ。

このほど寺で作ったエコバックや無量寿茶、これまでご門徒さんに配布した手ぬぐい等を並べてみようかと・・・

一応その件、事務局に確認すれば「何を販売しようが自由」(各責任をもって)とのこと。

それなら婦人部の皆さんにも声をかけようかと思いついた次第です。

 

食べ物屋さんも多く入りますが、ちなみに私の入るブースのお隣さんたち3件づつを羅列すると真面目一本やり。

 

83 牧之原市社会福祉協議会

84 リサイクル本販売まきのはらし図書館友の会

85 ようこそ!新しい学校へ 牧之原市教育委員会

86 意次せんべい

87 牧之原市大河ドラマ「べらぼう」活用推進協議会

88 和紅茶、茶染め、シーグラス、相良高校I-Bizビジネス部

89 榛原高校

 

奥方のその感想は・・・「暴走坊主を監視するため」だそう。

バリエーション豊かでお楽しみ満載の予感がします。

 

アピールが肝心、よって衣を来て行こうか・・・コレは「奥の墓道」氏に言わせれば「コスプレ野郎」。

 

①は文化祭の案内 ②~はGasOneアリーナ牧之原。

 

 

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2024年

11月

01日

気が咎めるが野盗・盗賊には無慈悲に 石山寺東大門

少々の晴れの時間はありましたが、雲が多くスカッとしませんね。

鉢植替えの作業とテラス2階への植木の受け入れ準備を。

ハイビスカスの小鉢が増えましたのでそれらの越冬の準備もあります。

これは成り行きで挿木を増やしたため。

いくらでも増やすことは可能ですが、彼らを生かそうとすればつまるところ自分自身の首を絞めることになります。

 

台風21号崩れの低気圧が西から列島を東進するようですが、彼ら熱帯性植物たちには冷たい雨の試練が。

今回はその台風は台湾に向かいましたがそれは運不運。

あの手の強烈台風が私ども東海地区に襲来するとなれば、ここ数日ののんびりは無かったでしょうね。海からは波濤の不気味が聞こえていました。

 

相も変わらず闇バイトの召集に応じてバカバカしいほどの犯罪にGOする若者たちの存在、自業自得とはいえ気の毒のような気もします。京都の大学生が出頭、逮捕されていましたね。

ただし「独り暮らしの年配者」というソフトターゲットに狙いをつけるという卑怯道にはやはり同情の余地なし。

 

先般、カッターナイフをちらつかせて強盗に入った若者に、自宅に居た方が日本刀を抜いて対抗した方の話を耳にしましたが、天晴れですね。

あの長刀を目前にスパッと抜かれて突き付けられれば大抵の「大口叩きの輩」は「ハイごめんなさい」となるのは必定。

家人がその姿勢を以って「大人しくしろ!!」などドスの効いた音声を吐けば大抵の者は硬直して戦意喪失するのは当たり前ですね。その際も鎮圧に成功したといいます。

 

私の思うところ。

一昔前は、自宅に居る者が突然強盗に強襲されたとして、刃物を持ち出して強盗に傷を負わせ、また死に至らしめたとしたら「過剰防衛」にて御咎めを受けることに。

面倒に巻き込まれた挙句にですからね。

しかし今はどうでしょう、闇バイト強盗と言えば殺人に至るケースも普通になりました。

 

いよいよ末世としか言いようがありませんが、腕に覚えのある方血の気の多い方もいるでしょう、ここは一つ対抗手段のあれこれについて検討すべきですね。

もし強盗犯を傷つけてしまったとしたら・・・「殺されると思って咄嗟にそれを振り回していた」「家族を思いつつ抵抗せざるを得なかった」「必死で我を忘れていた」を理由にすればいいのです。

 

凶器について台所以外の場合「何故に」と問われるでしょうからその時は「先日果物をここで切って片づけるのを忘れていた」など適当な事でゴマ化しましょう。

日本刀の場合は寝床に飾っていたとしても不思議はありません。刃物・バール・バットの類は「片づけるのを忘れていた」「たまたまそこにあったそれを振り回したのは恐怖のどん底に陥って殺されると思った」・・・それしかないでしょう。

 

それらは通常の思考でしたら誰でも考えつくところですが、それでもこれから強盗に入るの?  

そして強盗殺人罪で逮捕された者たちは先日も記しましたが最低でも無期懲役というところ。

 

最近の場合、特に模範囚でもなかなか仮釈放のハードルは高くなっています。要は寿命が尽きるまで転々と刑務所を渡り歩く人生。

むしろ強盗未遂で反撃されて痛い目にあうことの方が断然お得です。相手にケガを負わさずそれだけで済めば7年程度で出所できますから。

 

しかし、遮二無二それら凶器でぶん殴られ、斬られたとすれば死ぬかもね。

過剰防衛として強盗犯の弁護士に攻め立てられましょうが今の時代は情状酌量で罪となっても収監にまでは至らないかも。

やっちまったらゴメンね。

 

私がそれをやらかせば一応本山は僧籍をはく奪するでしょうがそれは息子に譲る機会が来たと受け入れます。 

強盗犯には徹底抗戦。寺を専門に襲う輩もあるそうで。

まぁ相手次第で話は聞きますがね。

 

「自警」「夜景」が必要な世なのか・・・

私は現状の闇バイトの醜悪どものお気楽おバカ振りに鉄槌を下して目を覚まさせてやりたいと仁王の風の心持ちで願っています。坊さん失格です。

 

扨、昨日も記しました石山寺東大門。

淀殿の力で再建されたと・・・

 

 

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2024年

10月

31日

石山寺の18日は市が立つ 観音さんの日 

午前の雨はやんで、少しばかり庭仕事をと表に出ていると例の叔父の教務所への提出書面が届きました。

私の署名捺印をし、組長さんの署名捺印を依頼するために掛川まで急きょ走りました。

 

しかし「これで岡崎教務所まで・・・」という風にはなりませんでした。

貴重な晴れの予想がありますが「そこで」と奥方に伺いをたてるも「ちょっと待て!!」。

高速代+ガス代使うのもアレだが「お前の事だからついでに寄る場所を決めているだろう・・・」とのご指摘を受けてしまいました。まったく図星。

 

その奥方の主張は岡崎まで行くなどもってのほか、書類を送って指示通りに入金すればOKなのでは・・・というところでした。

その件、電話で問い合わせたところ問題なしでした。

見破られていた岡崎行脚。

帰りに法蔵寺あたりに寄って正義の五輪塔に挨拶しようと思っていましたが・・・。

まぁこちらに行ったら行ったで奥方の文句は尽きませんが。

 

扨、先日の拙寺バス遠足は10/17・18でしたが、オオタニサンの背番号17と大谷祖廟と大谷大学博物館に向かいますので「オオタニの日」などと車内吹聴していました。

しかしその10月17日の年一回の南円堂不空羂索観音、18日の石山寺の本尊如意輪観音・三井寺の観音堂その他観音づくしということで「観音の日」でもありました。

六角堂本尊も如意輪観音でしたね(昨日)。

 

石山寺では18日は毎月その観音の日ということで市が立つことになっています。

石山寺東大門周辺にはそもそも既存の土産屋さんがありますが、それらに混ざって簡易店舗が並びます。

私どもは石山寺門前の店で昼食をとったばかりでしたので特に何も口にすることはありませんでしたが。

 

昼食は旅行会社にまかせていたため、その流れになったのでしたが、むしろ駐車場で解散してそれぞれが好きな物を選択した方が良かったと反省しきり。

 

 

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2024年

10月

30日

叔父たちに本堂床材について伺う 六角堂の親鸞堂 

一日中雨。天候不順が続きますね。

10月といえば晴れが続くイメージでしたが・・・まったく梅雨空の如くで・・・やりたい外仕事がどっさり残っていますのでコレは焦ります。

一昨日はブラジルの自宅に帰る叔父夫婦と昼食後に分かれたのでしたが僧籍の除却もありましたが、心に秘めた何かがあったような気がします。

そう簡単には行ったり来たりができない距離であり「もしかすると・・・」といった気持ちもあっのでしょうね。

「またね~」と言うと「今度はそちらがサンパウロへ来て」

私は苦笑いするだけ。

日用品を買いに出るのに50㎞車で・・・想像を絶するスケールです。名古屋往復が平チャラのワケです。

 

その雰囲気を察していた兄弟たちが・・・やはり私の叔父叔母になります・・・2週間程前に墓参と本堂にお参りのために集まりました。

 

私はこの際、以前から疑問のあった本堂床下のほぞ穴について知っていたどうかを聞いてみました。

数年前に田沼関係の見学者多数に対応するために照明器具を設置していました。

実はその相良城解体後の中古材として推測できる木材について父も祖父もその件、私に語ったことはありませんでした。

まぁ父も祖父も本堂の内部についての詳細は熟知していても床下のことまでは知らないだろうと思いましたが(二人とも床下に入って仕事をするような人ではありませんでした)。

 

そこで私より古い時代、父や祖父健在の頃、その件知らされたことがあったか、そしてそれぞれ床下に潜る遊びの中でそれに気づいていたかについて聞いてみたのでした。

すると父も祖父も叔父叔母たちも「知らない」「気づかなかった」でした。

 

予想通りのなるほど。

松平定信のお触れの通りに大澤寺の建設を遂行すれば相良城破却材の使用は咎をうけることになります。

ところが何と言っても建築費については幕府系の資金が入っていることは違いないところです。

当時の拙寺ご門徒の件数では絶対に不可能な額だからですね。

それは現在でもムリと思えるものです。

現在の価格で6~7億円との指摘がありますから1戸あたり600~700万円の寄進依頼ということになります。

その時代の経済状況から考えてもそれをやり遂げることなど天と地がひっくり返っても無理な話です。

 

そこに幕府からの資金と後押しがあり材料の調達が容易く行われたというのは三代目祐傳の父(成瀬藤蔵正義)が三方ヶ原で戦死したからです。

江戸期に東照宮(徳川家康)の最大の危機といわれる三方ヶ原の戦で死したという事実は畏敬の念で讃えられたのでした。

まぁそのことだけ、三方ヶ原戦死者の菩提を弔う寺という旗印だけで江戸時代を安楽に過ごさせていただいたというのが拙寺だったということ。

 

その大澤寺建築材は以前相良城建築の際に余分に確保した、いわゆる余剰材の使用があったのでしたが、同時期にたまたま有り余る相良城廃却材も溢れ出てきて、それをご法度ながらどこかに残そうという意図が働いたということでしょう。

 

それは本堂内部の外陣と内陣を隔てる結界の柵にさりげなく相良城で使用されていた旗差し―竹竿―が転用されているのと同じです。真宗寺院にその手の結界柵の例はありませんので。

こっそり遺そうという意図が働いたかと。

厳密には色々な場所を迂回して拙寺の材として使用されたのでしょうね。近すぎて直接搬入したらモロバレですからね。

 

ということであの明らかに「大型建築物の梁などの中古材」を相良城破却材の証として皆さんに見ていただくようになったのは2019年頃ということになります。

それまでずっと伝承のみだったということですね。

 

扨、本日も六角堂(昨日)。

そちらへのお参りといえばまずは親鸞さんのところへ・・・と門を入って右方向に。

そちらには親鸞さんの銅像が立っていますが、今回気づいたのは親鸞堂の存在です。

以前は気づきませんでしたから新しく建てられたのでしょう。看板にもその存在についての記述はありません。

 

100日の参籠に観音さんの夢告。

こちらのご本尊は如意輪観音ですから、よりキラキラの女性を連想してしまいます。親鸞さんも隅に置けないねぇ。

 

 

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2024年

10月

29日

赤い布を纏った石仏たち(閉口) 六角堂

午前は約束の時間10時に3名の方々がお越しになり本堂にて談合。

これもキャリアハイでした、

今月4件目の墓じまいの件での来訪です。各遠方からお集まりになっていましたが、代表の方は九州在住でしたのでその話になるであろうことは覚悟していました。

 

もう止まりませんね、この流れは・・・。

暑い夏が終わって「動くにはちょうどイイ」といったところでしょう。まとまってきました。

私?・・・すべておまかせ、「OK  OK」で。

それに抗う術はナシ。

 

午後からはブラジルから来日している叔父夫婦が再び。

そろそろ80歳ということで僧籍を返上するための手続き書面を持参されました。

添付する準備書面と教務所提出の書面二通の「願事礼金」が何と金5万円。書面に記されたその額を見て唖然呆然。 

坊さんをヤメる(還俗)手続きに大層なおカネが必要になるとは知りませんでした。

 

書面が揃い次第、私が組長(掛川のお寺)に承認印をいただいて岡崎教務所に出向く事になります。

しかし疑問に思うのは、これまで(宗旨教義に沿っての活動)「ご苦労さん」ではなくて逆に礼金を納めるとは・・・いやはや。

数日中に名古屋空港―羽田―フランクフルト―サンパウロと乗り継いで帰宅するとのこと。

時間も要しますが、運賃もかなり嵩むでしょうに。

夫妻の娘の運転で当地までやってきましたが、彼女は名古屋の領事館の仕事。名古屋往復など平チャラと言っていましたがまったく忍耐強い。居眠りしないでね・・・と別れました。

その叔父の奥さんの旧姓は広島出の「能島」氏。

「村上海賊の血が流れている(吉祥寺の叔父の談)・・・」間違いない・・・

 

扨、六角堂

堂の脇には例のありがちな衣を着せられた石仏たちが並べられています。私はコレ、どうしても嫌悪感しかありません。

本来の石仏の雰囲気を壊しますし着眼すへきところを隠してしまいます。

後世の人為整列となりますが、直近の作も見えますが案外と古め(室町期)を惟うものも。

 

 

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2024年

10月

28日

池坊の太子堂の池 白鳥は噛むの? 六角堂

昨日の世話人会の欠席者はなんと一人だけ。

これもキャリアハイ。何より有難いことです。

日曜日の午後、各大切な時間をお寺の寄り合いに集まってくださる・・・感謝しかありません。

それもこれもすべてご開祖親鸞さんと阿弥陀さんのおかげ。

おしゃべりしている背後に控える諸仏から「お前、しっかりしろよ~」の声が聞こえてくるよう。

 

午前は法要+お昼にお斎そして午後からの世話人会のためにこの日のお弔いは息子がピンチヒッターとして向かいました。

いずれは正副逆転のタイミングが訪れますので、そのときは私が代打出場させていただくことになります。

これで私の代務としての彼の法要は3回目。

いよいよ彼に一所懸命に気張って向かっていただきたい。

20、30代はまだまだガキと同じ。それは私が未だ「そんなもの」だからわかること。

 

扨、このほどのバス遠足での京都のホテル絶賛の件、記しましたがそちらの画像の②③が六角堂方向の図でしたが③図に六角堂太子堂と池坊の池に浮かぶ白鳥が見えました。

朝6時前のそれは首を体の上に載せて池の上にプカプカ浮いている様でしたが、しばらくして首が戻っていました。

それは六角堂の開門時間で内部で人が動き出すからでしょうね。

 

私どもは前日の閉門直前にそちらにご挨拶して尚翌朝食事前にもお参り。

そういったお気軽さがこのホテルの良さでもあります。

こちらはハトをウリにしているようで、ハトがやたらと飛び交っています。

ちなみに拙寺に来るハトは山鳩オンリーですが。

 

ニヤリとさせられたのは「白鳥が噛む」の件。

「ホントかよ 何かくれてみろ」と奥方の背中を押すも「お前がヤレ」。

しかし何処かに飛んで行ったりしないものか・・・それも不思議。

④は池から見たホテル。

 

 

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2024年

10月

27日

美と用の煌めき 大谷大学博物館 集合写真はこちら

この土日には予定が詰まっていて御訃報の対応ができず、息子を呼び寄せることを提案しました。

勿論先方の了解を得てのことですが、先延べになるよりもできるだけ早くというのは施主の心情、すんなりとその運びになりました。

今回はどちらの家族葬専門のホールも先約があり、新しく煌びやかで大きな施設での法縁ということになりました。それでいて「家族葬」といいますからよくわかりません。

彼はその施設でのデビュー戦ですので一応、場所やら控室やら入退室の進路の件いろいろを伝えました。

 

「家族葬」なる括りが最近妙に増えましたが、式の進行において特段これといった違いを設けていません。

要はすべて同じということですが、それでいて私と彼ではその内容と進行がまったく違います。

それはそれでよろしいのですが、ハッキリ言って彼の通夜の読経時間は私の2.5倍?といった感じ。そして葬儀式は意外と短いということ。要は葬儀式と初七日法要で拝読する経典を通夜に持ってきているということか・・・

 

彼には彼のやり方というものがありますのでそれはそれで尊重しなくてはなりません。

その一連の流れと私との違いについて少々戸惑いましたが、まぁうまいことやっていただければそれでヨシ。

そうあればいよいよ安心しておさらばすることができるというもの。ジジイはすっこんでろ(自虐)~その通りです。

 

扨、表記は大谷大学博物館の特別展「美と用の煌めき」。

拙寺のバス遠足初日17日のラストの行程でした。

烏丸通の六角通交差点近くのホテルを脇に見て直進、北大路通を左折してスグにある大谷大学の正門。

この路上④でバス遠足参加者に整列いただき門柱をバックに集合写真をパチリ。

他のお寺の門前等、その手のものはどちらでも良かったのですが、変人の坊主の企画らしくこちらで。

 

しかし計画性のない私はカメラをバスに忘れてしまい同乗の御門徒さんに撮影いただくほどのいい加減さ。

恥じ入るも笑って開き直るその厚顔ぶり。

そういう性分、お許しいただくのみ。

 

 

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2024年

10月

26日

興福寺駐車場「何人?」の語彙 中金堂

夕刻の庫裏の室温は28℃。やはり扇風機のスイッチをオンにしました。

太平洋上には新たに台風が発生したそうで依然空気は夏の様ですね。

あと少しで報恩講だというのに・・・

 

この時期周辺自治体の地区公民館クラスのくくりで集まった皆さんが拙寺の門を潜ります。

昨日は掛川の土井酒造周辺に住まわれる皆さん、20人以上の方々が本堂に。

この手の会の受け入れは史料館長谷川氏経由で承っていますが、各各よくこれだけの皆さんを集めらるものだと感心します。

 

皆さんのお帰りの際、「いつでもお気軽にどうぞ~暇にしている坊さん(私)を見つけたら声をかけて~」と。

お気軽お参り大歓迎ということで周辺地域からの皆さんを「どうぞ~」という感覚でお参りいただくというものですが、不思議なところといえば、地元牧之原市のその手のグループからあまり声がかからないところ。

