勝間田540年ちらし完成  渥美家伝来旗差物 馬印

拙ブログは脈略も無く日々適当な事を記しては暮らしている「閑人の戯言の類」であること、これは記している当人がそう理解していますので、その内容において、責任というものを考えた事もありません。その日の気分でいわゆる「テキトーで行き当たりばったり」なんですね。

 

しかし世の中の皆さんにはどのようなカタチでこのブログに行きあたってこられるのかは不思議ですが、解析によればコンスタントに1日に280~330回程度開かれているようです。

この数字が「頭数」であるとは記せませんが、まんざらそれから離れた数字ではないような気もします。

約300人の人がサイトを訪れてくださると思うと嬉しいというよりも結構恥ずかしいですね。

 

見直しをしないというのがいけないのですが、何せ誤字脱字の山で意味不明の文章も各所に。

その手のものが何かのついでに読み直した際に発覚して「穴が有ったら入りたい」という気持ちになったりします。

特に幕府将軍の代数や年号を誤記したり、今では新説が出て旧来の説が覆りつつあるものを断定的に調子づいて記しているところですね。

 

まあ図々しい性分ですのでそうであってもご縁として適当にやるつもりですが・・・。そんな中、近頃私のご近所(菊川も御前崎に近い南側)にかつていらした方からメールをいただきました。

その方も私と同じ、歴史関係の事を記した「遠州 河東村出身者のブログ」を展開されています。

「河東」は位置的にちょうど塩買坂の西側になります。

そちらにかつていらしたそうですが、その方が戦国期を記せば当然に私の趣味と重なりますのでどちらかで「ごっつんこ」ということになりましょう。

 

そちらで紹介をいただいたのが和歌山県立美術館のかつての展示物(紀伊徳川家の家臣たち 県博企画展)でした。

そのうちの1つ画像①の渥美家伝来 「渥美源五郎旗指物

馬印」は私が初めてお目にかかった代物でひとえに感動したという次第です。まだまだ知らないことばかりです。

絹地勝色に金の日輪に「あつみ源五郎」の文字入り。

この「勝色+金色」は渋くて目立つコンビネーションですね。

拙寺婦人部の牧之原茶「無量寿」のパッケージデザインは畏れ多くも私のデザインになりますが、やはりその「勝色+金色」の配色でした。遠くからも認識できるよう、馬印には最適ですね。

 

またモノ分かりの悪そうな武将にも一目でわかるよう、「渥美」をあえて「あつみ」とひらがなで記すところ配慮されています。

戦場でいかに目立って自身を全体に向かってアピールするか、記名するところが効果的ですね(拙ブログでのかつての記述)。

 

こちらは和歌山県立美術館が個人所有(紀伊に向かった渥美家子孫に決まっていますね・・・)のものを拝借して展示したものですが、まだサイト上にアップされているという事で勝手にコピペさせていただきました。ごめんなさい(美術館のページ)。

 

尚、金色の〇といえば「日輪」というのがスジですね。

熊野十界曼荼羅には日輪と月輪二つが描かれていますが、やはり金で描けば日輪です。

どうして紺地(勝色)は夜を思わせるのに月ではないのか・・・と思われる方おられると思い余計な事を。

ただし私は日輪より月輪(がちりん)好きです。

カレンダーは毎年月の状況が一目でわかる陰暦つきのものを別に求めています。

昔の人は太陽よりも月を大事にしたというのは、日々姿を変えることから「暦」と暗がりに唯一孤高の如く輝いて道を照らすことからその威厳(神仏の如く)というものをより強く感じたのでしょう。

②画像はNHK画面より、京都東山から昇る月輪。こちらもパクリでした。

 

和歌山県立美術館のサイトを拝見して「これは!」と思ったのが

現在開催されている特別展「戦乱の世から泰平の世へ-16~17世紀の紀北・泉南地域」です。静岡県立美術館と同じような企画ですね。

その中で講演会の紹介がありました。

『雑賀衆と「石山合戦」』

      日時:9月24日(土)13:30~15:00 ※申込不要

 

です。そんな話は滅多に聞く事は出来ませんので垂涎です。

しかしその日は・・・別件でどうにもならないのです。

それが無ければ和歌山にGO!するところでした。

 

昨日はようやく「勝間田城跡540年祭」のチラシの配布がありました。門前にも貼って告知しています。

小和田哲男先生の講演会は1330~1430です。会場が1230。

『勝間田・相良・井伊氏の世界』

 

教育委員会では今、駐車場の工面で頭を痛めているようですが、早めに到着してスタンバイしておきたいもの。

「祭」とありますので午前中に勝間田城址神社で神事があるようです。何しろ雨が降られるのはかないませんね。

私は1年前からこのことを知っていましたのでスケジュールを入れていません。

 

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コメント: 4
  • #1

    小山昭治 (土曜日, 17 9月 2016 08:52)

    いろいろなんでもあり。大いに結構。
    近頃は揚げ足を取ってコジツケテぐずぐず言う人がいるそうです。
    特にネットでは。
    世間にはいろいろな取り方があります。
    誤字脱字があってもいいんじゃあないの。気楽が一番。
    私は、どうせ読んでもすぐに忘れるからね。特に人の名前、年代は!

  • #2

    今井一光 (土曜日, 17 9月 2016 19:08)

    ありがとうございます。
    大いに気楽、ますます気楽でいかせていただきます。

  • #3

    河東村出身者 (土曜日, 17 9月 2016)


    二代目渥美源五郎は大阪の陣に参加し、日輪の家紋をもらったそうです。初代の墓と家紋が違うのはおそらくそういう理由ですね。

    同じく紀州に行った鳥居強右衛門の旗(落合道次)の隣にこの旗が並んだかもしれません。

    (私もいい加減なことばかり書いていますね)

  • #4

    今井一光 (土曜日, 17 9月 2016 21:41)

    ありがとうございます。
    家康が難儀した時代に死地を潜った勇猛な三河遠州家臣団の末が
    紀州に集まったというのもおもしろいところです。