先般は大沢地区の皆さんがご門徒さんの引率で来られましたがそれ以外の地区は今のところありません。

旧榛原地区の皆さんなどやはり相良という地にクールなのか、そういったツアーはありませんね。

今の私の感覚では牧之原市民の燃焼度が一段低いような・・・

 

扨、今年の拙寺のバス遠足は興福寺南円堂からのスタートだったわけですが、添乗員の私が心配したのはそこの駐車場にバスが駐車できるかできないかでした。

もしバスがとめられなかったら・・・イキナリ迷宮に入ります。

興福寺へのピンポイント拝観ならばその駐車場にバスを入れられさえすればあとのことはどうにでもなりますからね。

気がかりなのは南円堂の行列ですね。遅くなればなるほど行列は伸びそうであとに続く時間が押してくる可能性が。

一方通行の道をグルっと廻ってその駐車場へ。

ハラハラドキドキでしたが、さすが9時、まだまだ空きがあって一安心。修学旅行生の集団が見えなかったことは幸いでした。

 

バス用駐車場の料金所の方・・・作務衣のような着衣を付けてお寺の係員らしき様でしたが。

私は運転手の後ろでその「駐車できる」という事実に安堵してその係員との会話を傍観していると、その方は私の方に一声かけてきました。

それが「ナニジン」といった発音。

私は意味不明ですので「え?」と怪訝な顔をすると「だから、な何人?」と半ばキレぎみに聞いてきました。

ひっくり返りそうになって爆笑しながら「失礼過ぎる質問をされました~」と。

隣にいた奥方はじめ車中大爆笑になりましたがその当人はバツが悪かったかそそくさとその場を立ち去りました。

ちなみにバス正面には拙寺の名が掲げられていました。

 

運転手さんがその事情を解説してくれましたが、海外から来訪される人たちの人種・国名のデータを取っているとのことです。

それならそれで声掛けの仕方には注文したいところ。

「ナニジン?」なる質問を受けることなど私も初めての事ですが、その質問はあまりにも不躾、唐突、失礼千万です。

インバウンドの大挙に辟易している様はわかりますがそれではあまりにも情けない。

中学校の英語でいいので「興福寺にようこそ どちらからお越しですか?」を笑顔でできないものか。

この国を代表する奈良観光トップレベルのお寺の歓迎の詞、それが今度の奈良・京都ツアーのスタートでした。

 

①②バス駐車場料金所とバス停車エリアの間に国宝館。

④⑤⑥バスを降りて正面が中金堂。

左には改装中、覆いのかかった五重塔が。

五重塔を背にして少々、③⑥南円堂にあたります。

 

こちらの駐車場に入れるかどうか、それにかかっている興福寺。結構コンパクトです。

平地にあるところ、階段嫌いの人にはイイ。

 

 

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2024年

10月

25日

今年のお寺のバス遠足 「ホテルまた来たい」の声

おそらく今年これが最後とは思いますが、昨晩の扇風機に昼前からエアコンのスイッチをオンにしました。境内でお会いする方からは「暑いですね」の声が。

心地よき夏・・・という感じの10月24日でした。

私は朝から境内作業に役場関係などいろいろ動きまくっていました。

 

奥方は旅行会社への支払いに。

100万超えの請求でしたので集金していた参加費を搔き集めて入金です。当家の銀行関係、出納仕事は奥方専門。私はほとんど関知せず、「おまかせ」を決め込んでいます。

 

すると奥方から今回の遠足については8万円の赤字の現実を告げられました。

だいたいそれは出発の1カ月程度前に「今年はヤバイ?」の雰囲気を察していましたので「それだけで済んで良かったかも・・・」というのが私の第一印象でした。

前年のそれはコロナ禍明けで私の親戚筋の参加(母の納骨)もあって48人の参加者がありましたが今年は38名と10名の減。

出発1カ月前といえば35人で大型バス、ガラガラの感じでしたので2週間前にギリで3名の申し込みがあったことは仕合わせでした。

 

事前に総代にその件、ボヤいたところ、「後から参加者から回収すればイイ」とのことでしたが、それでは如何にも詐欺的です。あとから値上げというのでは後味が悪すぎですからね。怒られそうで・・・

昨年の場合は各3000円の返金が出来たくらいでしたが、全ての行程は私の企画でした。

岩船寺→わらい仏→浄瑠璃寺のルートがこたえたか「歩かせすぎ」のクレームが出たために今年は初日冒頭の興福寺南円堂以外はすべてツアー会社に投げてしまいました。

それが原因かもしれませんね。

もっとも「歩かせすぎ」と言っても寺を巡れば大抵はどこもかしこも古刹となれば山寺というのが常、「歩き」ということに関してはどうにもなりませんね。

わらい仏の野原や山道とは違って階段となりますが・・・

その階段を辛がる方も多くいらしたことは今後の課題。

しかし長谷寺だ談山神社だ室生寺だとどちらも階段だらけですからね。どこも行けやしませんね。

 

10名の参加者減によりその「▲」が出てしまったのですがこれはご納骨の参加者が少なかったというのも一つの要因。

バスのチャーターは1台単位ですので参加者の多少にかかわらず値段は変わりませんから。

ツアー募集の際に予め金額を提示しなくてはなりませんので要は蓋を開けて見なくてはわからないというのが常。

また最近はお寺のバス遠足ではなく自家用車等で向かう方が増えていますからそれも致し方なきこと。

 

今回はこれまでの最高額28500円で募集をしました。それは「今年は全てが値上がりしてます」とのことでしたので去年よりも5000円程度の値上げしてのこと。

そのせいで毎年3名で参加されているご家族が「金額的にちょと・・・」とのことで参加をパスされていました。やはり人によっては値上がりしたバスツアーに手が届かなくなっていることもあるようです。

できるだけ格安でお気軽ツアーを催行しようと添乗員、ガイドをお断りして(5万円以上の節約)廻していましたが、今回はこれまでとは相当違ってしまいました。

世の値上げラッシュにはまったくついて行けません。

 

ただし毎度「クラブツーリズム」等の高級ツアーを使用している方は「格安」と言ってくれますのでその価格の件はやはり人によって違うことでしょう。

大勢はまだまだ「適切」との評価はいただいていますし。

 

念のため、ホテル宿泊費だけですがその推移を記します。

 

昨年 シングル 10650円 ツイン 8550円 (1名)

今年 シングル 16300円 ツイン11900円  ( 同 )

                       +5650円     +3450円 

                                                                      

そもそもツアー募集の際、ツインもシングルも同額で承っていたことも▲の要因です。今年はやたらとシングルが多かったことも。

よって次回からはシングルの価格をツインに近づけるための差額についてご了解いただかなくてはなりませんね。

それは以前から「不思議・・・」の指摘はありました。

来年はご納骨参加者が少ないようですから、無理をすることなくここは一旦遠足中止も念頭に・・・ 

 

扨、毎度関西の薄味に苦虫というのが常ですが、朝のホテルバイキングに関しては去年も今年も好評でした。

特に今年のホテルの朝食はこれまで経験したところのベストでしょう。

は何度かこのホテルのお世話になっていますが、朝食を付けないというのが常でした。朝起きてすっ飛んで出かけていましたので。

単品オプション4000円という朝食バイキングですが、ツアーセットに入っていますので、その価格は宿泊費の中に薄まっているでしょう。

今回ツアー主催者の私は朝7時からの「開店」前に並んで1番に会場に入りましたが5分後には長蛇の列になっていました。

品数が多く、何しろ「目が食べたい」という感覚で「そんなに食べて大丈夫か」の自問と何度も並ぶ私への他者の目につい遠慮ぎみに・・・。

どの品も美味しくてあれもこれもと強欲に走りたくなりましたね。

特におにぎりのコーナーは絶品。調理人が立ち、並べられた多くの具材を指定、これまでにない美味しい握り飯を堪能させていただきました。何しろお米がおいしいのです。

 

こちらのホテルを京都の定宿にしたいというのが皆さんの声でした。私もこちらに限定するつもりです。

四条河原町の大丸、錦市場まで7~8分という好立地もベストですね。

 

一番のお気に入りはやはり親鸞さんが参籠した六角堂(頂法寺)が烏丸通を渡って30秒というところも。

朝6時から開門していますからお参りもしやすいですね。勿論無料です。

 

①は烏丸通に面したホテル全景。②は東側に面した部屋から見た六角堂方向。真下が烏丸通、奥が比叡の山並み。③池の左側が池坊。④は西山方向、京町家の風情も。

⑤はホテル側から見た烏丸通の向こう。スタバのガラス越しに六角堂が。⑥~は早朝から食欲旺盛となる場。

 

 

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2024年

10月

24日

「破局案件」

朝から雨の昨日、半ば強制的に神奈川県東部の義母の元へ。

降雨予報が少しでもあればまず遠乗りはしないというのが私の性分ですが、奥方から「何とかしてくれ」とのことで、尻を叩かれました。

半年ほど前に購入したテレビが映らなくなりそのうえ、寝室のテレビ迄故障したとのことでした。

神奈川県内の仕事の際にそこを根城としている息子に聞けば「相手にするな」と言っていましたが、奥方に「改善せよ」の指令を受ければ拒むわけにもいかず、一つ条件を告げてGOしました。

到着後1時間程度ですべてが改善したら・・・上野の東博へ・・・ということで。埴輪と運慶(北円堂)に逢うためにでした。

 

私の見立てでは祖母がリモコンの突拍子もないボタンを押しての迷宮ドハマリの様を予想していましたが案の定テレビ2台ともまさにそれでした。

齢をかさねると機械の自分の意に反する動きに「壊れちゃった」というのは父の件で承知しています。

きっと私もそうなるのでしょうね。

 

一応勝ち誇りながら「さぁ上野へ」と主張するも掌を返すが如く却下されました。

そもそも上野行きについて承諾していないとのことでしたが、私の方もそこからさらに都内の混雑の現場に向かうこと、気持ちが失せていました。

よって天気の具合も悪そうでしたので14時前に帰路につきました。

まぁ明るいうちに帰宅できたことは有難いことです。往復路、土砂降りの時間帯がありましたので。

 

勿論、そちらに向かうついでに小田原の祖母の系が眠る菩提寺にご挨拶に。久しぶりのことでした。

そしてそのまたついでに祖母の出た今はなき「みのや吉兵衛商店」の廃業の代の一つ前に嫁入りした方の実家となる「美の政(みのまさ)」で何か購入しようと思いそちらへ向かいました。

するとその店も無くなっていて今はネイルサロンと化していました。

案内所に伺うと「1年ほど前に」とのことでした。2階には同経営の喫茶店があり、母とも行った記憶があります。

何から何まで私どもの思う古き良き小田原の面影は消えてしまったよう。

 

①は母方祖母の系の菩提寺本堂。

戸は毎度ピシっと閉まっていて焼香もできず。

法要以外でこちらの本尊にお目にかかったことはありません。その法要があったのも私の大学生の頃でした。

 

②は以前「美の政(みのまさ)」店舗の地。もっと以前(昭和初期)は昔の箱根登山ビルの敷地の場所に料亭としてあったよう。

この小路の突き当りを左に進めば鈴がたくさんフラ下がっている北条氏政と氏照の墓所になります。

 

③の古びたビルにはひと昔前に「〇I〇I」がありました。

うっすらとかつての名称が見えますがそういった「遺構」が見られるのもいまのうちか。

 

④は伊勢屋の豆大福。

「味が落ちた」と妹が言いますが、それは添加物が入ったからでしょう。1日経っても硬くならないので。

店としては日持ちの良さが肝心なのでしょう。

硬くなったそれを焼いてふーふー言いながら食すのが絶妙でした。勿論5つばかり購入しました。

 

 

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2024年

10月

23日

「破局案件」追記「高額案件」 南円堂パンフから

 

昨日ブログでは「イキナリ冬の気配」とは記しましたが外へ出て境内作業にかかれば、スグにホットになりました。

よってトレーナーを脱ぎ捨てていました。

しかしこの時期の作業は気持ちよく、またサクサク捗りますね。

夜間はお取り越しに向かいました。

仏間にはエアコンが付いていてあらためて気候の異常さを。

10月下旬に・・・ですからね。

 

昨日はまた強盗殺人によるその「果実」(因果の果)・・・無期懲役刑中40年経過した方の儚き人生について記させていただきましたが、現状ネットには闇バイトの勧誘の言葉に「高額案件」の

4文字が踊っているとのこと。

 

なるほど人生と自らの未来価値を無価値以上、巨額負債を負うことになるのですからまさに高額案件。

まぁ「破局案件」たる由縁ですが。

昨日はたまたま27歳・28歳・33歳の3名が地裁で無期懲役の判決があったとのニュースが。

 

2019年に電話で資産状況を尋ねてから(アポ電)押し入る手口ですが、住人のお婆さんの命を奪ったという強盗事件。

罪状は「強盗致死」になっていました。

強盗殺人も強盗致死も罪の深さというところ大差ないということですね。

そして自己の人生を投げすてると同等の高額度の償い。70歳になる前に仮出所ができるかどうか・・・

 

また昨日も中学生が闇バイトに招集されて、その着手前に逮捕されていましたが「凶器準備」したものの未遂に終わったこと逮捕されたことは良かった。

しかしまた、その低年齢化はショッキングでした。

 

溢れる物品への所有欲、誘惑が深まる年頃です。

やはり家や学校でその対価と代償、割に合わない冒険、法治国家の制度云々、早いうちに教示する必要があるのかも。

 

そんな小僧どもが蔓延る社会、たまったものではありません。

ヤルなら「永田町へ行け!!」(年寄り・・・弱い者を安直にターゲーットにすることなかれ)です。

 

扨、年に一度(10月17日のみ)にお目にかかれる南円堂、不空羂索観音と諸仏たち。

勿論内部は撮影禁止です。

しかし手元に入堂の際のパンフがありました・・・

ご興味のある方は来年の10月17日にどうぞ・・・

 

 

 

 

 

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2024年

10月

22日

「破局案件」FOR A FEW DOLLARS MORE 月下美人

朝の庫裏の気温は21℃。昨日とは真逆の体感、庫裏は「放熱」に転じた感。慌てて長袖トレーナーを着込みました。

ネコセンサーもそれを受けて布団の中に潜り込む者などがいたくらい。

イキナリ冬の気配。

私としては熱帯系植物への対応が遅れているためその傾向には少々焦りぎみ。

週末の世話人会等、他に向けたい時間が多くありますので。

 

10時からは墓じまい、墓前にて工事開始のご挨拶。

そのお宅には息子さんがいらっしゃいますが、墓地継承の意志がないとのことで、その運びとなりました。

墓じまいには遠隔地、継承者不在という理由が殆どでしたが、墓地そのものの存在意義について問われるのはこれまでなかったことですから、新たなタイプ。

仏教の教えと寺の存在意義についていよいよ腹をくくらなくてはならないでしょうね。

まぁ、そういう場合、宗旨替えということもありますが。

他流宗旨(仏教)に変更するためにリセットされる場合もありますので、それはそれで悪くないことです。

拙寺にも他流からの流れが無いことはないので。

 

扨、ニュース系レポートにて無期懲役刑を執行されての模範囚、数度の仮出所も却下されて40年収監されている方の件、知りました。

罪状は強盗殺人。20歳代で罪を犯して早70歳手前といいます。

当初は死刑も考慮されていたそうですが結局は無期刑となったと。

 

先日の闇バイトでの強盗殺人の犯人が逮捕・・・やはりスグに確保されていましたね。当然のことです。

自業自得で同情の余地はありませんが、それにしてもそのきっかけは短慮というかバカですよね。

私はいつもそういった時にこの語が思い浮かびます。

「FOR A FEW DOLLARS MORE」

C・イーストウッドのウェスタン、日本名「夕陽のガンマン」のタイトルです。

如何にも虚しさを漂わせる言葉で、半世紀も私の頭から離れることはありません。

きっとその言葉が当てはまりそうな無駄で愚かな人間の行動を見続けてきたからでしょうね。

 

私は懲役40年なる執行を受けた経験がありませんのでその実情は知る由もなく、また知りたいとも思いませんが、さぞかし不自由で時間は有り余るほどあるでしょうね。

懲役ですから生産性もあって多少の給金は出るのでしょうが娑婆世界とは雲泥、かなりの低賃金のはず。

袴田さんが当初捜査機関の証拠捏造により死刑判決を受けて収監、先般晴れて無罪になりましたが、損害賠償・慰謝料とは別に正規に支払われる金額が2億円といいます。

 

年収を500万円平均として40年ですからやはり2億円。だいたいそのようなものかも知れません。

真っ当にこつこつ文句を言いながらも働いていれば、多少の差はあるでしょうが生涯そのくらいの働きはありましょう。

 

目先の僅かなカネ(FOR A FEW DOLLARS MORE)欲しさに自身 

の自由と将来・・・人生を無駄にするという現実とそのことが理解できていないことの哀れをあの若者たちに感じます。

それによって親が、兄弟姉妹縁者が悲しむことになることもわかっちゃいない。

強盗も殺人も結果それぞれ重大な刑罰が待っていますがその二つが同時進行した場合はもはや酌量の余地がない断罪というのが日本の法。最大なる刑罰が待っています。もはや高校時代に憲法・刑法・民法のさわりだけでも子供たちに伝えるべきですね。

 

人生に計算などできるものではありませんが、これほど単純明快な損得勘定があるということ。気軽に人生を棒に振ることの浅はか。教えてあげて・・・

当人たちは別に自暴自棄になっているワケではないはずです。

バカですね、とか若気の~の語・・では済まされない、いわゆる破局案件(「ホワイト案件」なる詞に勧誘されて・・・)なのですよ。

それも他人に踊らされての無駄働き・・・

 

その手の短慮の者たちの「自分らしく自由に生きたい」・・・があるとして、その大義はあきらかに虚構、詭弁、物真似としか取れませんね。

まずは自身の身の振り方(仮出所)を思考するよりも奪った命と縁者への配慮が必要。それは生涯付いてまわります。

 

画像は昨晩咲いた月下美人。

大量の蕾ができたことを先日記しましたが13個のうち開花したのは8つ。これまでとはかなり遅れた開花でした。

私はスーパームーン(17日)に合わせるよう咲くのではと思いましたが。予想は大外れ。

まぁ彼らにもいろいろあるのでしょう。

 

8つの同時開花はキャリアハイ。

香りも玄関に充満していました。

今ある蕾も明日明後日には開花するでしょう。

 

 

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2024年

10月

21日

10月17日は年に一度の不空羂索観音 興福寺南円堂 

拙寺の庫裏には蓄熱効果があるのか、朝の寒暖計の数値は28℃。

外は風が比較的強く、奥方は「寒い」と騒いでいましたが、庫裏の中はまだ夏ですね。

猛暑高温の蓄積保温が庫裏にあるのかは知りませんが、本堂内陣での読経の際も「暑い」を感じました。

外気温度は下がっていてもちょいと体を動かせば半袖ぜんぜんOKといった感じ。

また少しして30℃近い気温も予想させるところ、まだ本格的「寒くなる」予想は先になるでしょうね。もうしばらく扇風機は置いておきます。

さすがに本堂参拝者用のそれは片付けましたがね。

 

扨、画像は10月17日、29℃の奈良興福寺の図。

拙寺大谷祖廟納骨バス遠足は「大谷の日」とは「彼」の背番号とその名をかけて、シャレて吹聴していましたが、実はその17日18日は観音さんの日なのでした。

大抵、観音の縁日などが設定され市が立ったり御開帳があったり特別な法要があったりするわけですが、その17日の方で興福寺南円堂の年に1度の御開帳がありました。毎年10月17日。

 

その堂の主が高さ3mの不空羂索観音。

運慶の父、康慶の作になります。

前年のバスツアーで運慶の大日如来(円成寺)を拝観していますのでまぁその流れといったところでしょうか。

年に一度だけのチャンスということで私もそちらへは初めて。

どうなる事か多少の心配はありましたが、何とか30分程度の行列で済むことができました。拝観料は300円。

拝観に関しては各自由というのが拙寺のツアーの決まりですが私が見た限り全員がその行列に並んでいたよう。

まず最初に御朱印の行列に並んでから・・・という方たちもいらっしゃしましたが・・・勿論2回の行列に並ぶことになります。

 

面白いと思ったのは外国人だらけの奈良公園にあってこの行列に並ぶその方たちは殆どまばら。

御朱印の列に並んでいる方に「コレナンデスカ?」と問われて英訳音声ソフトで訳そうとしたものの「ゴシュイン」だったとか。

その詳細についてさらに説明してくれ・・・と言われても「知らねぇよ」と言いたくなりますね。

 

南円堂の列に外国人と修学旅行者の列ができなかったことはありがたいことでした。

おかげさまでこのような深い情報までは彼らのツアーガイドや修学旅行企画者にまで届かなかったということでしょう。

 

話変わって来年の大河ドラマの件、相良、田沼の名称が世に出て、インバウンドがもしも増加したら・・・とせめて英語の解説パンフレットの製作について市に打診したことがあります。

まぁ予算的都合ということで「ムリ」との結論でしたが、そもそも歴史的用語を理解できるよう解説、翻訳するのは相当難しいことです。

エミー賞の「将軍」でも「ハラキリ」一つ注釈することでも難しかったことを吐露していました。

たとえば・・・拙寺では時太鼓(刻太鼓の名で)を紹介していますが、「相良城二の丸にあった太鼓櫓(矢倉)の太鼓で相良城が破却された時にそれに携わった横須賀藩の西尾忠移(妻は田沼意次の娘)が数年後寄進したものです」を英文で訳したとしてどちらの言葉も深い理解をしていただくためにはより深く詳細を記す必要があるでしょうね。

 

老中、失脚、失脚理由、時太鼓、陣太鼓の比較、太鼓矢倉・・・櫓、横須賀藩、藩、幕府・・・何をとっても難しい。

 

④⑤は右近の橘。実が落ちていましたので「持ち帰って植えてみれば・・・」の意見がありました。

➆南円堂回廊から見下ろす三重塔

⑨石灯籠の左側建屋に御朱印の行列。

石灯籠は各建っていますが、江戸期のもの多し。

こちらは寛政十年と。

興福寺南円堂についてはWikipediaでどうぞ。堂内は勿論撮影禁止です。

 

 

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2024年

10月

20日

角があってもなくても・・・猿沢池トイレ出入り口

清水で30℃超え。庫裏も午後には29℃でたまらずエアコンをオン。昨晩も扇風機を一晩中廻していました。

午前10時から回忌法要が入っていましたが奥方はそのスケジュールに腹立たしさを表わしていました。

「なにも遠足翌日に・・・」ですが、それはごもっともなことです。堂内生花の状況がわからない(枯れかかって貧相な様になっていないか)ということと、交換が必要な場合、御門徒の生花店の開店が9時ですから、セッティングに慌てなくてはならないからですね。

それはスケジュール管理者としての、反省点でした。

生花は何とかキレイを維持できていましたので慌てず淡々と法要は勤修できました。

 

反省点は各あります。

昨日の大谷祖廟への納骨ですが、初日朝一から二日目朝一に変更したことは良かったものの、納骨の法縁に関係ない方たちを

「9時前に東大谷に放り投げる」(奥方)のはあまりにも酷だとのこと。

その理由は、散策のみを楽しむ方々にはいいのですが各店舗の開店時間はまず11時ということ、「それじゃあ 面白くない」(同)と。

11時といえばバスの出発時間ですからね。

「お土産が買えない・・・」。

 

初日に直行したのが奈良公園。

先般、農家の方が鹿の突進の角によって命を落としたというニュースを聞いていましたので、降車前に車中で鹿への厳重注意の件を。

特に秋ごろの雄鹿は気がたっているといいます。

よって私は「鹿に近づくな!!」です。大きい個体に後ろからドンとやられたら想像するだけで怖ろしい。角があればなおさらです。バスに乗車ではなく救急車で・・・というのはシャレになりません。

添乗員の身としてそこは一番に注意していただきたいところでした。尚、17日の奈良は29℃。

当初「上着を着て行こうか・・・」などいう言葉を耳にしていましたが、まったく夏の装いでOKでした。

 

画像は猿沢池(こちらにも)。

興福寺五重塔は120年ぶりの修理工事中。5~7年はあのままでしょう。

 

池の畔の公共トイレには出入り口に木の柵が。

あの場で鹿に後ろから「ドン・・・」ということ思い浮かぶ恐怖。

それへの対策でしょう。

あの塔はお馴染み奈良観光のステータスと作られた「なんちゃって層塔。コンクリリート製です。

 

 

 

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2024年

10月

19日

大谷の日 祖廟御納骨 祖廟参道

昨日は拙寺のバス遠足、大谷祖廟御納骨の日。

これまでその遠足といえば一泊二日の日程で初日朝一番に御納

骨、スッキリとした気分で各目的地に向かうというパターンでしたが、それをヤメて、2日目の朝一番、9時20分の本堂読経、納骨という形に変更しました。

そのメリットは初日、当地からのスタートで大谷祖廟を目指すというのは到着時間が読めない(事故渋滞もあれば朝の出勤時間の渋滞)ということがありますが京都市内に宿を取れば朝食後、余裕をもってチェックアウト、それで30分程度での到着はまず間違いないですからね。

ちなみに昨日朝は烏丸通の六角通交差点近くのホテル出立でした。

 

その選択は渋滞のバスの中でやきもきしないでいいというところです。時間が確りと読み切れるところがイイ。

今のところそれへのクレームは出ていませんので、次回の遠足もまたその作戦でやりたいと思います。

 

御納骨は9件でした。

考え方ですが、慌てて祖廟に走って納めるよりも前日にともに十分に楽しんでから・・・の方が、いいような気がしますね。

 

御納骨の無い方はフリータイムですが叔父たちは青龍殿大舞台(またはこちら)に向かっていました。

参加してくれた叔父たち(3名)に知恩院方向か白河かはたまた清水かと悩んでいましたので「青蓮院の上に絶景の場所があるよ」と紹介したからです。

当初青蓮院に向かっていましたが、その登りを再検討、不安になって近くにいたタクシードライバーにその旨聞いたところ「青蓮院から青龍殿など厳しいよ」と指摘されて、急きょそのタクシーに乗り込んでそちらに向かったとのこと。

 

車中、「青龍殿の穴場を知っているとは通だね」と褒められたと

といいますが、叔父たちは私に「いいところを教わった」と喜んでいました。

今は「外国人がいない」というのが最近の京都ツアーのポイントになっているようですが、別のタクシーを利用したご門徒さんが「運転手が本日初めて日本語を聞いた」との件。

今はスマホの翻訳機能にて対応しているとのことですが京都の街は外国人だらけ。

 

また永観堂までレンタサイクルで往復した方、清水の殺人的雑踏に揉まれた人などさまざま。各皆さんなりの時間を過ごしていました。

清水寺は+修学旅行生の大挙によって無茶な状況が起こっているよう。

 

車中ではニューヨークの大谷さんの活躍もありますが「17日と18日は大谷の日」などとわけのわからない事を私は吐いていました。

みなさんスマホにて随時そちらの戦況をチェックしていますので。

 

何はともあれ、無事に何事もなく大事な仕事を完了出来た事、すべてに感謝いたします。ありがとうございました。

合掌。

 

 

 

 

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2024年

10月

18日

男性本意の女性観 女人禁制

昨日は朝から奥方と寺を留守にしていました。

息子の対応を期待して予定の通りの行動でしたがやはりそういう時に限っていろいろなお客さんが来られるものです。

彼がどう対応していいかわからないというのは無理もないことです。

その度ごとに奥方に電話を入れてきました。

3件のご門徒さんの来訪とメディア取材があったようでさすがに後者は史料館の長谷川氏が対応していたとのこと。

 

私どもが一日中在宅していたとしても、人っ子一人来方がないことなどしはしばでそれが4件もあるということは如来さんが仕向け??。

私としてはこれも良き機縁として受け留め感謝しました。

「(私が)いなければ自身がすべてやる」それは当然の事ですからね。

 

扨、昨日は「男らしい」なる少々時代錯誤的語彙を記しましたがもっともっと陰湿で恥ずかしい語「女人禁制」について。

相撲世界では昔からよくそのナンセンスについて語られる事が多いそれですが、それはまず大抵の理由として「神聖な場所であるから」などと言いますね。

それは修行道場だとか古い寺院によくありますが、そもそもけがれあると言うよりも、男社会に女性が入れば心がときめいてしまい修行に専念できないからなのでは・・・

けがれなど後付けの理由のような気がして。

 

画像は妙楽寺西大門跡にある女人禁制の標。

 

 

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2024年

10月

17日

鎌倉中期の弥勒石仏坐像 西大門跡 旧妙楽寺参道

年配者をターゲットにした闇バイト流行りの世、それをやらかす人間の短慮と怒りが増すばかり、この世はまさに闇夜です。

昨日の横浜青葉の事件・・・

昔、「男らしい」という言葉がありましたが、今はそれを使うと叱られます。その男らしさとは「弱き者を踏ん掴まえててブン殴って金を奪う」などは真逆の性質。

「弱気をたすけ強気を挫く」(目前の利は得ず)は基本男の子のあるべき姿でした。

そういった語彙にケチをつけることがイケなかったのか・・・

まったくもって暗い・・・

 

そしてあぶく銭をゲットできる楽で甘い仕事などは絶対にありません。

「バカなの?」の女墓場の声が聞こえてきます(彼女の常套句)。逃げ切れるワケがないのに。

強盗殺人・・・警察は血眼で追いかけますね。数日中に結論が出るでしょう。

 

昨日は庫裏の、依然続く夏状態について記しましたが就寝時においても盛夏の候ほどではありませんがまだまだ秋冬のイメージは湧いてきません。

しかしながら今年の冬は毎年脱落者を出している熱帯性植物たちを守ってやりたい思いから棚を二つ用意しました。

それらに既成の温室用ビニールまたは梱包用フィルムで覆って小空間を区切り保温効果を高めようという算段です。

発芽させたマンゴーと挿木パイナップルを何とか越年させたいのですが、かつてそのチャレンジは失敗に終わっています。

特に彼らはハイビスカスやブーゲン以上に耐寒性がないようで

今回は植物用の保温器具を導入しようかとも検討しています。

棚の一つは無理やり収めていた物を整理して浮かせたスチール製の既製品ですがあと一つは今有る物を適当に日曜大工して仕上げた木製品。

あと冬場の日照不足への解消のために植物用の照明も・・・

自分も人も動物も植物も「生かす」「生かされる」ことは難しい。

それぞれの性質と適応しやすい環境というものがあるからです。

 

扨、昨日記した妙楽寺(談山神社)の結界、西大門の石垣の山側に石仏たち、そして仏の由緒を示す掲示板があります。

 

こちらの石仏への川勝政太郎氏の評価があります。

面白いことにそちらの記述では作者について不詳とのことでしたが桜井市教育委員会の看板にはしっかりと作者の名が記されていました。

 

「談山神社 弥勒石仏

複弁反花座とその上の複弁蓮座、光背形から厚肉彫する石仏のすべてを一石で構成している。右手をあげて与願印、左手を伏せて膝の上にのべる降魔印とみられるので、伝承のように弥勒像としてよい。

衣文の表現も、顔の作りもおおらかで鎌倉時代中期の様式をよく示している。像の両脇の光背面に各一行の刻字があり

『文永三年(1266)八月八日奉造立、大勧進正延 大工藤井□□』と読まれる。石大工の名が読めないが、大和の石大工に藤井を称する一派のあったことは確かである。しかし詳しいことはまだわかっていない」。

尚川勝氏の日本石造美術辞典は昭和53年に発行されています。

 

 

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2024年

10月

16日

西大門跡の食い違い 妙楽寺談山神社

夕食時の庫裏の気温は28℃、ちょこまかと動いていたせいもあってToo Hot 「かまうことはない・・・」とばかりにエアコンを稼働。

するとスグ26℃、25℃となって今度は「冷える・・・」。

ONしたからには、しばらくクールな時間を継続しました。

暑いだか寒いだかよくわからない時節、何とか付いて行こうと・・・。

 

DMというかまんざらデタラメではない題材で私をターゲットにして送り付けてきたと思える郵便物について。

呆気にとられましたので記します。

一丁カモってやろうか・・・との悪意は見えませんが、相手を何とかその商売に引き釣りこまんとばかりの勧誘でしょうね。

しかし的を射ていない。

 

その郵便物のタイトルが「静波の物件を探しています」でした。

静波とは牧之原市の旧榛原町の中心地域。

先ごろは相良の波津の土地について坪1000円の物件(100坪の更地)について話題になっていましたが、静波の方では土地が「動いて(売買)いるのか・・・」と驚きつつ「ひれが何故に私に・・・」でした。

 

しばらくして、「テキトーなことをやってやがる」とその書面を放り投げましたが・・・

事実、拙寺名義の土地は静波に2カ所あります。しかしそれは売買できる土地ではありません。

どちらも拙寺が引き継いだ墓地だからです。

要はランダムに土地所有者をあたって手あたり次第書面を送り付けたのでしょうね。

精査よりよりランダム一斉の高効率を・・・でしょう。

そんな波に揉まれたくない。関わりたくない。

 

扨、先日の増賀さんの庵の先をさらに西へ進むと旧妙楽寺の西大門の跡に。

石垣のその門は寺のそれとは言い難い形状になっています。

まさに城郭建築の一、食い違い虎口を思います。

多武峰と言われる地ですから各時代で多くの外部勢力の侵入の歴史が。武力圧力への防衛機能として効果をあげたのかも知れません。

昔からこちらには番兵(僧兵)が立ったのでしょうね。

 

 

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2024年

10月

15日

グレーチングと焼香トレー泥棒 障がいヤマバト2羽

昨日午前は地代の山の墓地で施主と石屋さんと待ち合わせ。

今年何度目になったか墓じまいのお勤めです。

石屋さんは言います

墓石撤去の仕事が激増(新築激減)と。そしてどちらでも坊さんのボヤキの声が聞こえてくるそうです。

 

当流では親鸞さんの師匠、法然さんが自らを「愚痴の法然坊」と名のったこともあり、坊さんといえども煩悩熾盛の凡夫、ボヤキ三昧の如くの私であったとしても見捨てられることはないと踏んでいますのでその件、残念無念と大きくため息を吐くこともなく、その依頼を受けて、もはやニッコリ笑うだけ。

まぁ以前からそのスタンスは変わりませんが。

 

事情各ある中その方向性の変更について検討していただくことなど詮無き事です。

境内墓域が足りないなどと心配していたのは父親の時代まで。

今あるご門徒さんとただ、末永くやっていければと思うばかりですね。

いずれにせよ未来永劫などあり得ないのですから(昨日)。

 

かなり前に(夫が亡くなったあと)宗旨替えして拙寺の境内墓地を他の寺に移すという事案が立て続けにありましたが、それは奥さんの実家の墓も継承しなくてはならない事情があってのこと。いわゆる墓地の統合でした。

夫に先立たれたら仕方ない・・・ただそれだけでしたが、現状の墓石撤去は「墓じまい」・・・墓碑を撤去して遺骨を海洋散骨するかお寺の永代墓に納めるというものです。

そして他のお寺さんの檀家さんから「檀家として受け入れて欲しい」の声がありましたが私は「面倒だからヤメた方がイイ」と再考を促していました。

今は受け入れしかないと心得ています。

 

また先日は他宗派の方(存じ上げている方)が墓じまいを前提で「私のその時」に拙寺で葬儀をしてもらえるか・・・と打診を受けました。

その方と菩提寺の関係について何か心情的な行き違いが存在するようでしたが、人間同士の問題、どちらでもあることでしょう(当然に私にも存在する件)から私のスタンス「入るも出るも自由」「お気に召すままに」の通り、「息子と坊守(奥方)に伝えます」とすべて了承しました。そういった墓じまいもあるということですね。

一から真宗の宗旨を伝えていくことはなかなか良き機縁であること。私は前向きです。

 

別れ際に先方お寺の「檀家数が少ない」件が出ましたが、その方は「檀家数の多寡は私たちの責任ではない」と。

寺として檀家さんの存在こそ寺の継続にかかわるところですが、その「維持」の面を強く強調し、寺からの主張をしつづけていればいずれその江戸時代から残存している流れ(檀家制度)は大きく瓦解するでしょうね。既にそれは始まっているのかも。

 

寺としての生き残り・・・淘汰されないよう継続性というものを指向するならば・・・行政の手腕に頼りつつ(人口増)、檀家数を増やすこと以外なし。

こればっかりは商売ではありませんので強くコマーシャルすることは控えたいですしそれこそ胡散臭い。

「御利益」なる非化学を主体に強調すれば猶更ですからね。

 

たまたま親鸞さんとの出逢いは案外と今風、皆さんの考えにマッチしているのでは・・・

私としては淡々と日々真宗の宗旨をご門徒に伝えていくこと、それしかありませんね。

私はその流れに流されつつそれを結構ポジティブに生きています。というか生かされています。

ちなみに来週も1件墓じまいがありますがね。

 

①~③は昨日の地代の墓地。

②、③はある日すべての墓のステンレス製焼香トレーとグレーチングが無くなっていたという図。

よって各墓地にある焼香トレーは100円ショップの陶器製のもの(砂利等を敷いて使用)に変わっていました。

 

しかし何処のどいつが始めたかこの不届き者の仕業は勝手すぎて酷過ぎます。

買い取り業者がいるからこの罰当たりが出てくることは必定。

くだらない規制ばかりでその買い取りに関してフリーなんて。

アホらしい。何とかしていただきたいですね。

 

墓地の備品ドロもそうですがグレーチングの方は、通行者や車の「最悪の事態」を無視しているところに猶更腹が立ちます。

たった数千円のカネのために。きっと地獄に堕ちるでしょう。

地獄にはいろいろありますからね~。

私にはわかるのですよ、ホントに。

 

最後の画像二枚は以前記した1本足のヤマバトと闘争関係にならないやはり足が悪く、くちばしの根本にできものがあるヤマバト。

2個体とも障がいがありますが、私どもに慣れ、餌を要求してきます。後者の方は私が玄関から出るやそれを待ち受けていて頭上50㎝くらいまで舞い降りて存在をアピール。

そのために私どもはハト用のエサを用意しています。

自然界では淘汰されてしまうのかもしれない彼らですからね。

 

ヤマバトは番いの行動が多く、ペアは他のヤマバトに対して威嚇の鳴き声をしながら襲い掛かります。

もっと仲良くできないものか・・・決して平和な生き物とはいえないような。

 

 

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2024年

10月

14日

虚栄心は人を醜悪にする 増賀堂跡 妙楽寺談山神社 

昨日は午前、午後と法要のダブルヘッダー。

盛夏でしたら相当バテたでしょうが気温も23℃の本堂お内陣、まだ衣が腕に纏わりつきますが、大分快適方向に向かっています。

午前は波津在住の皆さんが集まりましたが、午後は仙台からのお参りでした。

 

滅多なことでお会いできない方々で興味本位で「何時に自宅を・・・」と尋ねれば「6時すぎ」とのこと。

東京に出てからレンタカーを借りてからご長男の運転で相良まで。

連休の中日とあって各所渋滞が発生し、13時30頃着の予定が14時すぎになっていました。

話も弾んで、すべて終了したのが1700前になっていました。

御父母の法要でしたが、片浜出身の母親の実家にも立ち寄るとのことでした。

墓参の際に「まだ~?」の催促の電話が施主に入っていました。

久しぶりの相良とあって思いはたくさん、鐘楼を指さして「テレビで見て、いつかは・・・」とのことを仰ったので、それなら・・・と皆さんそれぞれで鐘撞きをしていただきました。

17時の時鐘をむりやり。

 

法要二件ともそのお話の中に先般新聞紙上にあったカフカ断片集の言葉から。

そのさらに断片「虚栄心は人を醜悪にする~」を。

 

『虚栄心は人を「醜悪」にするから本来「押し殺さなければならない」もの・・・、だが虚栄心は押し殺されることなく・・・傷つくだけだ。

 

世間体や他人からの評価をたえず気にかけつつ他者と較べて自分が優っていれば悦に入る。

ほんのわずかでも分が悪いと凹み傷つくという、

この執拗なまでの鬩ぎあいが人格なるものの核にあるのか。』

でした。

 

そのカフカの断片と日本の浄土教系の善知識たる師三名(源信・法然・親鸞)の名をあげて師たちのその核となる思想の一貫こそ

が自己の深堀であり人とは何ぞやの、いわゆる宗教というよりも哲学的発想がそこにあったということ、また彼らにはその虚栄心とやらは微塵もなかったということに繋ぎ合わせました。

そして南無&帰命・・・「Let It Go」を。

 

扨、「源平藤橘」なる言葉があります。

歴史上名だたる名家であり、日本人で自分の家のルーツをそのどちらかを確信している方はとかく多いものです。

ただしその四つの氏について特に思うのは橘氏の歴史世界登場頻度の少なさですね。

 

他の三家には派生する家が強く出て圧倒されている感ありますが、要は鎌倉以降にその系の「武」の者が現れなかったということかもしれません。

平安中期に橘恒平という人が公卿に列せられていますが、その人が亡くなってからはその家から公卿などの要職から離れています。

 

その人の息子といわれる増賀(蔵賀 多武峰先徳)は比叡山良源のもと天台僧となって多武峰(妙楽寺 今の談山神社)に入ります。

妙楽寺のある「多武峰」は多くの戦乱の場となった地で混乱の歴史を伝えるが如くの名称ですが増賀は「武」ではなく僧としてこの地を人生最期の地として棲むことになります。

そして、まさに人の、また歴史に登場する者たちの「虚栄心」はまったくなかった人でした。

 

画像は増賀堂跡。

昨日記した石灯籠のある参道を神社に入らず、西に進めば進行方向右側にその地はあります。

やはり石垣に囲まれている空間。上段に四角い土台、おそらくそちらに増賀の庵があったのでしょう。

 

今は人もあまり通らない林の中。妙楽寺中興の祖ともいわれる増賀さん、今の有様、神社に衣替えしていますよ~。

死した後も尚失望・絶望するような事案で・・・

何とも気の毒な一所懸命でした。

彼が死したのは1003年のこと。1000年以上も経ってしまいましたがその後に続けなかったことは致し方がないのかも・・・

未来永劫などない。

 

 

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2024年

10月

13日

元徳三年(1331)銘 重文石灯籠 伝後醍醐天皇

前日たぬきの家族とお目にかかっただけに朝の「開店準備」~と言っても閂を外して開き戸をオープンするだけです~、本堂周辺をおそるおそる見回していました。堂内の状況も彼らは勿論ネコにも侵入された気配はなく安堵しました。

これまで、ネコ突破防止の対策を重ねてきて、そのすべてに失望させられきています。もはやお手上げの感あり夜間閉鎖というカタチになったのですがひと手間ふた手間ありますがこれにて対策は終了ということにしました。

 

扨、復習します。

十三重塔(淡海公)を出て右に折れればスグにあのT字路にぶつかります。その道が旧妙楽寺、談山神社の参道でそちらを右方向に下ればあの摩尼輪塔があります。

そしてT字路を左に曲がれば談山神社の入口。

左手には私のおススメ「豆大福」の声掛けをするお店がありますが、その店の向かいに鎮座するのが元徳三(1331)の銘のある重要文化財指定の石灯籠。後醍醐天皇寄進と掲示板にありますが・・・

美的センス高く川勝政太郎氏(日本石造美術辞典)の絶賛の記述があります。

 

「灯籠は六角型。基礎側面は二区格狭間。

上部の反花は見事な複弁で、中央竿受けの円座も蓮実式にした丁重な作りである。竿は円柱で、中節の四方に蓮花文を刻出して装飾し、火袋の六面の一方は火口、背面は小蓮弁をめぐらせる円窓。残る四面には蓮座を薄肉彫し、その上の線刻の月輪内に四天王種子が薬研彫される。上区は二区横連子、下区は二区格狭間。竿に『元徳三年(1331)二月日 大工利弘』の刻字

 

店頭で声をかけまくる店員さんの目の前に立つ重文石灯籠はちょっとした柵の中にあります。

よって大きい声では言えませんがその結界を跨いで石灯籠の裏側を拝見させていただくためにお店の開店前に訪問したのでした。

こうも思いました。

店で豆大福を購入し、「ちょっと目を瞑っていて・・・」と一言断ってからというのもいいかとは思いました。

 

やはり誰にも文句を言われそうもない時間帯が一番に手っ取り早い。

そういう発想しかできないというのがお寒いというかバカなのでしょうね。鉄道写真を撮るために問題を起こす若者と同じでしょう。

そしてまた、やはり明るい陽の下が一番イイ。

 

最後の画像2つが、昨日の拙寺開店前と開店後の図。開店早々あの「黄色白」(私はそう呼んでいます)が現れました。

 

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2024年

10月

12日

妙楽寺-談山神社の石垣 たぬき親子と対面

まずは「ノーベル平和賞」受賞の報せ、おめでとうございます。

 

夜間の室内の温度は27℃。外気の22、3℃とは違って夏の雰囲気をいまだ保っています。

深夜となると26℃を割ってきますのでその自然のエアコンの冷やしすぎに対応するために今季初めて薄手の長袖トレーナーを着用して就寝しました。

 

先月25日に気合を入れて行った銀杏掃除によって発症したかぶれと痒みで夜中に起きることがありましたが(2週間続きました)、数日前からは天井を歩く謎の物体の物音で目が覚めます。

枕元に置いてある長刀の鞘ごと天井を叩くなどして対応していますが、抜本的改善策はなし。

古い家はいたるところにその生物の入出路はありますからね。

 

本堂の障子を破いて堂内に夜間入るネコは鳴き声を出しますからまず彼女ではないと踏んでいました。

ネコは8月末の台風時期に風雨を逃れるためか、その障子破りを覚えたのでしたが、そのために当方の対策として障子の外部露出部に板を張り付けるなど改変が進みました。しかし彼女には高さは関係なし。運動神経は抜群ですからね。

上部の障子を突破してきましたので板張りは諦め現状は夜間、板戸を閉めて閂で対応することにしました。

 

よってかなり面倒なことになりましたので正面だけ朝オープン。17時過ぎに「閉店」という形態にしてしまいました。

防犯上、本来はこうあるべきでしょうね。

⑥画像は昨日の「閉店前」の図。

少々遅めの閉店でしたが、これまで出遇ったことも無いような生物の影4つ。衝撃的でした。

30年以上前に境内でイタチと遭遇した際の激臭の思い出は強く残りますがまさかたぬきとは・・・それが人慣れしていて私どもを前にして平然としているのでした。

おそらく家族、親2匹+子2匹でしたがまさか屋根裏の騒ぎの下手人はお前らでは・・・と閃いた次第。

しかし彼らではないでしょう

あのふっくら具合で屋根裏を歩くとすれば・・・私の感じているそれとはまったく違うでしょうね。彼らは家族の絆が強いでしょうから家族全員で天井裏に上がれば相当無茶苦茶な騒ぎになるはずです。

 

最近はイソヒヨドリの声が聞こえなくなった・・・とその棲息について奥方と話題になっていましたが、まさかこんな生き物が登場するとは・・・

ネコが本堂に入るのは彼らを恐れての事かもしれませんね。

④⑤はヤマバトのために私が撒いた餌の残りを漁るたぬきたち。

 

扨、先日は談山神社参道の石垣をさらっと記しましが、あの寺(現神社)をブラついて「コレは・・・」と思わない城好きはいないでしょうね。

まぁ「ココは城であった、コレは城壁である・・・」と。

 

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2024年

10月

11日

御門徒さんの愛着 寺のメッセージ 無碍一道

朝から穏やかな秋晴れ。丸一日続いてくれました。

昨日記しました通り、朝から早々に無理やりですがイラストを完成させてグッズ(綿製エコバック)の発注をしました。

出来上がった品を来年、拙寺境内に訪れた方へ、お寺のオリジナル土産として販売しようという魂胆です。

別にその皮算用が外れたとしてもまったくOK。

ダメでもともと、どこかのタイミングでご門徒さんに配ってしまうというのもアリですから。

年末の除夕鐘のイベントでデビューしようと思量中です。

そしてまた、今一つ「相良土産」「寺土産」として名乗りをあげる何かを思案中。

 

拙寺駐車場に大型バスは入るか?などの心配の声が時としてありますが、それは観光バスで寺に乗り付けて来られるツアーがある・・・という前提によるもの。

その件、私の知ったことではありませんが、それなりに大河ドラマ初登場の田沼意次(渡辺謙氏)の極渋の演技でのブレークをあてこんだツアー会社による企画立ち上げの件「無くはない」ようですから。あるかも知れない・・・

 

相良にとっても拙寺にとっても「悪くない」ご縁をいただくわけですからね。

しかしそのようなことが本当に実現するものか・・・疑心暗鬼でもあり。

 

その時、そうなった時では遅すぎますからね。

戦闘準備にはもう少々・・・用意は周到にいきたいものです。

要はなんでもかんでもダメ元でイイ。

失望などいつものことですからまずはやってみよう・・・です。

あるかないかもわからないその「宴」の後の閑散もまたヨシ。

奥方への借金は膨らむばかりですがね。

 

先日は世話人会日程の伝達のついでに、ご門徒さま宅のお内仏でこ焼香をさせていただきました。

89歳になる奥様で数年前に夫を亡くしています。

マスク装着の私が「大澤寺~」と名乗るとスグに了解してくださいました。

私が雑談の中で「最近目の具合が悪くて・・・」をボヤくとその方は「目も耳も苦になっていない」との談。

そしてこのミシンを動かして裁縫していると。

それを拝見すれば、かつて私が幼き頃、小田原の家で母が使用していた足踏み式のブラザーが。

その方が菊川から嫁いできた時に持参して、以来ずっと使用しているとのこと。

脇には新し目のミシンもありましたが、断然そのブラザーが使いやすいといいます。

ちなみに拙寺のそのメーカーのものといえばプリンター。

世の流れですが、ミシンのノウハウがそこへ転回したということでしょうね。うまいことやってます。

 

そもそもまた裁縫は目がハッキリと見えていなくては出来ない仕事です。針の穴に糸を通すことすらままならない私ですからそれには感服させられました。

よく年配者が仰る「腰と膝」の痛みについても問題なしといいます。

しかし私は別れ際に「転ばないでね~」と。

まぁそりは私が一番にあやしいものがありますが。

 

「あやしい」といえば昨夕、先般奈良の山を走ったせいで泥にまみれた車を洗車場に持ち込みました。

コイン洗車場ですが、小銭が無かったために同じ施設のスタンドの若者に「洗車場に両替機とかナイよねぇ~」とやんわり。

すると(両替機は)「無いですぅ」。

そこであらためて両替はしてもらえるかどうかを尋ねれば、一呼吸置いて「できますよぉ~」。

 

ハナから私が両替を依頼していれば良かったのですが、彼も相手の質問に確りと答えてくれる性質のよう・・・私ならそんな客が現れたとしたらイキナリ「ハイ両替ですね」ですが。

それが何より手っ取り早い。

そして彼は私の差し出した1000円札を受け取るや、表裏をまじまじと確認していました。表→裏→表と・・・

あやしいニセ札犯との認定だったのでしょうかね。

決して片言でしゃべったワケでは無かったのですが。

 

①は半世紀以上そのお宅にあってなおも現役の「機械」。

子供さんは「捨てちゃえ・・・」と言う様です。

②はこの二日間悩んだ挙句、「コレ」と決めたエコバックのデザイン。

勝手に思いついた文言の羅列ですが、解釈も各、お好きなように。阿弥陀さんとネコの可愛さも、また寺としての意義も一応併せ持っていると・・・これも勝手に歓んでいます。

 

「無碍の一道」は歎異抄七条から。当流の神髄ですね。

奥方から「カナを振った方がイイ」とのご指摘がありました。

息子の力を借りて完成できましたので彼に報告すると「いいじゃん」と承認いただけました。

 

 

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2024年

10月

10日

千載一遇の好機「どうする相良」 相良民は疑心暗鬼

昨日は朝から小雨。

滅多にやらないPCを使ってのちょっとしたイラストの修正と画像の再構成に没頭していました。

特別なソフトを駆使しての仕事ではありませんが、結局「何だっていい」という開き直りを以って完成。

これは来年のイベント用、境内に設営する棚店に置く賑やかし。オリジナルグッズに記すデザインです。

まぁ私の勝手な思いを図画にしたものですが(元画像は息子に頼みました)グッズが出来上がったらこちらでも紹介したいと思います。

 

「何もしないより失望した方がマシ」の彼の言葉の通り(「ものすごくうるさくて ありえないほど近い」)今回も失望してやろうと動いています。

世話人会のサブタイトルが「どうする相良」。

春先の世話人会以来、ずっと何か出し物を・・・と呼びかけています。

話半分でいいから聞いてください・・・と前置きしつつ、「もし、もしも来年の大河ドラマで・・・」の架空話。

「相良」への来訪者が多く来られたら・・・その時どうする?ですね。ご門徒皆さまに声を掛けているところでした。

 

相良土産の一つでも何かあるかという自問はどなたでも抱えている課題ですが史跡調査会の小澤氏が考案した日本酒「田沼意次」もそうですが、やはり調査会一同で製作した「意次せんべ」など、その放映による反応をポジティブに考えているところです。

 

そこでそれらとは別に拙寺のオリジナル品として牧之原茶「無量寿」にもう一品とばかりに考えたのが今回のグッズというワケです。

今回ばかりは・・・と「攻め」を奥方に主張、予算ギリギリの中その品の手配をしているところです。

 

これまで歴史の中での相良のウェイトは低く、田沼意次もどちらかといえば地味な存在。喩え番組中に田沼や相良城の名が出てきたとしても世間様からは何らの響きも与えることなく、また少々の反応があったとしても一過性で終了してしまうなど当然に覚悟はしています。

かといって何もその時の用意をしないで、傍観しているだけではつまらない。私は「千載一遇のチャンス」と皆さんを大いに煽りまくってはいますが、現状相良住民は至ってクール。

 

資金不足の牧之原市はその観光客対応として新しいちらし、案内を製作するという方向にあまり舵を切れていないようですし。

どういうカタチで相良に来られる皆さん(それも相良民は疑心暗鬼)をご接待し感動と満足をもってお帰りいただけるのか・・・

 

あっという間に来年の1月5日(放映開始)を迎えることになります。

私どももそれに合わせて突貫工事、外トイレの完成に向けて奮闘していただいているのですからね。

来年はより一層楽しくすごせるものと期待しています。

 

扨、午後からは雨があがって夕刻前には晴れ間が出ていました。

昼過ぎに、「うどんでも」ということになり浜岡の「宮内(地名です)うどん」へ。

数度にわたってこちらを訪れていますが昨日も空振りでした。

こちらの休業日は基本月曜と火曜ですが時に水曜も休みにするよう。私は一度もそちらのうどんを食していません。

 

画像②③は以前のうどん屋前の空き地の図。彼らの存在はまさに牧歌的を思います。

画像①は息子が送ってきた夕食時の食卓の図。

今の私の心境は①の彼の如し。千載一遇。

勿論彼のチャレンジは失敗に終わっていますが。

 

 

 

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2024年

10月

09日

参道摩尼輪塔②再再訪を思う 倒産5000件超え

昨日は世話人会召集の案内状の手配りポストインを2日かけてですが、すべて完了させました。勿論郵便局の手は一切借りず・・・です。

車両利用をしての高だか2000円弱の節約でしたが世の「値上」コールに対して少しは抗う気を持ちたいものですからね。

さすがに遠方のご門徒さんへの告知はそのシステムに頼らなくてはなりませんが。

うまいこと立ち回っていかなくてはこの世の流れに淘汰されてしまいます。

 

この値上げ値上げの不景気風が吹く中、昨日は「倒産10年ぶり5000件超 4〜9月、物価上昇が退場促す」という見出しが日経新聞にありました。

「物価上昇によるコスト増加が経営不振の中堅・中小企業の退場を加速させている。2024年度上半期(4〜9月)の企業倒産件数は半期として10年ぶりに5000件を超えた。コスト上昇分を販売価格に転嫁できずに破綻・・・」とのこと。

「スタートアップなど新設法人の設立数は高水準で推移しており、転職の増加によって成長産業への人員シフトも進みつつある」といいますから、国の方としてはその淘汰もむしろ経済の新陳代謝の促進くらいのことしか考えていないのでしょうね。

中小企業ではダメ「寄らば大樹~」的発想も若者たちに根付いて地方と東京の格差色々はますます進んでいくのでしょう。

一部の人たちのみの幸福を目標とするならばよく政治家が並べ立てる「経済」などの語、クソ喰らえなどと思うことしきり。

あとイスラエルの無茶を黙認し何も解法を得ていない国際社会の無能も同じ。

 

扨、昨日のブログ画像の再掲追加。画像のピックアップ等、掲示板の掲載も、また塔の柱部の図も忘れていました。

ましてや画像が暗く、今一度の訪問が必要と考えた次第。

今年の冬にでも行けたら・・・命があれば行きたいところいっぱい。晴れた日の昼頃に・・・

 

画像は参道にて。石垣の様は恰も城郭です。

 

 

 

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2024年

10月

08日

乾元二年(1303)建立摩尼輪塔 談山神社参道 

先日、突然の電話があって「明日草むしりの仕事を」という方の件記しましたが(その際は途中降雨のため3時間で終了)、昨日も朝6時に電話があり「これから行く」と。

こちらの都合も聞かずイキナリでした。

それだけ困っているのだろうとは思いましたがその日は昼前から総代会があり、またネットの予報では10時過ぎから雨の示唆。よって私は「またの機会に」と告げました。

すると彼は自身が聞いた予報では降雨は夕刻からであり「もう着替えちゃったから」と意味不明の理由を告げられました。

 

まぁ彼はこれまでそのような理屈を前面にして人生を送ってきたのだなぁ・・・と思わされましたが・・・。

天気予報もそうですが、時間的に私の都合が合わないこと、無理なものは無理ですからねぇ。

その理を了解してもらうのに時間を要してしまいました。

この寺の雑務をもってその日の賃金を得たとしてもその後のことはどうするのでしょうね。

 

扨、昨日の十三重石塔の小山を降りて右に折れれば①②の景色となりますが、そのT字路を左に曲がれば神社入口。

その反対、右に折れれば③の如くの参道になります。

向かって右側にあたかも堀の如くに境界をつくる小さな川の流れがあります。

50mほど下るとその川を背にして④いわゆる談山神社摩尼輪塔、重要文化財指定(高さ315㎝)の遺構が姿を現します。

 

昨日も記した「日本石造美術」の絶賛評価の記述を。

「八角柱の塔身に生けこんだ形になる。

その正面上方に宝珠形の大月輪を厚く彫出する意匠は実に秀抜である。月輪面には五点具足の胎蔵界大日の種子をあらわす。

刷毛書の雄渾な梵字で薬研彫の効果も十分である。方形の笠は大きい気宇を示し、鎌倉後期様式の軒反りが美しい。頂上に路盤を作り出し、その上に伏鉢・請花・宝珠を飾り、見事なおさまりを見せる。多角柱であるから石幢のようであるが、石幢のように八面を使わず、仏を正面だけに奉安しているので笠塔婆に分類する。塔身正面に達筆の字で『妙覚究竟摩尼輪 乾元二年(1303)癸卯五月日立之』と刻む。妙覚究竟摩尼輪は仏果の終極の位をあらわす。」

 

失礼ながら私にはその形状、昔の郵便ポストのようにも見えました。

 

 

 

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2024年

10月

07日

十三重石塔 藤原不比等 淡海公墓塔?

おそらく私の人生「キャリアハイ」初めてのことでしょうね。そんなこと・・・昨日(10月6日)の午後、「い~ら」の山の森からツクツクボウシの声が聞こえてきました。

まさか・・・がずっと続いています。何があっても驚くのをもうヤメにしましょう・・・

秋雨がやたらと長く感じるこの季節、朝から青空が広がってくれました。

私は拙寺にて多くの来訪者への対応があり、準備(搬入と搬出)のみのお手伝いとなりましたが昨日のい~らでは恒例の「芸能発表会」が。

そちらで史跡調査会が考案した意次せんべいの棚店の出店がありました。

そのイベントの賑やかさに圧倒されました。私が午後の片づけに赴いた頃は殆どカラオケ大会の様相。そして最後の演目がフラダンス。怖いもの見たさでおそるおそる・・・

やはり年配者が多く見えましたが何か目標を持つということは元気のもとであること、よ~く理解させていただきました。

情けないことですが何れもそのステージに上がること・・・私にはムリ。

 

扨、昨日の多武峰第1駐車場から談山神社に向かって階段を降り切ると、右側④の看板~十三重塔石塔~の案内板が目に入ります。その先の木々が茂る森の中にいわゆる「談山神社十三重塔」が立っています。

藤原不比等―淡海公の墓と伝わる石塔です。

あれだけの高さの塔とあって幾度かの倒壊を経験しているようで所々に痛々しい痕跡を残していますが建立は基礎に刻まれた「永仁六(1298)」と鎌倉後期でありその時期の石塔としては希少な遺物。

場所的に「放置」に近い地を思いますので、さりげなさという点では好感が持てますが、少々石塔の立場からすれば地味な扱いが過ぎる感。

 

所重軸部には金剛界四仏の種子が薬研彫。

基礎は「永仁六戊戌三 勧進六八願衆」「大工井行元」(鎌倉後期に活動した伊派石工の一)

「弥陀の四十八願に因む六八願衆と名づけた阿弥陀信仰の人たちの結衆が、多くの人たちから寄付を募って造立したものである」(日本石造美術辞典-川勝政太郎)

 

 

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2024年

10月

06日

タダか500円か(11月1000円)相方を怒らせないために

昨日の法要は久しぶりに午前と午後の2件。

雨が心配でしたが、何とか強い降りの時間は回避できました。

ただし夜になって結構強めの降り。各地警報が出ていました。

22時すぎには雨はようやくあがりました。

 

またこの時期に本堂で扇風機がフル回転というのは・・・

先週、ご門徒さんのご自宅での日にち指定のお取越に赴きましたが、一昔前のこの日には「火鉢を出した」と。

扇風機と火鉢・・・その中間の季節はどうなった?

 

ご門徒さんの最近の話題について昨日は「全身麻酔か局部麻酔か」について記しました。経年摩耗した足腰の骨の「復元」手術の際のそれについてのものですが、また最近私がよく耳にするのが「透析かギリ透析寸前か」の話題も。

それは糖尿病に関わる腎症への対応ですね。

決して軽くはない糖尿病などの維持療法でしょうが、そのボーダーラインたるその時の数値がその会話の中に出てきます。

私にはチンプンカンプンですが。

「もうそろそろヤバイ」などの言があった方。前回お会いした時から比べて絶不調を思わす体調の様でした。

もう一方も以前と比べて一見して見紛うほど痩せてしまっていました。

 

以前のデータにありましたが、その透析施術に入るとそれをしない人と比べて余命生存率が50%となってまうといいますから、そのボーダーラインを超えたくないというのは当たり前の心情。

透析をしなかったらスグにで危篤状態に陥るということでしょうね。

何よりもその「透析」という施術に要する時間の浪費にその経費は老後の安楽、特に家計の切迫要因となりますからね。

よってそのボーダーラインに満たない、現状まだ大丈夫というところにこのうえない安堵を得るわけです。

そのために数値維持のための食事療法と投薬をもってその定期検査に臨むとのこと。

それでいて皆さん、その時の覚悟はある程度できているような・・・

 

つい数日前にお会いした方はやはり透析入りへの警戒を抱えている中、高血圧の症状もあって医師より強めの降圧を期待して薬を処方してもらっていたそうですが、あまりの血圧低下によって「くらくらして歩行にも難儀」したといいます。

結局は「130」という数値目標でコントロールしてもらったとのこと。

高血圧に糖尿病に透析・・・いずれも齢を重ねて発生しやすい病とその療法ですが私は今のところそれへの対応に関しては何とかなっています。

しかし老・病・死というものは微妙に関係しあっていて、「朝には紅顔、夕には白骨」の身ということあって「大丈夫」ということは言い切れません。

どうあがいたとしてもその試練はいずれ・・・ある。

まずは「まかせるだけ」ですがね。

 

扨、談山神社に向かうに奥方と向かった際は山の上の多武峰第1駐車場に車を。こちらへの駐車はタダです。

今時タダ(無料)というのは有難い。

ところがそちらからだと談山神社の入口までは少々の下りの距離が・・・当然に帰り途は登りということになります。

よって案の定「何故に・・・」と奥方からその疑問が投げかけられるわけで・・・「ケチケチしやがって・・・」です。

 

掲示板の通り、門近くの第5駐車時用の料金は500円。11月は紅葉の季節だからか1000円とのことですがその時は桜の季節。

その500円をケチるのではなかったと後悔したものです。

私は歩けば新しい発見もある、そもそも健康にイイ。感謝されるべきであると説明しましたが・・・却って不穏な空気に。

 

 

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2024年

10月

05日

いいね 十三重塔はやはりウリ 談山神社

雨は夕刻前にはあがりましたが殆ど一日中の感、まるで梅雨のよう。

昼過ぎからは県の観光協会の皆さんが来られていましたが対応は長谷川氏に全おまかせ。

私は庫裏にて大谷祖廟へのお参り用の事前資料の作成をしていました。

その後は本堂正面引き戸の不具合の修正にかかりましたが、思わぬ気温上昇と高湿度にかなりイラついていました。

 

法務以外の時間を境内の建屋や植栽のメンテに充てるのは私の役目ですが、それについてつくづくと思うようになりました。

その何となく一日すごせるおかげさまを。

その気概とある意味自己満足がいつまで続くかは分かりませんが、この仕事だけはリタイアがない、エンドレスだということをも思います。没頭する趣味など今更見出すことなどできませんね。

時間を見つけて奈良辺りをほっつき歩くには絶妙の季節になりますが、私にはその程度。

そして境内での雑務が多すぎてなかなかそのタイミングが掴めません。

 

今年は山野にクマの好む果実の成りが極めて少ないようで彼らが人里に下りる頻度が高くなるかもしれない・・・と。

彼らの冬眠期をそれを信じて山歩きすることがありますが、今年~来年はかなりヤバイような気がしますね。

そもそも温暖化で冬眠をしない個体の存在も耳にしていますので。

もしかして腹を空かせてやはりイラついた熊どもと同じフィールドに私があることなど・・・想像するだけで恐ろしい。

 

午前はずっと雨でしたがあるご門徒さんと石屋さんが。

そこで話題になったのが「全身麻酔」か「局所麻酔」の件。

幸いにして私は前者の経験はありませんが、お二方とも両方の経験が。

そのお二人のうち一人は膝軟骨×2、もう一方は股関節手術での全身麻酔、そして次回はもう片方の施術の予定について。

やっちゃえば快方に向かうことはわかっていてもその全身麻酔だけは辛いとのことでした。意識があるのかしらねぇ・・・

もっとも手術をしなければ歩行困難で寝たきりになると医師より脅されている(股関節の方)のでなんとかあと10年を快適に過ごせること、楽しくすごせれば・・・とのことでした。ちなみにその方は74歳です。

 

私のその話題参加は頸椎の件。手術についてその全身麻酔と術そのものに怖ろしさを感じて病院から「敵前逃亡」した旨をお話しました。

人生「逃げること」も一考。岐路遭遇の選択肢として。

 

先日取っ捕まった強盗傷害の若者は「闇バイト」の招集に応じてなるべくしてそうなったのでしたが、発案招集したボスは「逃げるな!!」なる言葉を発したといいますね。

私どもはある目標に向かって準備した共同作戦から「逃げる」ことは他に迷惑をかけますし卑怯なことと教わっています。よってその語は叱咤激励のイメージ。

 

しかしそのシチュエーションは年寄をブン殴って縛ってカネを奪う酷悪犯罪です。

道理もヘチマまありはしませんからね。

そういう場合はさっさと「逃げて」警察へGO!!するというのが常道で正解。

ちょっとの失策(闇バイトに引っかかった)をしてしまったけれども真っ当な人生を再び歩むのか強盗傷害の罪状をもってすべてを晒されて収監、大いな人生の時間の浪費をするのか・・・

0-100で結論出ています。闇バイト主幹者の「殺すぞ」などの脅しには「やってみやがれ」の啖呵を。

そもそも真っ当な「逃げるな、投げるな」の言葉をこれまで聞こうとしなかったクセに何故にしてその手の輩の「逃げるな」に合点するのでしょうねぇ~。わからない。

 

扨、談山神社やはり絵になるのは十三重塔。

廃仏毀釈でも生き残ったのは・・・壊すには惜しいから・・・それに尽きるでしょう。

 

 

 

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2024年

10月

04日

談山神社正面鳥居と階段 あの植物には快適な季節

昨夕刻からはまとまった雨がありました。

浜松では竜巻の被害があり以後当地の状況を見守りましたがそれによる変化は幸いにしてありませんでした。

 

東南アジア、台湾を襲った台風にしろアメリカで死者190人を出したというハリケーンもそのパワーの源泉は間違いなく温暖化による海水温の上昇でしょう。

最近のニュースで驚愕したのが伊豆のサンゴの白化現象。

その如実を聞いて海水温上昇にもはや疑念の余地はないと思ったのでした。サンゴの成長の北限も上がってきていることもしかり。

 

最後の画像は毎度記している月下美人の蕾。昨日の図です。

1週間後には「咲くぜ~」のアピールは当家の鉢植えのそれをざっと数えて15個以上。

蕾の位置が近すぎると干渉しあって自然淘汰、どこかで変色して落下することになりますのですべてが咲いてくれるとは思いませんが彼らの成長具合は申し合わせたかの如く殆ど一斉開花。

タイミング、どんぴしゃで開花すればさぞかし玄関は賑やかになるでしょうね。

彼らの謳歌繁盛はやはり気候のせいでしょう。

 

一昨日、久しぶりに以前もお願いしていた方から「明日何か仕事を・・・」という依頼の連絡がありました。5年振りくらいでしょうか。

草刈りをサボっていたこともあり「それではよろしく」と電話を切りましたが・・・

昨日は午前11時すぎから雨が降りだしてその作業は3時間弱で終了することになりました。

時給1000円で昼食付きという事前了解でしたので、金3000円とカップ麺+少々のお菓子を渡しました。

「また仕事をしたい」とのこと。「お天気の様子を見て連絡してね~・・・」。

家の事情と体調が芳しくないという彼。

ハードな仕事は頼めそうもありませんので、仕事の内容について配慮しなくてはならないのが難点。

何しろその方に作業依頼したとして、私がその処理に地頭方まで走らなくてはなりませんので、案外と私の時間が制限されてしまいます。

 

彼の談によれば色々な場所で仕事を断られ続けて最後に拙寺に来られたとのことですが、世にいう闇バイトの短慮の者はこういう地道な就業でもっておカネを得ることを見習った方がイイ。

ちなみに彼は私より一回り以上歳が若いです。

オトナに対して仕事の対価が3000円というのは申し訳ないことですし、受け取る方としても屈辱を感じているかも知れません。

 

「傘を貸してほしい」ということで別れましたが、徒歩で御前崎まで帰宅したかもしれません。

先日拙寺に「何か食べ物を」と訪れた際は藤枝の仕事先から徒歩で帰宅途中とのことでしたから。

 

画像①~④は先日と同じ明るい時間帯の談山神社門前と階段の図。

 

 

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2024年

10月

03日

南東側の要害性 布引原側の脆弱性 勝間田城大堀切

若衆の短慮、呆れるばかり。首都圏でまたも流行り出した「闇バイト」とかいう強盗団の件です。

この街区防犯カメラだらけの中、「ようやるよ・・・」の感。

そもそも報酬-大金の誘惑があるのでしょうが、それをゲットできる確証などあるはずもなく。きっとそのおカネなど貰えないでしょうね・・・

そもそもゲットされちゃうのは軽はずみにそのバイトに応した者たちなのですから。

何故にその短絡発想に陥って身を滅ぼすのか・・・まったく意味不明です。

 

悲しきかな地道に仕事をすることを教えてくれる人が居なかったのでしょうか。

また、それほど泡銭が欲しくて強盗をしたいのだったら一人住まいの爺さん婆さん狙いではなくて「強い者」・・・特に永田町あたりでその泡銭を懐に入れた「裏金ギイン」の衆でしたら国民のうちその気概に納得し共感できる人は少なからずいるでしょうに。

年寄をブン殴って縛り上げてカネをむしり取る・・・刑務所に入ってからボコボコにされあるいは親、兄弟親戚までも後ろ指を指されるのがオチですよ。

 

昨日は午前の法務が終わって午後から軽トラのウォッシャーポンプ、タンクの不具合の修正を再チャレンジ。

息子に注文してもらったバンパークリップが届きましたので。

タンクの横腹には穴が開き尚またフロントガラス全面からは水が出てこないという症状です。

中古も新品もポンプ代替品は5000~6000円ということで一旦は諦めましたがしつこくも今一度試行した次第。

タンク横腹の穴の下には水が溜まります。よって底部に残った水が噴出してもいいのですが、それが出てこないということは・・・目詰まりを想定。

割れた破片がポンプの入路に詰まっていたとしてそれを除去できればと

 

フロントバンパーを外してからタンクを外し(10mmのボルト3本)内部を幾度か水洗いしました(最後の画像赤丸がポンプ 穴を塞いだ黄色いテープが見えます)。

テープで穴を塞いでから装着。水を注入しましたが、その辺に転がっていたガムテープの類ではダメ。激しく漏れていましたが肝心のウォシャーの方は確りと水を噴出してくれました。

当分は水の注入の頻度は高くなるものの「まぁ、これでOK」と勝手に納得しながら終了しました。

いずれまたまともな修繕を試みましょう・・・

 

 

 

扨、一昨日勝間田地区の私の時間は久々勝間田城を歩こうとその山を登りました。

あの件事に赴く前にその時間のことを奥方に話しましたが「その恰好で行くのか?」と問われました。

私は「たれもいやしねぇや」と捨て台詞。

案の定その城跡には人影はまったくなし。

蛇が一匹案内を買って出てくれはしましたが・・・

以前最後に歩いた勝間田城は冬の図でしたのでそちらと比較できると思いますが、今は草ぼうぼう。大きい声では言えませんがあまり手が入っているようには見えませんでした。

 

よく榛原は勝間田城勝間田氏、相良は相良城田沼意次に二分されて双方あまり相手のウリについて感心を持たないといった声もよく聞くところ。

勝間田のみなさんはその管理に奔走しているから・・・とはいうもののあのボサボサを見て、「ふ~ん」。

まぁ広い城域の管理は難しいことですからね。厳冬期に来るしかない・・・と感じました。

しかし①のポストの中にあるはずのパンフは一つも無し。

管理するとは言っても私と同じ、やり切れるものではありませんから同情します。

しかし折角遠方から来られた方がいらしたとしたら・・・がっかりですね。その不作為。

 

肝心の着眼点はやはり「大堀切」。

二の曲輪と東尾根曲輪の自然の地形のそれ、谷間を「堀切」とすれば、これほど大規模なモノは他にそうはありません。

⑤⑥の堀切の延長となる南側が➆~⑩にあたります。

あり得ないほどの高低差ですが、その地形について事前に承知していたとして東南側からの攻城は無謀です。

おそらく堀底大手道といった感じになるのでしょう。この谷を降りきれば勝間田川になりますので川を外堀にした頑強な防御性を発揮していたと想像します。

 

それに反して西側の防御性はかなり脆弱。

舌状台地の東側にある勝間田城は台地の西に広がるフラットな地(布引原-牧之原大茶園)を背後にしていますので寄せ手からすれば勝間田川方向から攻めあがることは愚の骨頂でしょう。

布引原から攻め降りれば本丸は近くて難なく落とすことができるような地形を感じます。

対東側の勢力(今川)を意識している造りを感じますが、そうであったとしても裏に回り込まれることは考慮しなくてはね。

 

 

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2024年

10月

02日

大谷じゃなくて大ケ谷 勝間田の横穴古墳群

「国民に寄りそう」といった政治家の発言をよく耳にしますがそれはあくまでも口上でしょう。遠い存在の方々がそうは言ってもまったくピンときませんし。むしろ気持ちが悪い・・・

その言葉自体が漠然としていますが、時に我ら坊さんも悲しみに沈めるその空気(葬儀式)の中で「そうあるべき」とは言われます。

しかしやはりその通りにできたのかといえばかなり疑わしい。

私としては真宗宗旨に沿った法縁を淡々とあるがままにお勤めするだけですね。

 

その「寄り添う」とは「違うだろ・・・」と思ったのが今年の4月から訪問介護の基本報酬が引き下げらたこと。

今朝のNHKのニュースで扱っていましたがヘルパーさんなど人材確保がままならず、地方型の中小規模の訪問介護事業者の経営が深刻度が増して倒産件数も増えているとのこと。

 

ニュースではある施設の経営者の方は月給8万円。自身も高齢に付き「やめたい」との談でしたが、後継者として従業員を指名することも酷な事と。

それは施設経営側だけでなく、受ける側、高齢者、要介護者にとっても不都合なことです。

 

これは厚労省の施策ですがピントがボケているとしか言いようがありませんね。

実は国民を「突き放している」ことがわかっていないのかも。

それはそれは、おカネが十分にあって施設、窓口も多く集まる都会の皆さん方には介護にあぶれる心配などあるわけもなく。

まったく末端の事など分かっちゃあいないね。

 

昨日は独り暮らしのご門徒さんが亡くなったことを記しました。

自宅にて持病の突発出現により発見が遅れたのでしたが、そういった地区のチェック機能といえば殆どボランティアー民生委員さんの仕事になりますね。

この国は末端の悲痛や現状苦難に対して、民の力に期待しすぎの感があります。

石川の地震でもボランティアの受け入れ云々についてあれこれと囁かれていましたが救助・救援・資材・資金投入含めて本来、まず最初に国が動くべきことでしょうに。

 

また自治体の避難住宅の設置地選定の件はお粗末。

浸水リスクのある場所に住居を建造することなど呆れたものです。

 

それを口上で「寄り添った」などとは片腹痛い。

要はその時、見捨てられるということ。

災害対策は「生きること」が第一義ではありますがそのあと「見捨てられた際」をどう生きるかが大事になりますね。

そういうものだとして考えるべきです。

過度に期待すれば失望することになりましょう。そういう国なのですから。

 

扨、昨日は榛原の火葬場へ。

棺を納めたあと、収骨まで時間がありますので勝間田地区を黒衣に足袋と草履ながらちょろちょろと。

入り組んだ台地と谷が交錯する地です。

その山を降りて県道沿いに山からの流れのある小さな川のある南向きの斜面が大ケ谷の横穴古墳群。①②の先を少々散策。

草ぼうぼうでその横穴の存在は判明しにくい。

そこで勝間田小学校の生徒を捕まえてインタビュー。

今、私服で「声掛け」すると時に「ヤバイ人」扱いされて通報されますが僧形は案外受け入れられ易かったので安堵。

 

ストレートにコレ(看板を指して)知ってる?と聞けば「ごめん、わからない」と。

学校でも教えてもらってないようです。

学校の先生は地元の人とは限りませんのでそうかも知れませんが、もうちょっとばかりうまいこと管理できないものかと。

近くの方にもインタビュー。

「子供の頃にその周辺で遊んだが・・・」と中年の女性。

40基近くの横穴古墳、その様が目にできれば壮観でしょうね。

 

看板からすれば勝間田小学校辺りが集落跡との推測。

むしろ勝間田川に近く低地ですから昔から水害と付き合っていたのでしょうね。

 

墓域らしく川沿いのヒガンバナの奥がその崖(場所はこちら)。

アゲハ蝶はその花がお好きの様。

⑤画像には3個体が写りました。

猛暑ではない夏日、10月1日の勝間田の午後、青空の下に元気に鳴くツクツクボウシの声には驚かされました。

 

 

 

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2024年

10月

01日

談山神社 懸造拝殿 回廊+高欄+銅灯籠下部に石灯籠 

「信じられないくらい」と月並みな表現しかできませんが、もう10月入り。

「光陰矢の如し」の件「知らなかったの?」と自問するもまったくそれを考えている隙もないほどです。まぁ一言「阿呆」とその自分のあり様にケリをつけて淡々とあとの2か月を送るのでしょう。

そしていつか「その時」を迎えるのでしょうが実はそれはそれほど悠長なことを言っていられる話ではなく「明日かも知れない」ことだけは頭に入れておきます。

 

今私が抱えている法縁のその故人は世に言われる孤独死。

発見まで3週間を要してしまったそう。

通夜なしで火葬場直行ということになりました。それまでは警察署の霊安室にて安置となりますが致し方ないことです。

その方のお姉さんが施主となります。公共の手で火葬・埋葬するかを打診されたそうですが、それは固辞し、せめて自分の手で葬儀を・・・といことで忙しく各手続きに動いていました。

火葬後に葬儀の日取りを決めてしっかりと送りたいと。

 

先日は、山梨県から来られた参拝者より信玄餅のお土産を頂戴したのでしたが、それを食してから咳が止まりません。

拙ブログでは最近の不調、肺と喉の不具合について記していましたが今回はいわゆる誤嚥性というヤツでしょう、がっついて信玄餅を口に放り込んだため気管支にきなこが入ってしまったというワケで。

 

ホコリもそうですが微粒子は怖い。

奥方はそれをジジイ化と言って私の咳に厄介者扱い、うるさがります。

父もよく咳をしていましたが、そういった指摘をされると必ず「出物腫物(~ところ選ばず)」と開き直って反論していましたが、私にはその元気はナシ。

当時父のそれを厄介者扱いしたのは私ですからまったくその父への対応が跳ね返って来た感。

齢をかさねて初めてわかること多多ありますね。

 

扨、談山神社の拝殿。

山系の寺院に多くみられる崖の如くの斜面に作る懸造のカタチの拝殿は回廊を歩けてまた見晴らしがいい。

特に銅の灯籠がズラリと並んだ様は見事です。

この建造物は1500年代に造られたといいますがよくもまぁその耐力が続いている・・・と。 

 

 

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2024年

9月

30日

談山神社 杉と桜とカリンと折口信夫

先日の少々気合を入れて行った境内清掃作業の翌日から顔と左右の腕に湿疹状の痒みが現れ瞼の下側が腫れていました。

強烈な痒みで掻きむしりたくなりましたが何とかその衝動を抑えつつ家中の虫刺されかゆみ止めの類を総動員して塗りたくっていましたが、昨日「そういえば」とその原因が判明しました。まず間違いない!!と。

 

私は当初、ホコリを吸った際に何か悪い虫にでもヤラれたか奥方が刈り込んだと思っていたうるし科の類の枝葉の散らかしていたものを私が拾い集めたことだと考えていましたがそれらはその私の忘れていた行為を思い出したことにより一掃されています。

 

そもそも奥方はそのうるしは伐っていないとのことでした。

あの時の私の仕事は各ありましたが、その原因はまず銀杏の実だったということで。

水屋後方に強烈に堆積し、例の臭いを放ちだしたそれを箒で奥の藪に掃きよせ、あるいは箕に集めていましたが、勿体ないの気持ちが起こり、20粒ほど実の大きいものを集めました。

そして表皮部分を直接指で剥くなどの処理をしました。

あとから食してやろうとの魂胆でしたが、まぁその強烈な痒みと湿疹の原因はそれでしょう。

 

20数年以上前にそれと同じことをしたことがありましたが、その時は平チャラでした。やはり加齢のせいでしょうね。免疫力が低下したということでしょう。ああ息子にやらせばよかった・・・

当初奥方にその責任(うるし)を擦り付けたことなど反省しなくてはなりませんね。

自身のポカ・やらかしを他者に転嫁するところも明らかに老化しているということ。

 

扨、昨日の談山神社のカリンですが今一つ境内の違う場所にもあります。それだけ所縁のある樹木だということですね。

それに関して釈迢空(しゃく ちょうくう  折口信夫)の詞が刻まれていました。

彼の「死者の書」は私が二上山の當麻寺にハマっていた頃に拝読させていただきましたが、彼が如何に古代奈良に心を向けていたかがわかります。ちなみにその法名は真宗の僧侶に付けてもらったようで彼もお気に入りだったよう。

 

そしてこの談山神社のある談山は杉の大木が各所に存在しその愛すべき自然にも私もハマってしまっています。

サクラの季節ならば猶更ですね。

 

 

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2024年

9月

29日

花梨アンラ樹 多武峰曼荼羅 天誅・・・ 談山神社

昨日午前、お内仏開扉式がありましたがそれは新築のお宅の内覧会のようなものでした。

色々な新しくて機能的な品々に驚かされながら興味津々で質問をぶつける私がいました。

 

自分の希望、イイもの、利便性を追求したいと深く思えば思うほど出費は嵩むというのが「やはり」と思うところで、結局は妥協の連続になるようです。

当初施主家では流行りの太陽光発電を屋根上に設置することを検討していたそうですが諦めたそうです。勿論予算オーバーの件。

あと蓄電システムも・・・上を向いて理想を追いかけるのは楽しいことですがキリがありませんからね。

私が一番に驚いたのは電気自動車用の給電用でしょうが「将来の為に」と設計士側から推奨された200Vのコンセントです。

圧巻の配慮ですが私はエンジン世代ですから電動は肌に合いませんからね。というか維持コストが突出するような気がして。

 

扨、人とは色々な課題を抱えて日々生活しているのですが、その解法を潜在的に抱きつつ忘れて何かしら動いている中、ふとしたことからその目的達成のための示唆らしきものを感じたりします。

どこかでも記した「ユングの共時性」というか偶然というかこじつけというかそれを強く主張すれば時にインチキ宗教、もっと強く言えばオカルト、自然に考えて「不思議」という感じの事象。人によって感じ方に違いはあるでしょうが私はとかくいろいろ「こじつける」のが好きですね。

それは「南無阿弥陀仏」で生かされていることを意識しているからかも知れません(「南無」=「おまかせする」でつまるところすべての事象が阿弥陀の提示であると心得るから)。

 

私は何年か前に片付けた土蔵内の古文書整理以来、悪いモノを吸い込んだか肺への負担が祟ってホコリや微粒子には滅法弱くなりました。

夜中に咳が出だすと眠れなくなることもありします。

 

仕事上咳や喉の炎症には気をつかう生活を送りつつ「何とか十分なケアを」と考えていますが、そのことを忘れて放っつき歩いている時、談山神社でその「木と案内」を見たわけです。

「そうだ花梨を育てよう・・・」などと閃いたわけですが、それを奥方に伝えれば「それならカリン入りの飴でも舐めろ」と。

まぁ樹木好きの私は秋に実をつけるというその種子を頂戴しにそちらへ再訪したくなりました。育てることは楽しくまたその果実の成りを頂くことは格別です。

勿論豆大福も。

 

そして談山神社の宝物に多武峰曼荼羅ありますが、そちらにあの「天誅」なる語を拝見しました。

身勝手とも思える殺人正当を主張する言葉でしょうか。

「勝てば官軍」と同じような言葉のようにもとれますね。

 

 

まぁ、その天に恨みを買ったのでは・・・と思わせられるような出来事「ひょっとして・・・そうだ」と思わせられるような不思議で奇怪その後に大いなるその人の悪辣が発覚するきっかけとでもいうべきことが起こりましたね。

 

悪いことをしたら「罰が当たる」とは子供の頃から昔から言い聞かされていたことでした。

またその逆、酷い目にあったということはそれを罰として日ごろの我が身の悪き心を懺悔せよ・・・ということ?

 

画像⑧は入鹿の首がはねられている図ですが、死んでしまったら反省というものなどできませんね。

天誅とは反省する時間の利益が与えられないということなのでしょうか。

 

⑨画像が私が昨日感心した200Vのコンセント。

 

 

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2024年

9月

28日

鎌倉期の鐘と鎌足木造 念誦崛(ねずき)の語 談山神社

一日オフの日。

午前は11時まで軽トラいじり。

昨日記したメーターパネル。どうせならと、メーター部分を取っ払おうという感じ。今空洞にしてサイケな出で立ちになりました。

そこでまた問題発見。

ウィンドウォッシャー液が出ない現象。

通常そういう場合は水を補給すれば・・・と考えるところですが、タンクを見れば横穴が開いていて水を入れてもダダ洩れの様。

もうあの車屋に連絡はせず、何とか自分の手で、とその型のウォッシャータンクを検索。

新品で7000円以上、中古で送料入れて5000円以上のバカバカしさ。

息子の意見と私の考えは同じでした。

「ウォッシャー いらね」。

 

また気づいたところ。

フロントバンパーを外さないとそのポンプは出現しませんが、その際に5つのバンパークリップで留められているものがサイドの1つが欠落していました。

再び奥方から「安物買いの・・・」の小言を頂戴したところ。

クリップを取り寄せたいものの種類が多すぎて面倒すぎ。

 

11時からはMLB。ドジャースの地区優勝が決まってクラブハウスの大騒ぎまで視聴させていただきました。

テレビ小僧終了後は菊川方面に奥方とパネルの無い軽トラで買い物。

走りには今のところ問題はないようなのですが。

 

扨、談山神社のあの襖絵コピーのある空間には如何にも仏教的と思えるアイテムが目に付きます。

入ってスグ「梵鐘」がありました。この大きさからすれば「喚鐘」と思うところですがそれら背景にあの襖絵が見えます。

鐘は鐘身約68㎝、口径約53㎝、厚さ約6mmとのこと。

「大聖院新熊野 鐘 元享三年(1323)六月日 鋳改之願主幸尊」そして室町期の応永二十三年(1416)の追銘も。

元は「念誦崛(ねずき)」という多武峰奥の院紫蓋寺(しがいじ)あるいは周辺の僧房から運ばれてきたとあります。

お隣には十三重塔。

 

そして藤原鎌足の木造の存在。

こちらは定慧和尚が白鳳八年(679)に父鎌足供養のために建立した妙楽寺の講堂だからですね。

 

最後の画像は昨日の拙寺工事現場。

これから基礎のコンクリが入ることになります。それはお天気次第。

 

 

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2024年

9月

27日

メーターパネル交換 ウォホールとリキテンスタイン

午後から某メディアによる取材陣が来訪。

ざっと撮影が済んでから不調メーターパネルの交換に軽トラの販売店まで赴きました。

こんなテキトーでいいのか、それで了承して帰って来ていいのか・・・などなど大いなる疑問が湧きましたが、「まぁいいか」。

 

それが①の走行距離が最後にたまたま点灯した際の既存のパネルの図ですがそれが28553㎞。車検時の走行距離もそれに近い数字でした。

ところが、交換してもらったメーターパメルの可動は正常で不具合ナシですが、よく見ると78000㎞オバーと目が点になりました。5万㎞も余計に走っていることになりますからね。軽トラならそろそろ廃車の頃。

 

オーナーに問えば「コレでタノム」と。

次売る際や車検時は古いメーターパネルに付け替えて・・・とのこと。そちらは時々忘れた頃に数字が表れますからね。

掲示しなかったら車検は通りませんが。

 

奥方は任意保険のことを指摘。その走行距離では「(金額的に)ぶっ飛ぶ」と心配顔でした。「1年に5万キロは走りすぎ・・・」

とりあえず「いちいち実走行を計算して報告すればいいじゃん」とは言ったもののいろいろとかなり面倒。

さんざん走りまくって古いパネルに交換すれば走行距離の少ないお買い得車のできあがりにもなります。あくどいヤツです。

 

なるほどね、世の中古車の走行距離のあてにないところ理解できたような気がしました。

メーターパネルの故障交換の場合は通常は以前のものの走行距離を踏襲させなくてはオカシイことです。実際のところはどうなっているのでしょうかね。

 

私はそちら、簡単に交換が可能ですから、以前の物に戻したくなりました。

スピードメーターの不動などはどうでもいいのですが、問題は燃料計です。それが不正確、不表示ではちょっとばかり困ります。満タンにしたら古いパネル、そろそろ給油かな?と思ったら、まともなパネルに・・・いやそれもまたバカバカしい。

スピードメーターパネルの二台持ち?・・・

 

扨、数日前吉祥寺の叔父から連絡が。

30年くらい前から見向きもしないで箱に入ったままの、そして掛ける場所も無いという代物2件、「お寺でどう?」とのことでした。

というわけでそれを怖いもの見たさで受け入れたというところ。

玄関の脇の名号軸の下に置きましたがやはり違和感があります。

まぁ「お寺だからこうである」の拘りはよろしくありませんからね。

とにかく「何でもアリ」「まぁいいか」というのが私の方向。

まぁ私の辿っている方向など無茶苦茶ということでしょう。

 

 

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2024年

9月

26日

大英博物館の秋冬花鳥図コピー 談山神社妙楽寺

朝から境内に山ほど残った課題を少々着手。

今回は先般息子が向かった法要のあと週末に神奈川県内の友人に会うということで拙寺に滞留していましたので大いに動いてもらいました。

 

先日は拙寺工事現場から出た石垣の石を記しましたがあれからまた2個出現しています。それらは境内舗装路上にゴロっと転がしていましがそういった重量物の移動・整理には彼の存在は不可欠です。地頭方の処理場にも走ってもらいました。

 

扨、昨朝NHKのニュースにあの青森県中泊町の宮越家当主と所

蔵するふすま絵が登場していました。

要はその宮越家のふすまが大英博物館の秋冬花鳥図との対であ

るという正式発表がなされたということですね。

私の思いはただ一つ、先般記した通り、廃仏毀釈のマヌケ・・・やれやれ感。本来のあるべき場所に無くて遠方に売り払われたことの口惜しさよ。

 

宮越家ではそのふすまの公開をするそうですが、青森までは余程の事がなければ行けません。

イギリスはもっと遠すぎますし・・・

またネット上では「宮越家 ふすま」で検索していただければその記事が多くヒットしますのでどうぞ。

 

最後の画像3つは昨日の拙寺工事現場。

 

 

 

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2024年

9月

25日

陽光の談山神社妙楽寺 豆大福は欠かせない

前夜から風が強く雨戸が一晩中ガタガタと鳴っていました。

まるで冬にでもなったかのような雰囲気、気温も一頃よりぐっと下がってエアコン、扇風機の助けは不要でした。

前日から息子が藤枝で葬儀があるというので泊まっていましたが朝から奥方はてんやわんや。

 

7時30分すぎに息子を見送ったあと、しばらくして「忘れ物がある」と息子から連絡がありました。

奥方は「ふざけんな!!」といいながらそれを現場に届けに走っていました。帰ってきたら「昼飯を奢らせる」と。

まぁ私も同じことをやらかしていますのでニヤニヤしながら傍観しているだけ。

まぁ彼の場合、現着が開式1時間前というのが習慣になっていること、コレは天晴れ。よって何かと対応が可能というわけで。

 

昼間は境内作業。ずっと風が吹きまくって植木鉢が倒れまくってイライラ。ツクツクボウシのあまりにもか細い声が夏の本当の終わりを告げていました。

 

扨、奈良行脚の奥方同行版。見たい行きたいをコントロールされるものですから、何度も訪れることになりますね。

サクラが咲く候の談山神社妙楽寺は絶妙でした。

先般は私独りでこちらの門前を通ったのでしたが、通常時は門前に並ぶ土産屋さんからの掛け声に圧倒されるところ。さすがにあの時間はシャッターが閉まっていました。

 

実はその土産店の掛け声は豆大福売り。

さらっとこの山を廻ってから(さらっとでないと奥方から叱られます)、境内の石仏のある店の外でうどんとコーヒーのセットを所望しました。やはり奥方同行時はそういう時間も配慮しないとイケません。

そして門前に出て豆大福を2個購入。

その場で一つ立ち食いして天理のホテルでもう一つ。

再た談山神社をほっつき歩きに行きたい。

豆大福を買いに。タッパーを持参して。

ちなみに奥方は餡は好みません。

 

 

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2024年

9月

24日

問題ネコ捕獲と根負けの放猫 清水での法縁

石川県内の被災状況を脇におくことの不謹慎、他者の苦痛の存在を承知の上で、ノー天気なあれこれを記させていただきます。

 

「やってくれた感」がありました。

昨朝NHK、MLB中継の件です。

MLBといえば日本から渡った選手たちの活躍は何もオオタニサンに限ったことではありませんのでドジャース戦以外の試合を放送することは結構な事ですがさすがに昨日の試合に関しての放映の選択はNHKとしても後悔しているでしょうね。

 

今年たくさんの「劇的」試合を視聴拝見させて頂いていますが、昨日の試合はそのうちのベスト3に入るのではと思えるくらい。モニターにガチガブリ寄りたくなるような試合でした。

 

ところが本放送はその試合ではなくダルビッシュが投げたとはいえドジャースの尻に火をつけるが如く迫っているパドレスの勝ち試合の放送でした。

当初同時間帯のドジャースは山本が早い時間に打ち込まれて(相手は最下位ローキーズ)の0-4とかなりの劣勢でした。

時折他球場情報で断片的にドジャースの追い上げの様が伝わっていましたが、当番組の解説は陸上長距離の増田明美氏を彷彿とさせる長谷川氏ののんびりおしゃべりが継続、当方のイライラは増すばかり。

よってネットでのライブ情報をチェックしながら朝の法要の準備を進めていました。

 

昨日は静岡市清水区での自宅法要で8時30分の出立でしたが自宅を出る前にオオタニサンが同点HR、続いてベッツがサヨナラHRと絶対に負けられない一戦を奇跡的にモのにしていました。

そのライブ放送を目にしていたらさぞかし絶妙な一日を送ることができたでしょうね。

しかし、そのあとは車内テレビで放映されるそれらのシーンを眺めつつ気持ちよく法要を勤修することができました。

 

扨、例の私の悩みの種の野良猫は餌を仕掛けたケージに誘い込んで捕獲が成功していました。21日の深夜でした。

週明けに獣医の元に引き連れて避妊手術をしてもらう予定でしたが、翌朝一番にネコを放しました。

それは狂気の如く泣き叫びケージの中で暴れ狂っての一晩、玄関内に置きましたが、恰も「ものすごくうるさくて、ありえないほど・・・暴れる」。

そのおかげで自宅のネコたちがその異様な雰囲気にのまれて、餌を摂らなくなったこと、大音声の鳴き声によってほとほと気が滅入ってきたこと、法要を前にしてその声の響きはどうにも止められなかったのでした。

奥方がこの調子で数カ月以上付き合える覚悟があるのか・・・と念押しそれてやむなく諦めたということ。

私には野良の成ネコの保護など到底できないことだとわかりました。

息子には呆れられて失望されてしまいましたが、根性レスの私には無理な生き物でした。

 

生まれた時から親ネコに「人間はヤバい」と摺りこまれて生きてきたのでしょう。人慣れしたネコが仕合わせに生きられるのに・・・、まぁ致し方ないことです。

教育とはいかに子の人生を左右するか・・・人も同じ。

しかしあれだけ狂って暴れていたくせに翌朝、彼女はひょっこりと境内に姿を現していました。

 

先日の中国のダブルスタンダードの推測を思いだしましたね。

国民には統制維持のために反日感情と敵対心を教え込み、それでいて日本との商売を維持したい国の方向性。

またネコつながりで鄧小平の「白猫黒猫論」を思いだします。

トランプの「犬喰うネコ喰う論」もね。

 

そして②は昨日伺ったご自宅で対面したデコピン、否「ジャックラッセルテリア」。慣れっこくてかわいいワンコロでした。

 

法要の帰路、鉄舟寺の前を通過。恐縮ながらちょっとばかり被害の様を拝見させていただきました。

先般の豪雨で被災したことが伝えられていましたので。

 

墓地参道には入ることはできませんでしたが遠目からでも手の付けようがないくらいの様を目の当たりに。

寺院管理者はもとより、各墓碑所有の皆さんの心情たるや・・・

⑧は150号線を走っていれば目に入ってくる久能山下のイチゴのハウスの崩落現場。

 

斜面は怖い。しかし日本全国どちらにでも見られる景色です。

ただただ南無阿弥陀仏。

「すべてありのままに受け入れる」というのが人として生まれた者のお約束かもしれません。ただし差別被差別を除いて。

 

 

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2024年

9月

23日

渉成園秋灯り 藤枝郷土博物館 焼津歴史民俗資料館

石川県の豪雨による被災は目を覆わんばかりの様ですが、当地相良はこれまでの天気予報に反して降雨無し。

時折スマホに配信されてくる雨雲情報がありましたが、すべて雨は降りませんでした。

午前中の法事に関してそれまでの予報から「一体どうなるんだ」と思わなかった人は一人もなし。それでいてその時間は青空まで広がっていました。

ここまで予報が外れるのですから、スーパーコンピューターの解析とやらもかなり不正確を感じます。

スマホの雨雲通過予報もハズしていました。まぁ出何処は同じでしょうから。

 

まぁ良き方向に予報が外れたのですから文句はありませんが、私は大雨予報を信じて一昨日から境内鉢植えへの水やりを行っていませんでした。

ところが雨は降らず昨日夕方には葉っぱがしおれだしてしまったほど。

仕方なく夕刻に水やりを行いました。

 

一昨日はNHK報道報道番組「ミャンマー軍を支える巨大な闇」を視聴しました。

まさに人間の闇、日本経済の闇、政府の闇でもありましょう。

 

現実は「そんなものでしょうね」「闇夜だね」といった諦めムードが漂いますがこれはクーデター後のミャンマー軍が民間人への殺戮を続けている中、日本政府は表向きODA(政府開発援助)を「打ち切ります」と内外に表明していたもののしっかりとこっそりとミャンマー軍にカネが流れていたことを明らかにした番組。キレイごとの裏というヤツ。

 

ミグ戦闘機や武器の購入に充てられていることが示唆されていましたが、要は日本政府がミャンマー民間人殺しに中国とともに加担していたのでした。

 

ミグ用のジェット燃料を運搬するタンカーの経路を追いかけて発信先を突き止めるところなどさすがの調査力。視聴料を支払っていた甲斐があるというものです。

へ~え・・・と思ったのが日本企業の名称がズバリ公言されていたことです。

それが「横川ブリッジ」。カネの流れの一端が暴かれていました。日本企業の儲け主義の暗部ですね。

知らないふりをして人殺しの片棒を担ぐなんて。

 

コレはバチがあたりますね。

それをすすめていたエライ人も当然に同罪。

闇で儲けたカネは迂回して懐に入るというのも先例です。

悪い奴らは・・・因果の法則の輪廻に堕ちる? 私は知りませんけど。少なからず恨みは買いますね。

それは巡ってくるものと聞いたものです。

 

扨、いよいよ秋らしい空気に覆われるといいます。

シベリア高気圧の勢力下にはいるということです。

京都の本山東本願寺の飛び地、渉成園では「秋の夜間特別拝観」が催されます。

11月16日(土)~12月15日(日)の1730~2130(受付は21時まで)

施設維持費懇志として1000円(中高生500円)

 

拙寺のバス遠足の日にちと合わないのは残念。ただし12月中旬は私の脳内では「秋」ではありませんが。

 

②は藤枝市郷土博物館の特別展の案内。

③④は焼津市歴史民俗資料館。しずおか遺産認定記念特別展とのこと。

 

 

 

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2024年

9月

22日

思うようにいくこと いかないこと 資料館のパネル

当地のNHKローカルで「東海・北陸」という語がありますが、その日本列島の胴体の太平洋側と日本海側でこうも天気が違うとは・・・

日本海側冬場の雪景色の湿潤に対して晴れ間の多い乾期のイメージ、太平洋側との差はいつもの理解で収まりますが、あの異常な豪雨と災害には驚かされます。

まして、石川県は年初の震災による復興のさなか。

中には「(被災状況は)地震より酷い」なる声があったほどで、何とも言葉がありません。

立ち直って元通りに・・・の願いも空しく、再び同じ地域に天災が及ぶとは・・・

自然のこととはいえ、真に惨いお達しです、

専門家の談ではその地震との因果関係について示唆していましたがやはり長期的な被災想定をし続けるべきであったということでしょうか。

毎度グズモタの政府の救援活動ですが、今回こそ早急に動いていただきたいものです。そのスタートを仕切る御仁はアメリカへの任期最後の旅の移動中だとのこと。 

今回の台風14号とその進路が大陸上陸の直前に直角に近く転進したことが原因でしょうが、飛行機も反転させて石川へ向かうといった選択の発想はナイということでしょうか。

まぁ国内国民の苦難よりも「大切な事」があるのでしょう。

全ての予定をキャンセルしてドカジャンと長靴に履き替える力量があればきっと支持率があがるでしょう。

 

さて、北陸とは違い雲が多いながら安定した天気の当地。

私は14時からの史跡調査会以外、自分なりの時間をすごしていましたが、まず朝は本堂ネコ対策のチェックから。

散々に時間をかけさせられた障子下部の板張り化ですが、野良ネコという自然界の生き物とのイタチごっこは既に障子の6段目まで積み上がり・・・。1段目2段目から遂に一昨日で6枚まで積まれています。

 

コレ以上積み上げたら見た目のバランスが悪そうで奥方とは「これまで」ということで了解していたところ。

朝、まず第一に確認する場所は本堂正面②。

してやったり。ネコも7段目キャリアハイはさすがに「前猫未踏」だろうとほくそ笑みながら北側に廻ると・・・③④

なんと7段目からの侵入済みの様。それも9段目に手が掛かっていることが判明しました。

 

これにてネコ対策としての板張り作戦は終了します。

違う方法を検討しなくては。雨戸を閉めておこうか・・・

人智を超えているというか私如きのお頭ではあの小動物の頭脳に太刀打ちできないということか。

 

午前中は軽トラのパネル非表示の件の打開策として一旦バッテリーを外すチャレンジを。

すると一瞬にして復活。

ここでもしてやったり・・・とパネル注文の件、連休前までにキャンセルの連絡を入れなくては・・・とエンジンを切ると再び表示なしに。物事は私の思うようにはまずうまいこと運びませんね。

石川の皆さんほどの嘆きとは100-0くらいの差がありますが。

 

⑤~⑨は本当にしてやったりだった図。

スズキの軽トラには「シガーライターソケットがない」ということに気づかされて少々。おそらく今の新車のそれには最初から装着されているのでしょうが一昔前の軽トラにはシガーライターソケットが無く、おそらくそれはオプションの装備だったのでしょうね。

 

アレが無いのは今時相当な不都合アリ。

スマホの充電に車内ワイハイ機器、各機材の電源取りに無くてはならないもの。

これまでそれはどの車にも当然にある物と理解していましたから最初にそのナイということを知った時、呆然とさせられました。⑤はそれが在るべき場所にキャップが装着されている様。

 

メーターパネルの不具合の件は、何とか改善の目処がたっていますので私はそのオプションパーツを部品屋さんから調達しました。

配送料込みで1620円で価格的にもまぁまぁ⑥⑦。

キャップ⑤を外すと中から配線がスグに見えます⑧。

いつでも装着できるようにそこまで配線されているということですね。

 

⑦本体の黒いプラスチック(パネル本体へのジョイント部分)をソケットから一旦外してそれを先にパネルの穴に差し込んでおくとスムーズ。

ケーブルをソケットのオスに差し込んでからソケットをその黒プラスチックに嵌めこんでおしまい。

 

⑨これでストレスない軽トラの運用ができるというものです。

しかしまだメーターと走行距離、燃料残量が分からない。

 

①は昨日見た史料館のパネル。日本放送協会の名が・・・

 

 

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2024年

9月

21日

ハードル高すぎ ダメ元マンゴー 人は惑わされる

昨日は早い時間からMLB。

最近はプレイボールが午前11時(勿論日本時間)頃とあってそれを視聴していれば一日が終わってしまう感ありましたから、その時間帯の開始は非常に有難い。

そして昨日のその内容といえば見たこともないような記録と景色のオンパレードでした。

 

大谷さんが6打数6安打3HR10打点。

騒がれていた「50-50」を難なくクリアして記録更新。

朝から笑いが止まらない状況となったのでした。

そしてまた思いだしました、例の人気取りの「国民栄誉賞」などいう愚かなアイディア、ヤメにしてくだされ。

どうせ一蹴されるでしょうけどね・・・。

またグッズの便乗商売が賑やかですが、私は載せられませんね。

 

おかげで気分よく連日の作業の続き、障子の板張り改変作業に入ることができました。

夕刻のニュースでのんびりテレビ画面から静岡の気温は39℃オーバーと。

昼食をとる時間を惜しみ暑い本堂にて没頭していましたが幾度か冷蔵庫のドアを開け閉め、やたらと水分を欲する日でした。

 

境内は落ちて堆積しているギンナンの匂いが漂っています。

それら落下した果肉に猛暑は発酵を促しているようで・・・

それらを放置すると芽が出てきます。

それはそれで気の毒なような・・・

 

気の毒といえば中国駐在日本人に帯同する児童の命が奪われた件。以前にも同じような事件がありました。

一部中国で「日本語を話すことが憚られる」といった声も聞こえています。

これはとてもデリケートな事案でしょうね。

中国参入の日本企業もそれを後押しする日本政府は「商売のため」あまり強いことは言えないでしょうし中国側としてもただでさえ経済が低迷している中、最悪撤退などされたら大いに困る。

せめてその行為に及んだ犯人の主張なり理由(真相究明・・・)というものを中国側捜査機関に明示していただきたいというのは当然の流れでしょうが、このほど発せられたその事件の概要について中国側は一言「どこの国でもありうる単独犯行、偶発的なもの」でした。

 

そして昨日になって「中国政府が福島第1原発の処理水放出を理由に禁輸措置を講じた日本産水産物について、輸入を段階的に進めると発表した。」というニュースが。

 

総理大臣が自分の手柄のようなニュアンスでその件胸を張って話していましたが私の感覚では、「あの亡くなった子供がそうさせた」と。

いくら何でも少々ヤバいとでも思ったか中国政府がそう動いたというところかもね。

「真相究明」などいう政府関係者の発言も対国民へのリップサービス。

お互い突っ込みナシで手打ちにしたいというところが見えています。

そういう点からもより一層亡くなった子供と家族に対して気の毒と感じたのでした。

 

当初、凶行が行われた日にち(9月18日)についての意味深について示唆するものがありました。

それが日本の侵略戦争のスタート満州事変です。

1931(昭和六)年9月18日、満鉄爆破の自作自演で関東軍が軍事行動を開始した日。 

要は一部中国人の思っているだろうネガティブで屈辱的な記念日です。

 

しかしその殆ど一世紀も経ようとする事案(歴史)について怒りを惹起させてしまう心情の醸成はやはり中国の教育方針でしょうね。

日本人と日本に対する憤怒反日思想は学校でしょう。

それは国民が内政に干渉する機会を減らすため。怒りというものを外部に向けさせるという手法です。

 

日本政府が、やはり北朝鮮のミサイルだの中国の人権無視と領海領空侵犯を事細かに論うというところも自らの限界から目をそらそうというところが同じ。

外部に悪役がいれば内なる衆人をまとめやすい。

今、外部の脅威を殊更主張する輩がいますがその本質を見極めること肝要です。

特に軍事産業、ドンブリ勘定に裏金はつきものですから。

プロパガンダに載せられない、踊らされない、惑わされないこと大事。

 

画像①左は8月初旬、食したあと水に浸けていたマンゴの種から発芽したもの。②③は昨日の様。

当初発芽した葉を落としてこの葉が成長中。

①の右の鉢がパイナップル。こちらは食したあと挿木にしたものです。

両植栽とも低温は超苦手。

ハイビスカスやブーゲンクラスの耐寒性(5℃)はありません。

奥方から「どうすんだよ~」。

自分の首を絞めて楽しいか?」。

できるだけのことはやりますが、失望も勉強です。

ちなみにパイナップルは20年前に一度チャレンジしていますが失敗。暖冬を期待して再チャレンジになります。

 

 

 

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2024年

9月

20日

文殊山の「武備」なる地 法住寺跡

昨日も朝から本堂障子のお工作。

午後、木材の不足に気づき再度の購入に走らなくてはならなくなりましたが、まずは地頭方の処理場へ。

4袋まで溜まった花ガラの処理ですがこれは軽トラのあれこれ不具合の時間があったから。

するとやはりあの件・・・、メーターパネルの液晶の不調(掲示しない)が発生しました。スピードメーターも動かない。

そもそも「走ればなおる」~たまたまなおって~「ほらね・・・」じゃねぇってこと。

以後エンジンのON-OFFを繰り返しましたがダメ。

やむなくあの片言の日本語を話す彼に電話をすれば「ブツ(中古品パネル)を探して取り寄せるのでまた連絡する」とのこと。

まぁ早いところ解放されたいものです。

 

扨、先日は本巣の文殊山周辺をブラついたことを記しましたがそちらに武備なる地があることに気づきました①。

この山には規模の違う城砦が複数伝わっていますのでそれらに関わる名称がその名残として遺っているのでしょう。

また法住寺なる禅寺の跡が。

1600年代後半に高橋志郎兵衛なる人が願主として再建されたとのことですが現状廃寺後の更地になっています。

 

一つの寺を預かる住職たる身の私ですが、テラ行脚にはつきものとはいえこういう図は儚き気分漂います。

「廃寺」の語があれば特に。

 

その奥の山、森の先には円墳があるとの掲示。

おそらく堂のウラ側にあたるのでしょう、歴代の卵塔と石塔。

高橋姓の墓碑が見られます。家紋が二つ引き・・・詳細不明です。

 

最後の画像は昨夜の拙寺玄関内の月下美人。

⓾が20時前、大きくなった蕾が開きだしたところ。

⑪20時30分過ぎにはこの様子ですが完全には開ききっていません。

咲きだすと早いですね。

 

 

 

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2024年

9月

19日

名古屋市博物館から月僊図録と是旃陀羅~ぜせんだら~

猛暑継続中ながら風が本堂と庫裏の間を吹き抜けて案外と心地よく感じました。14時からの法要でした。

施主の経営する店舗では多くの従業員(20人弱)を抱えているとのことで、私はその経営の妙について「何から何まで大変な世になりました」と伺いました。

 

というのは人件費の高騰、また物品の販売とサービスはネットと大手資本の力ずくに押されて、個人経営における継続性将来に大いなる疑義が生まれつつ世であると感じているからです。お寺もそうですからね。

 

今年は県内の新聞社数社の夕刊の配達が休止になる旨のお達しがありましたが、そこで考えるのは「配達の方はどうなるのだろう・・・」です。

就労が喪失するということですから、仕事を新たに探さねばならない人が増えるということでしょう。仕事などそうは見つかりませんからね。

新聞配達といえば年配の方たちの就労が思いあたるところですが、その件を考えればやるせない気持ちでいっぱいです。

ネット全盛の時代、新聞の読者が減っていることは察していますが・・・。

 

昨日も一昨日の朝刊一面をアップしましたが、あの手の政治屋の方向性から今の不合理のすべてが理解できるわけで。

その手の事を挙げていれば枚挙に暇がありませんが、ETCが出た時は「便利になった」とは思ったものの、「料金所のおじさん」はどうなるのだろう・・・ファミレスでは端末で注文、ネコロボットが給仕~・・・セルフ給油所が増えメカは不在~・・・無人新幹線ができて~・・・と人を使わないでイイといったシステムが大きく「躍進」してきました。

「新幹線の運転手になりたい」などいう子供がいたことを記憶にしていますがそれはもうナイということなのですね。

 

人を雇わなくていいのですから経営者側からすれば人件費は不要であり、利益はUp。配慮すべきは機械のメンテだけ。機械は文句を言いませんからね。

政治は「給与を上げよ」と態のイイ旗を振りますが、会社経営側は「それなら人減らし」に走ろうとするのは当然の流れでしょう。

 

そんな中、私から最近のエピソードを一つお示ししました。

先般軽トラの中古車を新たに求めたことを記していましたが、その軽トラにて本堂障子用の材木を吉田方面に購入に走りました。そのついでに「スペアキーを」と奥方より提案があり私も合点。

 

その窓口に行くと専門らしき若い従業員が登場したのでしたが最初にまずマニュアル本らしき書籍を一読し例の如くのグラインダーでキーを切削。

20分ほど「長いなぁ~」と奥方と顔を見合わせて待ちました。すると一応「車まで」とドアとエンジン始動をチェックに同行。

ところがエンジンどころかドアも開きません。

それから10分以上再挑戦されていましたが、失敗。元キーは「2本しか在庫がない」ということで双方無駄な時間となったわけです。

 

そこで奥方に提案、相良本通りには鍵の専門店(旧長野金物店)がある・・・でした。

そちらは店主の弟が私と中学の同級で当時はちょくちょく出入りした家です。

というワケでそちらにお邪魔すると難なく1分で仕上げていました。それでいて料金はたったの500円也。まさに熟練の妙でした。

 

何でもかんでも揃う量販店ですが、多くの店員を配しているものの、技量のある熟練の店員はいなかったということ。ハナから自宅に近いそちらにお願いしていれば・・・

 

エキスパート、ロートルの類は人件費カットと邪魔者扱いの流れから職からあぶれているのが現状。

私が居た東急ハンズなどは接客販売、アドバイス、コーチングがウリで各部門の熟練者揃いでしたがこのご時世その形態は難しく身売りになってしまいましたね。

 

そして今回の時間の浪費に多大な不便と、大いなる気づきをいただきました。

そういった流れを「AI資本主義」なる言葉で語る方がいらっしゃいます。要はAIによって末端の人々はいよいよ貧困化し、社会全体が弱体化していくと。

 

私もそのAIが幅を利かせる世の中はちょっねぇ・・・。

経済、儲け第一主義、人のことはそのあと・・・それを国力などとは言えません。

 

扨、昨日は色々な方からのお便りがありました。そのうち資料をお送りいただいた方が2件。

その一つが先日いらした名古屋市博物館の学芸員の横尾拓真氏

からです。

横尾氏は丸尾月嶂の師匠の月僊の研究者と簡単に記しましたが数年前に月僊の展覧会を名古屋市博物館で開催したとのこと。

その際の図録をお送りいただきました。

リップサービスとして受けますが拙寺の丸尾月嶂の襖絵のご評価は光栄なことです。

「堂々たる大作で月嶂の力量が十分にわかる作例」と。

 

2つ目の資料が西尾市一色の安休寺ご住職雲英真人師から届いた書。

安休寺については何度か拙ブログで記しています(  

)がその寺の歴史もさることながら三河真宗教団では一目を置かれるお歴々を輩する寺でもあります。

今回の書籍は真宗全体でその問題について論議する機会が各地で催されている内容でした(是旃陀羅~ぜせんだら)。

 

是旃陀羅~ぜせんだら~などいう語はおそらく当地のご門徒の殆どの方は知らない語でしょうが、それは差別用語。

当流三大経典のうちの観無量寿経の冒頭に出てくる語で「知る人ぞ知る」その差別語によって多くの人々を傷つけて来た歴史があったといいます。

私の無知、その件知らなかっただけですが。

 

その送られてきた資料に上記の雲英真人師の造語という「AI資

本主義」があったのでした。

AIはまわりまわって差別を生む・・・なるほど。機械的に人を選別することが。

 

 

③の壁の型枠が取れて一気に整地④~➆。昨日の工事現場。

基礎の造成にかかるのでしょう。

⑧は正面中央の昨日朝の図。雨戸の堂内側から障子を突き破って出入りしたようで・・・トホホです。

サイドの障子から入って、そちらから出てくれればいいのに。わざわざ・・・

全ての自然の結末(野良ネコも)は阿弥陀の意思。

また奮闘させていただきます。

 

 

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2024年

9月

18日

野良ネコとのイタチごっこと朝刊一面のへ~え・・・

ハリウッド俳優の真田広之の「SHOGUN」エミー賞18部門受賞の衝撃、いずれその作品は視聴できるはずでしょうが、私はHDに入っていた「ラストサムライ」を流し視聴しました。

時代背景が明治初期とあって私のあまり好きではない時代ではありますが。

渡辺謙の渋さは当然ですが真田広之もなかなか良かったです。

尚、最近司馬遼太郎の「坂の上の雲」が再放送されだしましたが

そちらは興味の外。

 

ここ2~3週間、私の板っ切れを集め、また購入に走ってのDIYあれこれはネコ対策でした。

ある晩本堂でネコ(当家では「キイロシロ」と呼んでいます)と出くわしました。

大雨と雷の日でした。

 

当初は北側の障子を破いて侵入していましたが、その破損個所を修繕していくに従って侵入箇所は移動。夜間の安眠はココとばかりに定着が進んでいるよう・・・

修繕すれば破かれ―修繕してまた破き・・・というまさにイタチごっこの様。

数日前に遂に本堂正面右側を突破されたため、裏側より板を貼っり準備が整うまで保留にしていました③。

北側の障子に新たにヤラれた箇所がありましたので「そちらからどうぞ」の勝手にしやがれ・・・です。

 

ところが昨日の朝、正面を見ると⑤の如く酷い有様に。

これにはまったく卒倒しそうになりました。

というのは午前11時の約束で静岡の案内誌の撮影があったからです。

⑤の図をそのまま画像とすることはどうしても許容できませんでした。

方策としてとりあえず障子を切り貼りして誤魔化すか一気に板を貼るかというところでしたが後者を選択。

 

9時前からサイズ通りに切った板を貼り付けて塗装。

突貫工事により午前中でヘロヘロになりましたが、取材の時間には何とかギリセーフでした。

奥方も相当疲労したよう。「とっ捕まえて開きにしろ!!」

 

⑥はとりあえずの様ですがネコにとっては大した障害でないかも。足が掛かりますのでその上部の障子部分が心配です。

もう少しばかり板部分を上部に積むことも思量中ですが。

正面中央⑦は夜間当分の間は閉めておくことにします。

 

現在、来年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」に登場する「田沼意次・意知(おきとも)・意致(おきむね)」に関わる当地相良にスポットが当たることはもはや必至とばかりに史料館を通して拙寺へのメディア取材や直接来訪される一般の参拝者が増えつつあります。

千載一遇の町おこしと周囲も盛り上がりが見えてきました。

どう転ぶかわかりませんがうまいことやっていきたいですね。

 

最後の画像は昨日朝刊のトップ。

うやむやになった感があるそれですが・・・「へぇ~ そうだったのね」。

 

 

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2024年

9月

17日

本巣の文殊山 八幡宮のシイの大木を見上げる

ハリウッドで活躍している真田広之の「SHOGUN」がエミー賞 最多18部門受賞の件、天晴れなことでした。

私もそれを視てみたいと「奥の墓道」氏に尋ねれば彼の場合はJ.COMだとのことで楽勝で視聴できると

とにかくどちらかの配信会社と契約をしなくては無理の様。

まぁ当分大人しくしていることにしましょう。

 

作品はフィクションですが一応はモデルがあって主役は徳川家康がモデル。ウィリアム・アダムスやら細川ガラシャを推定される役も。

ガラシャモデルの女優も主演女優賞を受賞していました。

 

昨日ブログではガラシャ(「たま」)の母親「明智の妻」の生きざまについて「月さびよ」と謳った芭蕉の句碑を記しましがその「たま」の運命はより一層壮絶を感じました。

 

扨、先日は大桑小学校校長先生からの情報を記しましたが、そちら方向に私がかつて向かった地について漏れがありましたので追記します。

それが法雲寺の土岐頼芸の墓でした。

越前大野へ辿る国道(酷道)157号線沿い、ここから大野寄りに有名な根尾谷淡墨桜があります。ここを大野に向かいたいというのが以前からの夢になっていますが、タイミングが悪く実現できていません。スグに通行止めになりますから。

その季節を外せば殆ど意味を成しませんのでお目にかかったことはありませんが、その「分かれ」の名を名のる桜については各地でお目にかかっています(こちらまたはこちら)。

 

そしてその157号線と平行に走るのが根尾川と樽見鉄道樽見線になります。

その下流方向に最近になって新設された織部駅や本巣駅がありますがそちらの東側に山が連なり、それを広く通称「文殊山」と。

駅名の織部と耳にして思うのが古田織部ですが、その人を意識して名づけられたものでしょう。

地縁的にも当然ながら土岐家の配下にあった家でありこちらの文殊山を本拠としていたとのこと。

 

織部駅は昨年の一日辺り乗車人員が13人といいますから至って長閑な地であることがわかります。

私が文殊山周辺をブラついた際、立ち寄ったのが八幡宮の巨木シイです。シイには会うが人とはまったく遭遇せず。

シイに関しては私の知る限り朽ちて枝の落下を多く見ていますがこの木は凛々しく健康的でした(場所はこちら)。

 

 

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2024年

9月

16日

心温まるお土産 絢理のSHEEPとえんまん 月さび

昨日の法縁は午前と午後の2件。

朝の法要の前に以前「丸尾月嶂の世界」展でお世話になった御前崎の「丸尾氏」が名古屋市博物館の学芸員の横尾さんをお連れして来訪。

横尾さんは丸尾月嶂の師匠の月僊について研究しているとのことでした。

以前の丸尾月嶂展・・・拙寺の襖8枚はさすがに展示協力はできませんでしたが・・・あれから既に14年、今一度何か盛り上げを期している旨伝えました。

 

月嶂・月僊と「月」を思えばやはり中秋の名月。

日本では古くからそれを愛でるというのがならいですね。

今年のそれは9月17日で翌日18日が満月といいます。

私が結構にうまいこと巡るもんだと感心しているのは月下美人の開花の件。

まぁその開花についてはテキトーを思うことがありますが、昨日拙ブログにて記しましたようにその頃を見計らうが如く3つほどの蕾が大きくなりつつあります。

 

沖縄では初夏の大潮の晩に一斉にサンゴが産卵することは知っていますが、自然の営みというものへの理解は私の頭では到底追いつけませんね。本当に彼らは中秋の満月に合わせて開花させるのか・・・ただの偶然とは思えない・・・

 

昨日夕刻には「お祭り大好き」さんがその一鉢を取りに来られましたが、相当に気合が入っていました。

これまで植栽にはまったく興味がなく「どうしていいかわからない」と仰っていましたがあの植物の管理についてのご指導は「いい加減」。テキトーです。

花芽がポロリと衝撃で落ちやすいところはありますが。

 

ビデオのバッテリーをフル充電させて開花前にその鉢を玄関に引き入れて開花の状況を撮影するとのこと。

毎度開花させて楽しんでいる私ですが、開花の状況など見たことも無くその撮影成功の際にはDVDを1枚所望することにしましょう。

 

扨、月といえば叔母さんの名が月子。繁忙のあまり施設に入れている叔母さんの誕生日(9/12)祝いのうな重をすっぽかして後ろめたい思いですが今考えるとその名はやはりその名月の候から取ったと思うばかり。

 

また、昨日は大桑城について記したワケですが、そちらに行けば思い起すのは明智光秀の事。そしてその月がらみといえばあの有名な芭蕉の句「月さびよ~」です。

画像③④⑤は以前拙ブログでアップ済ですが近江西教寺の光秀の妻熈子の墓と芭蕉の句碑。

 

「 月さびよ 明智が妻の 咄(はなし)せむ 」

夫思いのベストな妻、黒髪を切っておカネに替え、献身的に夫に仕えて夫の病を看病し続けた挙句、疲労困憊(もしかしてその感染も)して亡くなったと、芭蕉は月を愛でて感じるものがあったのでしょうね。

 

①②は昨日午前の法要で東京から来られた絢理(じゅり)さんから頂いたニュージーランドのお土産。

御門徒のお孫さんですが、ニュージーランドにミニ留学が決まったということを聞き、それなら・・・ということで「波さんの御持仏さん」を渡してもらっていたのでした。

そのお返しと無事に行ってきたとの丁重なるご挨拶。

いい歳こいて・・・と嗤われることは覚悟、そのニュージーランド生まれのSHEEPちゃんをupさせていただきました。

 

尚、絢理さんの「絢」に注目。絢爛豪華の「けん」でもありますし物凄く複雑で奥が深い・・・その理・・・という意味があるのでしょうね。

どなたが銘々したの?と窺えばお母さんでした。

キラキラネームではないイカしたセンスにここでも感服させられました。

次の法要の時は彼女は20歳とのことですが、その時は海外に行っちゃうかも・・・とお婆さんが。

 

その画像の奥にあるのが昨日の午後の法要のお土産です。やはり東京からのお参りでした。

「えんまん」とありますが、やはり満月に見えます。

その語もよろしき言葉ですね。

 

 

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